ひねもす合氣道 ネトネト稽古日誌

ひねもす合氣道 ネトネト稽古日誌

日々の合気道の稽古や家庭での出来事について

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コロナで緊急事態宣言のため稽古ができないで悶々としてる日々です。

福田師範に聞いた話を思い出してます。

福田保師範は1951年(昭和26年)20歳のとき結婚し、長男の重美さんが産まれた頃の2~3年ほどは、大先生のいる岩間へ稽古に道場に通うことはできなかったと話してくれました。


福田師範「合気道をやるために家族のことはどうでもいいってわけにはいかないかんな。

合気道は俺がやりたいことであって、家族がやりたいことじゃない。

家族がやってくれって頼んでることでもないからな。」


〜合気道はやめようとは考えませんでしたか?


福田師範「それはなかった。合気道は好きだったから。

それに、仕事(国鉄)に行けば、同僚のモーちゃん(斉藤守弘師範_合気会9段)もいるしさ。合気道にはいつかまた戻るとは考えてました」


〜休んでる間、欲求不満がたまりませんでしたか?


福田師範「結婚して、子供ができて、国鉄の仕事・・年も若いし、やらなくちゃならない事がいろいろあって忙しかった。そのために合気道休んでるんですから。まあ、考えても仕方ないって、イライラもしなかったです。

でも、合気道のことをふと考えるから、毎日少しでもいいから木剣や杖を振りました。

散歩してもただブラブラ歩くんじゃなくて、体の動かし方を考えながら歩くんですよ。」


〜道場に行けなくても、合気道の稽古を休んでいるという意識はなかったんですね?


福田師範「そうですね。何か物を動かしたり拾う時でも体の動かし方を考えてました。その、考えてばかりの数年間が後々道場に戻ったときにとても役に立ったんです。」


〜復帰のきっかけはなんだったんですか?


「女房が、“お父さん、合気道やりたければやっていいよ”って言ってくれたんですよ。多分、俺が合気道を恋しがってるのをわかってて気を使ってくれたんじゃないかな。それから90歳近くなる今まで合気道漬けです。」


〜私も、自分は大丈夫でも、家族に何かあれば道場に通えなくなると考える時があります


「家族は大事です。今、小島さんが毎日のように稽古に来れてるのは、家族の協力があってのことです。

もし、道場に来れなくなっても、合気道のことを考え、一人でも稽古してれば、合気道と気持ちは離れてはいないんです。他人と稽古するのは大事なことですが、それができないからといって弱くなるなんて考えちゃだめですよ。

普通に稽古できない時は、できないなりに考えて練習するんです。

そうしてれば、道場に戻った時、休む前より強くなってますよ」


体験者が語る話。真実味のある重い言葉だと思いました。


私(小島)は武産浦帆道場の他に曙合気道クラブでも稽古をしています。

曙合気道クラブは茨城県阿見町で活動しています。

曙合気道クラブの前身は福田保師範が立ち上げた阿見道場でした。

会員達は真面目で熱心な人達ばかりで、技の向上のための研究心に溢れてます。

稽古に行くのが楽しみになる素敵な道場、曙合気道クラブです。


曙合気道クラブ

責任者 小松崎 俊雄 合気会6段

茨城県稲敷郡阿見町竹来400-1 

阿見町立竹来中学校武道場

毎週火曜日と金曜日 pm7:00~9:00


武産浦帆道場では、緊急事態宣言解除に伴い、6月 18日より稽古を再開いたしました。

参加者には道場入口にて、氏名と体温を用紙に記入してもらいます。

37度以上の熱がある、咳が出る等、体調不良の方は稽古に参加することはできません。

いろいろと制約や個人の事情がある中で、少人数ですが仲間たちと久しぶりに

稽古できて嬉しかったです。


稽古時はマスク着用で行っております。

今後気温が高くなると、熱中症など別の問題も出てきますねぇ。

体術の他に、素振りや組太刀などの武器技の時間を多くしました。



私は師匠と道場に行く車中でおしゃべりをします。

その時に師匠がよく話してくれるのは、


福田師範「“わかった”と思ったら、もう終わりだから」


ということ。 

私が

「合気道は難しいですねえ。12年やってきましたが、どんどんわからないことが出てきますよ。(^◇^;)」

と言ったことへの返しなので、不肖な弟子への励ましでもあるんでしょう。

「“わかった”と思ったら、もう終わりだから」これ真理だと思います。

仕事でも趣味でも、「到達した」「わかった」と思った瞬間から、それ以上の成長は停止してしまいますからね。

私は師匠と道場に行く車中でおしゃべりをします。

その時に師匠がよく話してくれるのは、


福田師範「“わかった”と思ったら、もう終わりだから」


ということ。 

私が

「合気道は難しいですねえ。12年やってきましたが、どんどんわからないことが出てきますよ。(^◇^;)」

と言ったことへの返しなので、不肖な弟子への励ましでもあるんでしょう。

「“わかった”と思ったら、もう終わりだから」これ真理だと思います。

老子の

「知りて知らずとするは上なり。

 知らずして知るとするは病なり

 聖人は病にあらず、其の病を病とするを似て、

 是を似て病にあらず」

というのがあります。


自分がよく理解していても、まだ十分にはわかっていないと考えることが良いことであり、

わかってないくせにわかってると考えるのが、人としての短所になる。

自分の欠点を欠点として自覚できれば改善することもできる。

聖人に欠点がないのは、その欠点を欠点と自覚しているからこそ、欠点の無い聖人でいられるのだ。


“知りて知らずとするは上なり”


という箇所と意味が似たように思うのが「論語」に


「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」

とあります。


「知りて知らずとする」は、論語の「知るを知るとなし〜」に似てますが、老子は

“わかったことも、わかったとしない”

というとこがなんだか深い。

“わかったと思った時にも、それを疑え”

と言ってるように聴こえます。

まだその「道」には達してないのであると考え続けることが、修行では大事だと、日々師匠に言われております。

福田師範は素晴らしい合気道家ですが、自分を売り込むことは嫌い(苦手)で、世間に自分の才能をアピールしたりはしません。そこをもどかしいと思うこともあり、いや、それこそが師匠の素晴らしいところであると考えたりします。

私にも福田師範のような「花」を咲かせられるだろうか・・

努力していきます!


「竹原ピストル 名も無き花」より抜粋


よく言われれば

図にのって

悪く言われれば

わかってたまるかとふてくされる

どうせそんな例えば

おみくじみたいなものでしょう?

いつからかぼくは

ちっとも人の話を聞かなくなった

白波は遥か

空はすっかり石垣模様

きっともうすぐ雨だ

にげろやにげろ

名もなき花という名の花

意味を求めない意味を求めて

はじまりを求めない旅のはじまりを求めて

理由を求めない理由を求めて

おわりを求めない旅のおわりを求めて

名もなき花

名もなき花という名の花

あけましておめでとうございます。

久しぶりの更新が年明けになってしまいました。

奥さんの実家に遊びにきて、朝から食っちゃ寝しながら、

のんびり気分で更新しております。


2019年は武産浦帆道場にとって、2018年に引き続き充実した一年でした。

新年早々、去年の話になりますが、写真は11月と12月の審査会の様子です。

皆さん、普段から技術向上に努力されていました。

まずは基本の型を正しくやろうという気持ちが感じられました。


審査の内容も、それぞれ今の段階としては、大変良くできていると思います。

剣の素振りも、良かったです。右半身、左半身とも半身(合気の腰)をしっかりやろうとしてました。 

昨年は、通常稽古内での武器稽古は「基本の素振り」のみでしたが、体術にもはっきりとその成果が見て取れました。 

高段者の齋藤さんの参段昇段審査はとても良かったです。

彼は他の会員のお手本になるべく日々努力しています。

不肖小島も皆様のお力を借り、合気の道を精進していきます。

「稽古貰うた兄弟子投げりゃ、相撲仲間の恩返し」

落語「立川談志_阿武松より」

私がうかうかできないように

会員の皆さん、どんどん強くなってください。

今年もよろしくお願いします。



期日 : 令和元年8月25日(日)17:00 〜

会場 : 笠間市 合気道特設会場

演武大会に出場してきました。

第74回国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」の

デモンストレーションスポーツの一つとして、合気道の演武大会が行われました。

合気会茨城支部道場の敷地内に特設会場が作られました。

道衣に着替えるのには茨城道場をが利用されました。

我が師匠、福田 保師範はここで植芝盛平開祖から合気道を20年習いました。

私が武産浦帆道場の他に所属している、かすみがうら合気会の演武。

タイミングも揃っていて、子供達は頑張りました。

URL: youtu.be

大会最後を飾るのは、植芝守央道主の総合演武です。

道主が演武を始めた途端に突然の雷雨でしたが、皆雨に打たれながらも食い入るように見ていました。

参加記念品のバッジと認定証。

観客も多かったし、準備もなんかバタバタしてて、いつもの演武大会のように、他の道場の演武を見学することはできませんでした。

夜の演武はお祭りみたいな、非日常感があって、なかなか楽しかったですがね。

夜の豪雨がなけりゃ、もっとよかった。