スロバキアのブラティスラヴァから車で40分?? 若い二人のスロバキア人の男性の言葉に僕は耳を疑った。鉄のカーテンの向こうが、目と鼻の先にある。無性に行ってみたくなった。
※Baden bei Wien (ウィーンの森南端の上品な温泉町)のサウナにて
ヴァイオリンと杖と機内持ち込みの小さなスーツケース、Wien ドナウ運河から高速船TWIN CITY LINER に 乗り込んだ。One Way!1時間半でブラティスラヴァだ。夕方16時30分、憧れのドナウの船旅。コロラド州のデンバーから来たJohn。6ヶ月かけてドナウの源流シュッツバルドから黒海まで下ると云う。尤も船賃が高いので殆ど列車で行くとのこと。アメリカ人だが、英語が素朴で聞き取り易い。1時間近く止め処もない話をした。夫婦で旅行といったが、奥さんはどこにいたのかわからなかった。
船のデッキでヴァイオリンを弾いた。船は空いていた。全部で20人もいたかどうか?16ユーロ、昼の12時半発だと26ユーロなので、10ユーロも安い。それに殆ど揺れず快適。
遠くに街が見えてきた。JohnがBratislavaだと言った。城と教会が見える。ドナウ沿いに建築中のビルが西側資本流入のピッチを告げる。ついに来た。ほんの少し前まで社会主義国家だった国。船着場に近づいた。終点ブダ・ペシュトまで行くJohnと別れ河畔に立った。目の前には近代的な立派なホテルも建っている。しかしウィーンとはまるで違う。空気、空の色。人の表情。とにかく旧市街に行こう。
ドナウをバックに台湾から来た女性二人連れに写真を撮ってもらって、近くに見える教会に向かってまず横断歩道を渡った。
聖マルティン教会裏の石畳の道。まさに中世! 人気がない、時間が止まった空間。思わず立ち尽くした。
迷路のような石畳の道を歩いて行くと、人通りに出た。緩やかな坂の上に立つ鐘楼、後でミハエル門だと知った。その門を仰ぎ見るビューポイントにカフェのテラスがあった。4月の東欧の夕暮れは肌寒かったが、そこに座ってコーヒーとケーキを頼んだ。なんて書いてあるかわからない。スロバキア語。エスカという通貨単位も初めて、Bratislavaもその名くらいしか知らなかった。ユーロが使えない。英語が通じない。Stationを聞いたのだが、カフェの女の子3人がかりで相談して、船着場でもらった観光地図に駅が出ていないことが...
雨が降ってきてテラスから中に誘導された。まだ春浅いいや冬の終わり。例年より暖かいのだろうけれど、日が暮れれば寒さが堪えてくるだろう。
今日の宿を探さねば! いきなり来た見知らぬ国、外に出て上を見上げるとHOTELの看板がある。カフェのビルの上だ。長い石の階段を昇った。薄暗い小さなレセプションがあった。「今日部屋空いてますか?」STANDARDなら?52ユーロ。「部屋を見せてほしい」そしたら鍵を貸してくれ、案内してくれた。メゾネットでバストイレは3部屋で共同。でも今日は空いているから専用で使えるって。鍵を開けて中に入った。狭くシンプルだけれど清潔だ。心配だったベットも2台のうち1台はヘタっていたが、もう1台はあまり使われてなく、大丈夫そう。なんといってもウィーンだと1泊140ユーロ。3分の1だ。おまけに中庭を望める廊下が実に趣がある。OLD CITY HOTEL って名はスロバキアらしからぬが、イメージはぴったり。決めた。
斜めの天窓の下のベッド、星なしだが、あの☆☆☆のフローレンスのホテルマキアベッツリ(配管の臭いと騒々しさに宿を変わった)から比べればすこぶる快適。気に入ってもう一泊するとレセプションに告げた。だが、夜中に寒くて目が開いた。スチーム暖房が効いていない。たまらずレセプションのベルを鳴らした。起きてきたアルバイトらしき女の子は、眠そうにぶつくさ窓が開いたままじゃないのか?と独り言のように英語でつぶやいて、暖房のコックを渡してくれた。部屋に戻ってコックをひねるがあったまりそうもない。おまけにトイレが階段で降りねばならない。用事の度に急な螺旋階段を行ったり来たり。極めつけはレセプションから部屋に通じるドアが押しても引いても開かない、彼女が教えてくれたときは、右に回して押してからいったん引いて戻してまた押す要領で開くと言われたが、手をひねってどうにかなりそうになるだけ、毎回数分悪戦苦闘の末、偶然開いたとしか云えない代物。翌朝明るくなって、斜めの天窓を見ると隙間が開いている。彼女の独り言が図星だった。結局一泊で引き上げた。
