KILLTIME

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非現実と現実は区別する必要があるのだろうか。

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人それぞれが歩みを遂げた歳月。


その時代ごとに個人の生き方を垣間見てみると、その瞬間に感じたこと、生き方、愛し方など別の人とも

取れるほど中身が違っている。


あの時代の自分はこうだった。

あの時の自分はこうすべきだった。


時間が経過してみれば、人は過去の自分への馳せない思いでいっぱいだ。


この物語に出てくる 山崎将太 も そんな男だ。

今年で44歳。


バブルと言われた昭和、平成の好景気の時代の陰りと共に大人になった男だ。


将太は東京都下の町で生まれた。

兄妹は妹が一人、父親は公務員、母親は中学校で教壇をとっていたが、すでに年金生活者だ。


将太は東京都立の比較的偏差値の低い商業高校を卒業、大学への進学は学歴的にも、努力的にも

無理であり、簿記の専門学校へ進学した。

高校時代、比較的自由な校風だった為、将来設計もろくに考えず、成り行きまかせで決めただけだった。


どうにか専門学校で資格も取って卒業、就職口も決めることができた。


新社会人となった将太が今回の主人公である。


どこにでも居そうで、だけど真似のできない律儀な生き方で毎日を奮闘するのだ。











時間の経過と共に時代も様変わりする。それは自分だって例外では

ない。

若い力にかなうものそれは経験だ。


しかし、経験の無い新境地へ入るとしたら、それは正に負の遺産を

背負った戦いだと思う。


今,身辺が慌しく動く事すら許さない状況になった。

自信や過信など、微塵もない。

背中を押すものがあるとすれば、それは使命感だけだ。

夢だとか、明るい話題に飛びつく方ではないが、今回は皆無だ。


なぜか、自分を取り巻く状況には以前から敏感だった。

故に今回、置かれた状況も、また冷ややかに受け止めるしかない。


昭和、平成と二つの時代を駆け抜け、今、何も足元に転がってい

ない現実の中から這い出ようとする自分はどこへ行こうというのか。


周囲が段々落ち着いた状況になり、自分だけが何故とは思わないが

、持って生まれた性格と同居するからにはそれなりのリスクも理解

していたはずだ。

人の笑う瞬間が好きで、ただそれだけに、いやそれ故に孤高となって

しまうのだ。


人間は単純な生き物だ。

ただただ、自己の利潤と結び付きに縋って生きている。


ただ、自分はそんな風に生きられなかったから自己の生さえ、覚束

無くなった。


あせりから、階段を踏み外しそうで、笑えない7月が近づいていた。