1917年    岐阜県関市に生まれる。

1939年    中国へ渡り北京に在住、東亜美術研究所横山央児氏に学ぶ

1943年  天津に移住、同志と天津文化協会美術部を結成、公募展を開催

1944年    天津にて応召

1946年    復員、同志と共に「現代美術家協会」(現展)を結成、以後毎年東京都美術館にて全国公      募展を開催

1985年  現代美術家協会代表を辞退、同協会を退会。

2011年  岐阜県関市にて三浦勝治美術館開館

三浦氏は、上述のように1946年現代美術協会を設立メンバーの一人。油彩、水彩画家です。現在は入手困難になってしまった(別冊アトリエ)という美術雑誌に何冊も、本を出しています。アトリエNo.644 1980年10月「スケッチのコツ」。などがあります。 
恂は三浦氏と平塚で出会い1951年から、現展に参加。そのころ、三浦氏は平塚に住んでいました。

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ちょっと、遅くなりましたが12月金竜寺に行ってまいりました。
穏やかな、日和でございました。

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こちらのブログはそれほど、マメには載せられませんが、ボチボチやっていきたいと思います。
覗くだけでなくコメント入れてくれると、うれしいです。
コメがあると、励みになり書く気が起きます。ほとんどないから、あまり載せないのかも。。。。
田中穣(たなか じょう)

大正14年/1925年3月25日~平成17年/2005年4月25日
経歴 神奈川県平塚市生まれ。早稲田大学文学部英文学科卒。読売新聞社入社。美術担当編集委員として活動。主に日曜版の美術記事を執筆。退社後は、美術評論家になりました。
受賞歴・候補歴には |候補| 第62回直木賞(昭和44年/1969年下期)『藤田嗣治』などがあります。
古川恂とは、同郷です。中学は一緒ですが、田中氏は3年後輩です。
現代美術家協会の評論家としても、かかわりました。古川恂の画集にも、序文を書いています。
私もお世話になりました。
このお兄さんていう方が、とてもユニークで私の家の近所に住んでいました。
平塚の海岸でよくお会いしました。

田中さんの画像は今捜索中!
寺畑助之丞 てらはた-すけのじょう

1892-1970 大正-昭和時代の彫刻家。
明治25年11月19日生まれ。大正9年朝鮮総督府技師となり,新庁舎の建築彫刻を担当。また朝鮮美術展の評議員をつとめました。構造社をへて,昭和11年新構造社を結成,彫刻・工芸部の代表となりました。昭和45年6月6日死去。77歳。富山県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「母と子」など。

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2013年、9月後半 都美館に、たまたま行きました。
新構造展です。

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日本の団体展!今はあまり興味ありませんが・・・。(筆者のことです。)
趣味のおばちゃんが多すぎるのも嫌なんです。みなさん美術の本質勉強していないし・・・!(描くだけが勉強ではありません!森羅万象なんでも貪欲に勉強する人好きです。うわべだけではいけません。モノをただ描写するだけが美術ではないのです。)
へたな描写をするくらいなら、超うまい画家、例えばダビンチ、フェルメールの複製の方がまだマシだと思うんです。

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しかし、その一角に、寺畑助之丞のコーナーがありました。
この人は、前も書きましたが古川恂の学生時代の彫塑の教授でもありました。

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子供を描いた、レリーフです。

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どてっとした、肉体。 日本の明治、大正の時代が感じられます。

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この作家も粘土職人なのでしょうね!モデルさんが、もっとすらっとした人だと作品も変わるんでしょうか?肉感的な作品です。








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2013年ヨコハマ創造都市センターの回顧展の作品群です。(一部)
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    馬車道駅の真上に位置する、ヨコハマ創造都市センター!桜木町からでも徒歩5,6分です…!
 
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最初、第一銀行横浜支店? その後横浜銀行本店別館? よくわかりません。 どっちが最初でしょうか?
 
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今月21日で終了した展覧会からです。
未だ、新聞見たんですが、場所はどこか?なんて、問い合わせがありますww その新聞見て電話してるんでしょ?会期書いてありますよねえ?今日は、25日(水)よん!
しかし、マスメディアの力はすごいですね? 記事見て、かつての卒業生の方々が大勢詰めかけました。
お陰様で大盛況でした。