なぜ、このブログのタイトルに”心療内科”っていう言葉を入れたかと言いますと、もう20年近くつき合いのある親しい方から、私が『さすらいの心療内科医』というリングネーム・・もとい、ニックネームをつけていただいたことがありまして、ブログを読んでくださる方々に何か一言で自己紹介をさせていただくとすれば、おそらく客観的に見たら、この名前が分かりやすいんだろうなぁ―と、思ったからなんです。

 

医学部生というのは通常、大学を卒業して医者になる前に自分が卒業後に入る「医局」を決めるのですが、私の大学では大多数の友人が他の大学の医局へ移る道を選ぶことはなく、自分が卒業した医学部の附属病院内で研修を始める「科」を選び、入局していました。私の場合、迷ったのは心療内科に行くか、精神科に行くかの2つに1つだったのですが、その時点で重視したのはそれぞれ1週間ほどしかなかった学生としての短い見学期間のなかで、自分が体感した”雰囲気”だけだったような気がします。

 

あくまでも医学部5年生だった当時の私自身の主観でしかありませんが、少なくとも私のいた大学では、心療内科の先生方は個室内で患者さんと向き合う面談などに多くの時間を割き患者さんの話をよく聴いていて、精神科の先生方はそうでもなかった―という印象のみを頼りに・・と言ってもいいのかもしれませんが、それぞれの科がどういう疾患の方を診察するのか?といった合理的な判断とかは二の次にして、ともかく自分の肌で感じた”雰囲気”だけを頼りに心療内科への入局を決めたのが、今の自分へとつながっていくスタート地点であり、また大きな分岐点でもありました。

 

当時、精神科、あるいは心療内科のいずれの科を選ぶにしても、私が一番やりたかったことは『心理』に関することだったのですが―

 

それから30年近くの時が経過した今、その目的が達せられたかどうかについては、またこれから追々語っていくなかで考えていきたいと思っています。


ところで『パパラギ』という、1920年にドイツで出版されたわりと有名な本が日本語にも訳されていてそこそこ有名なのですが、その本の中で、「白人は”精神”という言葉を口にする時、まるで威厳を身にまとったような風情になって、その表情や身体は硬くこわばってしまう・・」といったことが書かれていたことように記憶しています。

 

私は前々から「精神科」という言葉の響きと、”心療内科”という言葉の響きに大きなの違いを感じているのですが、「精神科(せいしんか)」という言葉の響きは上のパパラギにある文章に象徴されるようにどちらかというと硬い印象でちょっと偉そうな感じもして?、”心療内科(しんりょうないか)”という言葉はそれに対して、私にとって柔らかく、また優しく感じられる響きなのでした。

 

おそらく人の名前やニックネームもそうだと思うのですが、どんな字や漢字を使って構成されるか―ということが大きな違いであると同時に、”どのような音の響きをもって聴こえてくるのか?”―というのが、おそらく文字としての成り立ち以上に私たちの”心”に響き、また影響してくるのではないかと、私はこれまでの経験から、思っています。