父の生い立ち
父の生い立ち
祖父母は戦争の激動の中、出会い結婚しました
が、祖父は「死んだと思っていた許嫁が生きていた」と父が赤ん坊の頃に離婚
当時は戦争で配偶者が亡くなる未亡人はあっても
離婚での片親は偏見の目に晒される時代でした
父親の顔を知らずに育った父は
祖母に「片親だから駄目な人間には育てない」と
とても厳しく育てられました
家では背筋を伸ばし、ひざまずきで座る
箸の持ち方も厳しくしつけられました
家で息抜きが許されない
当時は幼稚園へ行くのに公共バスに1人で
乗らなくてはなりませんでした
誰が大人がいれば(もちろん赤の他人)
その人に付いて一緒に乗る
大人が誰もいないと1人だけで乗れないため
バスが来ても隠れていた幼稚園児
小学校になり友人と同級生の家に遊びに行くことになりました
何気なく訪れた家でしたが
その家の女性に
「あんたはこの家に来てはいけない人間だよ!」
と突然言われショックを受けます
その家は実の父親の再婚した家庭だったことを
後に知ります
休まらない家庭、父親に捨てられた現実
海が好きで、裸足で珊瑚や岩場を駆け回っていた
少年の夢は船乗りになることでしたが
祖母の「船は天候で転覆したりするからやめて」
夢もあきらめ目標を失い
そこから道をはずれて生きます
ただ、弱い者をさらに追い込むような所行に
ついて行くことができなくなり
会社員として就職することになります
私の母の生い立ち
私の母の生い立ち
自慢ですが(笑)
私の母は、笑顔のチャーミングな
可愛らしい女性です
母は長女で子どもの頃から
お手伝いというよりも
ほとんどの家事、下の兄弟の面倒を
見させられていたそうです
家が片付いてないと
仕事から帰ってきた祖母に
母は怒鳴られ、愚痴・嫌味を
延々と言われてしまうため
毎日必死に片付けをするも
幼い末の弟はすぐに散らかしてしまい
思うように家事が進まず
毎日怒られてばかりいました
やったことは認められず
やって当たり前
出来なかったことを
いつまでも責められる怒鳴られる
人格を否定されるような毎日
優しくされたことは記憶にありません
母が中学生になり体験入部で体操部へ
素直な母は言われたことを
そのまま実践するので
誰よりも早く上手く技を取得し
先生や先輩同級生から活躍を期待されました
部活に入りたくてお願いをするも
ダメ誰が家の事する?金もかかるのに?
と強く言われ、即否定
取り付く島もない
泣く泣く部活をあきらめました
放課後友人とおしゃべりや遊びたくてもほとんど叶わなかった
祖母は近所の人に
「あんたは継母か!」と言わせるほど
それでも変わらない現状に絶望感を抱き
「早く家を出たい」との強い思いから
その頃から家出を繰り返します
祖父母が探し出しては連れ戻すを繰り返していました
ある時、探しても全く見つからず
警察へ捜索願いを出すまでに
この時、母の転がり先が
11才も年上の男性の住むアパート
母の自宅近くにあった小さい会社で
働いていた、たまに見かける程度
様子のおかしい子に声をかけたことがきっかけに
「じゃ家にくるか」
ということで私の父と母は出会いました
・・・
今では絶対あり得ないですね
次回は父の話です
