昭和49年から53年まで転勤で仙台に住んでいた。
あの日のニュースを見てずっと泣いていた。
三陸の海辺も何度か行ったことがある。
当時は、宮城県と岩手県は隣なのに仙台から釜石の新日鉄に行くのも日帰りでは無理、必ず宿泊したものだ。
図書館にこの本があったので借りた。
あの時、毎日、テレビ、新聞を食い入るように見ていた。
しかし、この本を読んで、初めて何があったのか知った。
震災直後の被災地を目の当たりにした新聞記者がそれをあますところなく伝えている。
仙台に居た4年間、家でも会社でも河北新報だった。
朝日、読売、毎日は、夕刊がなかったので、河北新報は圧倒的なシェアを占めていた。
あんな状況で号外を発行し、一日も新聞を休まず地元紙の責任を果たしたのだ。
この本をお勧めしたい。
河北新報は、
経営難の「東北日報 」を引き継ぎ、明治維新 の際に薩長 から「白河以北一山百文」(白河の関 (現・福島県白河市 )より北は、山ひとつ100文の価値しか持たないの意)と蔑まれた東北 の意地を見せるべく「河北」と改題して1897年 (明治 30年)に創刊された。