BS日テレの大人のヨーロッパ街歩きを見る。
震災特集を見ていたが、この番組を気晴らしのつもりで見た。
今日は、現地で設計をやっている日本女性がオランダ・アムステルダムの新建築を案内する。
北欧は、デザイン先進国で知られるが、そこで産する商品は日本にも沢山輸出されている。オランダもデザインでは負けていない、そればかりか建築については他国に先駆けて先進的な試みをやっている。
よく見ると窓の位置が微妙にずれている。
日本では、ありえない実験的な試み。
これは、オフィスビルだろうか?
これが学生寮、やはり窓がバラバラ、遊び心が旺盛
コンテナーを利用した幼稚園、園児も喜びそう
オランダは日本と同じように人口密度が高い。もともとネーデルランドと言われる低地の国、何もしなかったらその土地も海中に没してしまう。だから国土の維持だけに飽き足らず国土を造成してきた。
だからこそ、それらの上に建てる建造物もおろそかにしないという精神が生まれたのかもしれない。
大航海時代に覇を唱えたスペインは、オランダを支配したがその後オランダがスペインを破り、オランダの時代が訪れる。
この歴史を日本から眺めれば、織田信長はポルトガル、伊達政宗はスペイン、ところが江戸時代に入るとオランダのみが長崎の出島を窓口に通商を続けた。
世界貿易で躍進したが、今度はイギリスが海上覇権を確立、オランダ東インド会社も消えた。
その後、海外の植民地も失い、現代にはナチスの占領もあった。
一旦は頂上に登りつめたが現在のルクセンブルグ、ベルギーも失い小国になった。
それでも現在のオランダは、農産物の輸出では世界2位か3位、日本よりはるかに豊かな国になっている。ヨーロッパ特有の古い街並みも残しているが、新しい街区では上に見るような建物を作っている。
俺が転勤で仙台に居た頃は、釜石に行く場合でも日帰りでは無理だった。三陸には当時から漁港は一杯あり、どこも海に面した狭い平地が漁村になっていた。
沿岸部の鉄道も不備、海沿いの道を北上するのもカーブが多くて大変だった。
震災後元通りのところに住宅地をつくるところもあるが高台移転するところもあるもある。高台移転には、元々適地が限られているから大変だ。
しかし、これも現在の土木技術を持ってすればある程度解決が出来るだろう。
問題は、想定を超える時間がかかること。
今、被災地は人手が足りない、資材も足りない、その障害と被災者の我慢比べの時間がまだまだ続きそうだ。
割り勘のことをダッチアカントと言うが、この言葉は元々干拓事業をやり遂げるための協同精神からきている、今こそオランダのway ofl lifeに学びたい。
ナショナルグラフィックの写真に1896年大津波のがある。死者数は今回を上回る。
それでも立ち直った。
俺が仙台に居た時代より震災前の三陸のインフラも大きく変わった。
今回も、確実に以前よりよくなると信じたい。
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