いつも母のブログへお越しくださっていた皆さまへ、happyの長女よりご報告がございます。
2021年3月22日17時38分
母は家族に見守られながら、約4年半の闘病生活を終え、安らかに眠りにつきました。
母の闘病生活の中で、母を支えてくださり、生き甲斐を与えてくださった皆様には、家族を代表して深く御礼申し上げます。
母が緩和病棟に入院して1週間が経った頃、
「〇〇ー、お母さんお願いがあると」
と、恥ずかしそうにブログを私に見せながら
「お母さんが死んだら、ブログで報告してくれん?」
と、笑いながらお願いされました。
「わかったわかった」と、私も笑いながら返したものの、最後に大役を任され、そんな日は来て欲しくないけど…と寂しくなったのはついこの間の事です。
先週3月15日に57歳の誕生日を迎え、沢山の方に祝って頂き、それに満足したかのように一気に病状が悪化して行きました。
入院して1ヶ月、3月19日には意識も朦朧とし始めました。
19日の夜、その日仕事が休みだった私は、母が好きだったショートカットに髪を切って病室へ行くと
「お母さん今日は頭がぼーっとしてダメだん」
そう悲しそうに口にすると、バッサリ切った髪型にも気付かず、ベッドの上で辛そうに目を閉じました。
母は昔から私のショートカットが大好きで、短く切る度に「似合っとるねー!」と喜んでくれていたのに、母が喜ぶだろうと思って切った髪型にも気付かず、私はその時、母の病状を私なりに感じとる事になりました。
その日は立ち上がる事も難しく、トイレに行くと言う母を介助し、歯磨きをさせ、ベッドに寝かせ、楽な姿勢に移動してあげ、一通り夜の流れを済ませると、「〇〇がおると助かるねー」と嬉しそうにしてくれました。
介護の仕事をしてて良かったな…と改めて感じながら、仕事を終えて駆け付けた父にバトンタッチ。
「お母さんまた明日来るね!
ゆっくりしとかなんよ!」
と声を掛けた瞬間、
「なんで帰るとー!いやだー!
帰らんでー!怖いー!」
と子どものように駄々をこねて泣き始めた母、
私は母を泣きながら抱き締め、
「どこにも行かんよ、大丈夫よ」
と伝えるしか出来ませんでした。
その次の日、3月20日には、もう会話をすることも難しくなり、父と私だけでなく、三人の弟や孫達も面会がOKに…。
そして、母が会いたがっていた、ハッピーと風太も面会を許されました。
ベッドの上で、反応の無い母の横に寄り添うように、ハッピーは母と並んで横になったそうです。
それから二日間、意識も無く、酸素と輸液だけを頼りに、母は力強く生き抜きました。時折、父や子ども達の声に反応を見せながら、最後の最後まで、母らしく苦しみに耐えて生き抜きました。
22日の15時半頃、付き添っていた弟からの電話、
「先生が他の家族を呼んでくださいて」
私以外の家族もその電話で母の元へ集まり、病室のベッドの上で苦しそうに、でも一生懸命に息をする母を囲み、家族6人が最後の時間を過ごしました。
最後まで母らしく
みんなが母の元へ集まるのを待ち
大好きな父と4人の子ども達とゆっくり過ごすために苦しみに耐え
お別れの時を作ってくれました。
息を引き取る瞬間は、
私達の声に、
手に、
涙に囲まれて、
愛に包まれて、
静かに眠りに着きました。
私は、他の家庭のように母と二人で出掛けたり、悩みを相談したりと、母娘らしい事は出来ていません。
小さい頃から、厳しく、甘やかさず、贅沢はさせず、育ててくれた母です。
どうして私は他の子みたいにお母さんと仲良く出来ないんだろう…
と悩んだ事は数え切れない程あります。甘えたり、わがままを言ったりする事はおろか、悩みを相談する事もありませんでした。
母のようで父のような、正直私にはこの世で一番怖い存在でした。
でも、大人になった今、母が私にしてくれた事は全て、私の力となり、私の知恵となり、私を守ってくれています。それは私だけでなく、三人の弟達も同じ事だと思います。
私が幼い頃は、経済的にとても厳しく、食べるものにも困り生きていくのがやっとだったと母はよく言っていましたが、私にはそんな記憶はほとんど無く、どんな時も私達にはいつも笑顔だった母の記憶ばかり思い出します。
下の弟達が産まれ、父と母が共働きの中、私が弟達の面倒を見る事は当たり前の事でしたが、母はよく「〇〇がおってくれるけん、助かる、ありがとう」と伝えてくれていました。
だけど、振り返れば全ては、私が母にありがとうを返すばかりです。
沢山苦労をかけてごめんねと、よく言っていましたが、私が守ってあげれなくてごめんねと、返すばかりです。
最後まで、辛い思いをさせてしまってごめんね。
家族みんな、お母さんに心配ばかりかけてごめんね。
もっともっと、そばにいてあげれなくてごめんね。
まだまだお母さんに伝えたいことはたくさんあるけど、それはまたお母さんと会える日にとっておきます。
このブログを読んで下さっていた皆さんの中には、母のブログが役に立った方や、力になった方がたくさんいると聞きました。
このブログは、母が闘い抜いた『命の日』の記録です。
これからも、この場所に、母の思い出を残しておきたいと思います。
母の人生が、誰かの力になりますように。
母の痛みが、誰かの救いになりますように。
最後に、母と私達家族を支えてくださった、沢山の方々に、深くお礼を申し上げます。また、今後とも私達家族をよろしくお願い致します。
母の最後を皆さんにご報告すると約束したにもかかわらず、上手くお伝え出来ず、申し訳ありません。
ご一読いただきありがとうございました。