以前見た記憶があったので、狭い家をくまなく捜査。
やっぱりありました。フィルムではなくガラスの乾板です。
それも結構大きい。相当大きな撮影装置だったんだろうな。
もちろんこれはOichanが撮影したものではありません。
「藩主伊達宗城公ニ御供シ上洛中、慶應三年夏、京ニ於イテ撮影 三十五歳」となってました。
はは、まだ明治になってない・・・
これより古い写真はなかなかないぞ。146年以上も前だしね・・・。
撮影費用はどれ位したんかな、どれ位静止していたんだろう。


やっぱり傷が相当ある。
古いゆえそのままにしておこう。
とりあえずコントラスト補正だけ。
親父の親父の親父なのに、
Oichanとは似ていないなぁ・・・
スタイルも細い、
下の写真もやっぱりガラス版です。
明治に入ってからなので、質がぜんぜん違います。

髪の毛だけは遺伝子をついでいるようです\(^o^)/
この頃の街並みの写真があったら最高なのになぁ・・・
さぁ、お昼休み終わり、仕事始めよっと