皆さまは始めて銭湯に行ったのはいつだろうか?
わたしは小さいころにスーパー銭湯のような場所に親戚で行った記憶はあるが、銭湯らしい銭湯に初めて一人で行ったのは、中二の時である。
その時銭湯に行かなくなければならなかったのは、家の風呂が壊れたからである。
実は私と同じ理由で銭湯に行くこととなった人がいるのだ。
≪ちびまる子ちゃん≫である。
好きすぎだろwと言われても仕方がない。
自分と好きなアニメのキャラを重ねたくなるのはファンとして普通のことである。。。
先ずはこのちびまる子ちゃんの話を紹介しよう。
『まるちゃんの家の風呂が壊れた。』
ある日学校から帰ると、母が誰かと電話をしていた。電話の相手を問うと、風呂の修理の人だという。
一ヶ月先まで修理の人が来ないかもしれないからしばらくは銭湯に行くことになると母は言う。
銭湯自体行ったことのないまる子は見たいテレビを我慢して、母と姉と共に向かう。
富の湯
姉に籠をもらい、使うシャワーを決め、ついに湯船につかる。
「あー気持ちいいね。おっきなお風呂って。こんな大きな富士山の絵もあるし、やっぱ清水っ子の心意気だね。」
お風呂屋さんに富士山の絵は全国共通である。
歌を歌ったり、姉とお湯を掛け合ったり、母の背中を洗ったり、洗ってもらったり。
女湯に連れられた幼稚園児ほどの少年がおもちゃで遊んであるのを羨ましそうに眺め、自分も今度持ってこようと企む。
大きな体重計や頭を覆うほどのドライヤー、定番だと言い張るコーヒー牛乳を飲んで帰路に就く。
翌日、友人たちは昨晩風呂に行っていて見られなかったテレビの話題になるも、自分は銭湯に行っていたと鼻高々と昨晩の経験を語る。
その日のうちに思ったより早く家の風呂が済んでしまいもう銭湯にいけないと残念がるまる子。
駄々をこねて今日も行きたいというと母は笑って許してくれた。
すぐに向かうと、先客はおらず、まる子一人だった。
昨日の少年のようにおもちゃで遊ぶ。
そのまた翌日、親友たまちゃんと下校していると彼女が今日銭湯に行こうと言い出す。
いえに帰り、母に許可をもらい、たまちゃんと落ち合う。支度をしていて遅れたまる子は走って彼女の元へ向かう。
まるで神田川のような二人である。
支度ってまるちゃんまさかおもちゃでも持ってこようとしたんじゃないでしょうね~。そう茶化すたまちゃんの言葉にギクッとしながらも否定する。
銭湯に着くと、番台のおばさんが、「まるちゃん昨日おもちゃ忘れていかなかった?」
さっきたまちゃんに否定したばかりなのに流石に恥ずかしすぎる。
最後におばさんのとどめ「ここに”さくらももこ”ってかいてあるよー?」
たまちゃんに見せる顔のない情けない顔をしたまる子をたまちゃんがあきれ顔で見つめるのであった。。。
お決まりのまる子が軽い失態をおかすシーンで終わる。
この話の中で気になったことがある。
【お風呂屋さんに富士山の絵は全国共通である。】
と言うキートン山田のセリフである。
確かに私が初めて行った銭湯も風呂の田平を開けた真正面にあったのは富士の絵だった気がしなくもない。
なぜ富士山が描かれているのだろうか。
そんな銭湯の富士を熱く語る本を見つけた。
『風呂屋の富士山』
1994年、町田忍・大竹誠著のファラオ企画発行のものである。
そもそも銭湯はどう誕生したのか。
p10
「銭湯の誕生
日本における銭湯のはじまりは、入浴料を払って入るという意味で考えるなら、『日蓮御書録』の中に登場する『湯銭』の文字から、文永3(1266)年であると言われている。したがって、銭湯の始まりは鎌倉時代にまでさかのぼることになる。」
『銭湯遺産』
町田忍著、平成20年、戎光祥出版株式会社発行のものにも、
「銭湯のルーツは宗教行事としての禊まで遡ることができるが、ここでは、入浴料金を徴収する商業施設としての銭湯の歴史を述べてみよう。
(中略)
さて、本題の銭湯の発祥についてみてみよう。古いことなので正確には不明だが、記憶としては、『今昔物語』の中に「東山へ湯浴みと人を誘ひ」とあり、また『日蓮御書録』によると、文永3(1266)ねんの条に「湯銭」という文字が登場する。そのため、このころには商売として営まれていたと考えられる。これ以降、銭湯の営業を記した文書は、文献の中にたびたび登場するようになる。」
そんなに前から存在していたのかと驚いた。
江戸時代らへんに誕生していたものと思っていた。
さて、富士についてだ。
『風呂屋の富士山』p35
「銭湯には富士山がよく似合う
店名だけに限らず、銭湯は縁起を気にする。背景画の題材にも、選んではいけないものがあるのだという。それは「夕日」「紅葉」「猿」である。「夕日」は沈む、「紅葉」は落ちる、「猿」は客が去る、という縁起かつぎからだ。
では、題材でもっとも多いのは何か。言わずと知れた「富士山」である絵師に理由を聞いても、雄大だからとか縁起がいいからという答えが返ってくるだけで、「昔から描いているから」と言うのが本心のようだ。他に考えられる理由としては、末広がりの形や不二、不死ともいう言葉から、縁起も良く、誰もが知っている親しみのある山であることなどがあげられる。「半分は江戸のものなり富士の雪」と言う川柳もあるように、富士山は江戸庶民に広く親しまれていたことがよくわかる。
富士山が湯気の向こうにぼんやりとかすんで見える銭湯は、まさに庶民の憩いの場、極楽浄土の世界なのである。ああ、極楽、極楽」
『富嶽百景』のかの一節を遊んだ粋な題からもわかる通り、富士山は淡い色のものなら何でも似合う(笑)
富士山が背景画に用いられる理由は特に決まっていないらしい。
確かに日本の象徴としてはまず富士山。国歌ならぬ国山のようなものだろう。
途中に出てきた、「半分は江戸のものなり富士の雪」と言う川柳は何なのだろうか。
このサイトにあるように立志と言う人が詠んだ歌だということになる。
谷素外著の『名所方角集』に富士眺望を題して、その歌が詠まれている。
また、『風呂屋の富士山』p80
「大竹:現役の浴場背景画の絵師が七人ぐらい頑張っているとのことでが、それぞれ描き方が違うっていうのは、興味深いですね。
町田:(中略)あと、ポンポンって叩く技法を一番用いるのは丸山(清人)さんの背景画ですか。
大竹:ポンポンと叩いて絵のコントラストを出す、ハイライト描写ですね。
(中略)
大竹:丸山さんのは風景を自分で創りこんでいくのでしょうか。何か不思議な背景ですね。海のようでもあり、湾のようでもある。こういう景色は現実にはまずないんだろうけども。
町田:そうそう。この場合だと、天橋立と富士山っていう。」
このように富士山の絵師と言うものが存在しているらしい。
その中でも、丸山清人さんと言う人は、現実にあるものをうまく創造するという。
これは確かに、海が見える。湖と言うよりは海である。
松島のような湾の形をしている。
これもそうだ。実際に富士の麓の町に行ったことがないからわからないが、どうもこの富士山の麓の町が横浜のように見える。
観覧車や、富士に負けじと聳え立つビル群があまりにも都会過ぎる。
今度銭湯に行ったら、背景画は何か確かめてみよう。
そして、それが富士であったら絵師を見て見よう。
反対に富士でなかったら、番台になぜ富士でないのか理由を聞いてみよう。
江戸以降の銭湯の歴史については、今回参照した二冊の文献に、湯屋と銭湯とか、銭湯での広告の役割とかいろいろあるが、本を読んでいこうと思う。




