ご先祖の職業がわからない
福井 敦賀に行った話
暑い時だったと思う、行きたくなかったが 行かされた、
猛烈な暑さの中 向かったのは 敦賀市立博物館
もとは大和田銀行だった場所で お屋敷街のような雰囲気の場所だ
早すぎて開いていなかったので、暑い中周りをぶらぶら
今は綺麗になっているが その時は まだ今ほどでなく どこかのんびりした雰囲気
港にも近く もう少し行けば レンガ作りの建物などもあるところだ
一般の民家もあり、出勤の時間も終わり、それぞれの家では掃除機の音がし
人々が暮らす雰囲気が伝わってきていた。
そんなところを歩いて そろそろ時間が来たので 向かった先の小道で
安倍晴明を祀る祠を見つけていた
こんなところで 安倍晴明
確かに港町な訳で 色々とあったろうと思う
良いこともあり また他の地域の人に知られらくない事もあったろう
だから 住むものにとって災いになりそうな事を避け、利益をもたらす話が街に満ちれば それは 大切にされるだろう
小さいが 石垣も造られしっかりした祠である、石垣の柵部分の石柱に名前が彫られている
寄進した人達が大勢いたのだろう、
なんとなく 眺めていた、
暑い暑いその空気が一瞬で凍ってしまっていた
そこに我が家のご先祖と思しき人物の名前があった
我が家は父が養子で跡を継いだ
養母がやけに小金持ちで ドケチだった
だが、本業は誰も知らない
もしかしたら 知っていたのかもしれないが
この話をした 母は何も知らないようだった
親戚も祖父母も一切 その小金持ちの養父母のことを話さなかった
ただ 先祖は大切にしろ だけだった
誰も言わないことに 幼い頃から 違和感があった
今はない仏壇を処分するときにも 確かめたが 供養された人物の名前以外 一切何も残されていなかった
何故 祖先の生業を私に伝えなかったのか
勿論 母も姉も知らないが 多分 父はわかっていたはず
幼い頃に連れられてきているし 縁は切ったとはいえ 年の離れた姉達も覚えている
言えない職業なのだと いつしか思うようになっていた
そして 敦賀の地で 確信になった
私の生まれた年は 世にいう 赤線廃止がされた年だ
赤線 とは 売春宿でこれが その年に廃止になり代わりの形態として バーやスナック、トルコ風呂(ソープとかいうのかな)芸者の置き屋(以前は茶屋として お客が留まった売春宿)などに変わっていった
そこに働く人は多くは寒村から連れて来られていた 幼い少女達
借金のカタにされ 家族を救うために 女衒(ぜげん)に連れられ 知らない街にきてその宿に売られ 借金を払う為に働かされる、借金が払えれれば 解放されるが たとえ 払えても 多くの子ども達はそのままその街や周辺で一生を終える、村に帰ってもいる場所はなかった。
私が 花屋に勤め始めたとき そんな人生を背負った女傑のようなオバハン達を何人も見ていた。
女衒のことをオバハン達は 人助けをしたのだと 言っていた。
もし 自分が借金を返せば 村に残る家族は無理をしなくてすむ
口減しの意味もあった。
家族が故郷で平和なら それでいい と言った オバハン達はどこか寂しげだった
ほとんどの人は 故郷に一度も帰ることなく 開放後も街で働き 時に家屋敷を構え大金持ちにもなるのだが 金は送っても故郷には戻らないと言っていた、
帰ったところでね ため息ひとつ それだけだった
どんな人生があったかは 想像できるだろうか
私は吉原の芸者宿の戦前の人達の様子を書いた本を読んだが あそこは 政府直轄のような所で 待遇は他より数段良かったようだ が、やはり 多くの少女は そことその周辺で暮らして一生を終えている
その街を支えていた 女衒 は 戦前は生業として認められていた、
人助けの一環として 寒村から 娘達の就職を世話していた、そんな 感じに取られていた節がある
今なら 犯罪行為だが
世が世だとそんなものだ
彼らが戦中にやったことを知っているだろうか
それが慰安婦を 置き屋から 女達を集め 戦地に送っていたのだ
だから 政府は言い逃れていることを 知っていますか?
命令は政府から ちゃんと出ていて その公文書も見つかっているのに
(その人物はのちの首相、当時は将校 中曽根)
全て民間が勝手にやったと 今でもいう人がいるのは このせいです
そして 慰安婦達を送り出し 敗戦時 引き上げ船がついたのが 多くの日本海側の港
そう敦賀もその一つになります
コレでもうお分かりですよね
我が家の 祖先は この 女衒 を 生業をしていたのです
安倍晴明の祠の石柱の名前は 私が確かに確かめた先祖の名前でした
この 敦賀は 私の故郷とは古くから行き来が知られている
一見すると 近くないのだが 今は使われていない道があり そこを人々は行き来していたのは
調べてわかっていた
だから 父も祖父母も親戚も私達家族に話そうとしなかったのだ
人助けのはずが 犯罪者の家族になってしまった
父の養父の写真を良く覚えている
大変慈悲深い顔立ちで 戦死した叔父もよく似ていた
人助けをしていたと信じていたと思う
それが 戦後 否定されて 今 何を思っているだろうか
今のペドや 人身売買と 少し 訳が違うが
我が家の カルマは 深いのだと思う
だから 私が この家の 供養と 今を 生きなければならないのかと
時代のせい と 言いたくない
やってはいけない事だったと思う、
それで 助かった人が居たとしても 他の手立てはなかったのかと思う
要するに 今 このような世界が 暴かれて 全てを清算する時が来たのだと思う
女衒だった人達は 赤線廃止の後 身を隠し、別の職業に変わっていった、勿論
裏の世界にいった人もいるだろう
が、我が家の祖先と親戚達は 食品工場や商売屋(田舎では商店を営むことをこんな風にいう人がいた)になっていった。
完璧に過去を消したのだ、元々は農家出身者だったものもいると聞く、我が家の祖先達も元は農村部出身と聞いている、食い扶持の為に街に出て女衒になった者がいたわけだ、生き残りをかけた中での選択だった、
母は勿論 姉も知らない話だ
話す気はしない、聞いても多分否定する
人は聞きたくない 自分の価値観が崩れるのを 極端に嫌う
枠の時も 911の時も 311の時も何度も感じていた
自分の価値観を造っているモノが誰なのか何のためなのか 知ろうとしないと全てを事実として見ることは出来ない、、その為に 足元が崩れるくらいの恐怖を耐えなくてはならない
大地震を食らったかのような 衝撃だ
私はそれを何度も経験してきている、何故 耐えられたかと言えば 真実を知りたい ただ それだけだった、嘘をつかれていたくなかったのだ。
暑さの汗でなく 冷や汗が背中を伝っていた
これを知らせる為に ここに 来たの と リュウに聞いたと思う
いやっ あっさり 否定された
やることは他にある 行くぞ
博物館に向かっていた