韓国訪問中のフランシスコ・ローマ法王は15日、韓国中西部の唐津(タンジン)で開かれたキリスト教カトリックの祭典「アジア青年の日」に出席し、南北に分断されている朝鮮半島の統一をアジア各国の若者と共に祈願しました。法王は演説の途中で、草稿にはなかった朝鮮半島問題に触れ、「二つのコリアがあるのではない。コリアは一つだが、分断されているだけだ」と自らの言葉で強調したそうです。
「僕のおじさん、今も北日本国の東京に住んでいるんです。あの戦争以来65年、未だ国境が私たちを分断していて、会えないのです。」「北日本国の人々は言論の統制もあって、未だに自由に発言もできないらしい。」「南日本の国に住む我々は、このおおい富士川の西側から北日本国を見る事しかできない。もう今は登ることができなくなった富士山を遠くから眺めると、心が痛くなります」「燃料もなく、パソコンを使う事もできない。そんな北日本国の生活を想像すると辛く悲しい思いでいっぱいになります」「北日本国では、軍備拡張予算のみが大きく、特になごや静岡市は軍事境界線に近いので、常に緊張にさらされています」
2011年1月22日、生まれて初めてDMZ(De-Militarized Zone=非武装地帯)に行きました。韓国映画「シュリ」や「JSA(Joint security area)」で疑似体験したつもりになっていましたが、現実にその場に立たせていただくと、全く何も分かっていなかった自分に気づかされました。南北統一展望台から北朝鮮を眺めました。眼下に広がるイムジン河は、マイナス10度の気温のため凍てつき、流氷がとうとうと流れていました。遠くに北朝鮮を臨みながら、分かたれ続ける両国の歴史に思いを馳せました。分断され続けて64年。思いました、もしこれが日本に起こっていたならどうだったのだろう?想像するだけで胸がいっぱいになりました。北日本国と南日本国に分断されていたら、今の私たちの暮らしは、全く違ったものとなっていたことでしょう。でもそれが現実にこの両国には存在し、多くの民衆は嘆き悲しむ状態に置かれ続けている、こんなごく当たり前の事柄を「現場」に立つことで痛感したのです。私たちは、今も何も知らないのです。
「僕のおじさん、今も北日本国の東京に住んでいるんです。あの戦争以来65年、未だ国境が私たちを分断していて、会えないのです。」「北日本国の人々は言論の統制もあって、未だに自由に発言もできないらしい。」「南日本の国に住む我々は、このおおい富士川の西側から北日本国を見る事しかできない。もう今は登ることができなくなった富士山を遠くから眺めると、心が痛くなります」「燃料もなく、パソコンを使う事もできない。そんな北日本国の生活を想像すると辛く悲しい思いでいっぱいになります」「北日本国では、軍備拡張予算のみが大きく、特になごや静岡市は軍事境界線に近いので、常に緊張にさらされています」
2011年1月22日、生まれて初めてDMZ(De-Militarized Zone=非武装地帯)に行きました。韓国映画「シュリ」や「JSA(Joint security area)」で疑似体験したつもりになっていましたが、現実にその場に立たせていただくと、全く何も分かっていなかった自分に気づかされました。南北統一展望台から北朝鮮を眺めました。眼下に広がるイムジン河は、マイナス10度の気温のため凍てつき、流氷がとうとうと流れていました。遠くに北朝鮮を臨みながら、分かたれ続ける両国の歴史に思いを馳せました。分断され続けて64年。思いました、もしこれが日本に起こっていたならどうだったのだろう?想像するだけで胸がいっぱいになりました。北日本国と南日本国に分断されていたら、今の私たちの暮らしは、全く違ったものとなっていたことでしょう。でもそれが現実にこの両国には存在し、多くの民衆は嘆き悲しむ状態に置かれ続けている、こんなごく当たり前の事柄を「現場」に立つことで痛感したのです。私たちは、今も何も知らないのです。

