昨日は、月に1度のお勉強会
自分を苦しめる思い方をやめて、
自分らしく、幸せに生きていくために・・・
お上人は、時々
「何のために信仰しているの?」
「自分にとっての幸せって何?」と質問されます。
突然聞かれて、緊張もあってかなかなか言葉が見つからず、
いつも、しどろもどろ・・・してしまうのですが
それは、緊張だけではなく、模範解答を探してしまうからなのです。
でも、その答えに模範解答はないんですよね。
いろんな人がいて、いろんな悩みがあって、
そして、いろんな幸せがあります。
つい、幸せそうな人を見ると「あんな風になりたいなぁ~」って思ったり、
「いいなぁ~、あの人は・・・」と羨ましく思ったりします。
でも、私は、どう頑張っても『その人』には成れないんだから、
私は、私として、私なりの幸せを見つけなければ、幸せにはなれないのです。
自分と他人と比較する必要はないし、したってしょうがないのです。
だから、信仰の目的や幸せの定義も、正解や間違いなんてないんじゃないかな?
なんでもOK・・・で、OKじゃないかな?
ただ、それを自分できちんと把握してないといけないですね。
目標をはっきりと心にとどめて聞法しないと、
大事なお話しを聞きそびれてしまいます。
前置きが長くなりましたが・・・
昨日のお話は、感謝の心を持つ事・・・でした。
日々の生活の中で、他人にイライラさせられることがあります。
でも、そういう思いは、結局は自分を苦しめるのです。
私も、苦手な人・嫌いな人がいます。
イライラして、苦しいです
つい、相手の悪いところばかり目について、イライラしてしまいますが、
良い所を思い出し、感謝するようにしたら、
自分の冷たい心が暖かく変化するといいます。
私も、相手の良い所を思い出し、感謝しようとするのですが、
なかなか自分の感情が邪魔をして、心が暖かくなりません
そんな自分が情けなくなったりもします。
でも、感謝の心が足りないのでしょうね。
もっとたくさん思い出し、感謝して・・・、
それでもダメなら、「そういう人だから・・・」と、
割り切ることも必要とおっしゃってました。
努力しても出来なくて、そのせいで自分を苦しめるような信仰は、
してはいけないとおっしゃいます。
私は・・・、
もうちょっと努力してみよ~っと