これまでの経緯

・鹿追キリスト教会十勝聖書フォーラムの三浦亮平牧師がNBUSを憂慮する会への批判記事を書く。

 

 

・三浦牧師の批判記事が事実誤認に基づくものが多いと感じたため、おお主よ平八郎が9つのテーマで質問を送る。

 

 

・三浦牧師から回答が無いのでFacebookのコメント欄から催促する。

・三浦牧師はまず名前を名乗るようにと返してきたので、ペンネームでお願いしたい理由を伝える。

 

・三浦牧師からは改めて匿名の回答には答えないとのこと。

 そしておお主よ平八郎に対する批判を展開なさる。

 

 

 

そして、9/29に返事が来ました。

三浦牧師の返事を引用します。

 
1通目 9/29 8:24 三浦牧師
そもそも、あなたのブログ記事そのものが、あなたのおっしゃる「三角コミュニケーション」であると思うのですが…?
あなたの文章は、自分自身の正当性を訴えたいがあまりに、コロコロ主張が入れ替わっているように感じます。
私が書いたことについては、私で責任を負います。
対立も覚悟の上です。
匿名の方と議論はしないと書きましたが、理解されましたでしょうか?
どうぞ、お引き取りください。以上です。
 
2通目 9/29 14:15(1通目の6時間後)三浦牧師
一つ、お礼を申し上げます。
あなたの記事のおかげで、彼が私とのやりとりとは別なところで、全く違うことを言っていたことが、よく分かりました。
うすうす、おかしいなと感じていたことに、確信が与えられました。
2022/9/29 Facebook
太字の点について解説します。
 
1.あなたのブログ記事そのものが、あなたのおっしゃる「三角コミュニケーション」であると思うのですが…?
三浦牧師は三角コミュニケーションの定義を取り違えています。
・公開ブログ等の議論に第三者が立ち入ること
・公開の議論の間に個人的なやりとりでの発言を持ち込むことの違いが分かってないです。
 
私が問題と考えている人間関係を悪化させる三角コミュニケーションとは後者のことです。
前者は全員がオープンな場で議論をしているということは、その議論を読む人がコメントをして輪の中に入ることは想定されていると考えます。
 
しかし後者の場合は、個人的なやりとりを勝手に持ち出しているんですよね。三浦牧師のケースでは友人の私信を持ち出すことで、友人は意図せずに知らないうちに議論に巻き込まれることになります。
 
2.自分自身の正当性を訴えたいがあまりに、コロコロ主張が入れ替わっているように感じます。
まず、そう思われるなら、どこがどう変わったか指摘していただきたいですね。
私が推測するに主張が入れ替わっていると思われてしまう点は
「三角コミュニケーションするなと言いながら、おお主よ平八郎は「憂慮する会」と「三浦牧師」の議論の間に入っているのではないか」
というところでしょうね。しかしそれは前項で説明したとおり、三角コミュニケーションの意味の取り違えですね。私は個人的なやりとりを持ち出すような議論はしていません。
 
3.匿名の方と議論はしないと書きましたが、理解されましたでしょうか?
そう言いつつここまで議論し、ここまでコメントのやりとりに付き合っていただけたことには感謝です。
 
4.一つ、お礼を申し上げます。あなたの記事のおかげで、彼が私とのやりとりとは別なところで、全く違うことを言っていたことが、よく分かりました。うすうす、おかしいなと感じていたことに、確信が与えられました。
 
ここでは、わざわざ皮肉を言うために、友人とのプライベートなやりとりを取り上げてます。
この「お礼」の問題点は
・友人が弁解できない状況で評判を落とすような印象を与え
・私が友人への不信感を抱かせるような含みのある文章
 
これこそ私が懸念していた三角コミュニケーションです。丁寧な説明が彼に届かなかったことが残念です。
 
1~3番目の点はもう議論しても仕方がないので返事はしませんでした。
しかし、4番目の点は三浦牧師と友人の関係にヒビが入ってしまうことを心配し、
今後、三浦牧師の信頼に影響がある言動でしたので、もう一度丁寧な説明をさせていただきました。
結論としては、最後の「お礼」は聞かなかったことにするのが最も良い解決策だと思い、そのように伝えました。
 
10/2 1:43 おお主よ平八郎
三浦 亮平 様
彼の発言の不一致に困惑されているのですね。
 
一つ目の確認ですが、このコメントを私に伝えることで、私がどうなることを期待しましたか?
このコメントを読んだ人はおそらく、彼が二枚舌ではないかと疑念を感じますよね。結果として、彼との信頼関係に悪影響が生じる可能性があります。

三浦牧師は決してそのような意図でお礼を言われたのだとは思いたくありませんが、結果的にそう受け取られる可能性が高いコメントとなっております。
 
二つ目の懸念点は、情報の出どころが、三浦牧師と彼との間のプライベート(非公開)なやりとりであることです。これでは第三者の私には文脈が分かりません。それであなたの主観だけで「全く違うことを言っていた。おかしいな」と言われても、あなたの言い分が正しいのか判断ができません。彼の言い分も聴いてみないとフェアじゃないですよね。

私は友人が弁解できないところで評判を落とすようなことは話したくありません。
私は議論の論拠として、第三者とのプライベートなやりとりを許可なく持ち出すことはしたくありません。なぜなら、その人を問題に巻き込むことになり迷惑をかけるからです。さらに、一度そのようなことがあると、その人は私に本音を打ち明けてくれなくなるでしょう。
友人との信頼関係を犠牲にして議論に勝ったところで、何が永遠に残るのでしょうか。
それ故、私は黄金律に従い、この「お礼の言葉」を聞かなかったことにしますね。
私からのコメントに対し、この記事を書いている2022/10/07時点では三浦牧師からの返事はありません。
 
彼は対立は覚悟の上と言いますが、まず前提となる事実誤認は修正した上で批判して頂きたいものです。
それ故に、時間をかけて9つのテーマに整理して質問をお送りしているのです。
建徳的な対話の道が開かれることを祈ります。