2005年 9月になり、セ・リーグ の優勝は岡田彰布 監督 率いる首位阪神落合博満 監督 率いる2位中日 の2チームに絞られていた。阪神 は9月6日からナゴヤドーム中日 戦に挑んでいたが、エース井川慶 で初戦を落とし、2ゲーム差 にまで迫られていた(ちなみに9月6日の中日 の先発はルーキー中田賢一 である)。


9月7日 、この日の阪神 の先発は、この年井川 よりも安定感抜群のピッチング をしていた下柳剛 、対する中日 はエース川上憲伸 だった。阪神 にとっては優勝争いから一歩抜け出すため、中日 にとっては優勝への最後の望みを託すため、どちらにとっても絶対に負けられない試合で、事実上天王山 、首位決戦であった。


まず先制したのは阪神 。4回表に4番金本知憲ソロ ホームラン で先制。阪神 は5回まで2安打 無失点ピッチング下柳 に替えて6回裏から中継ぎエース藤川球児 にスイッチした。中日 も反撃する。7回裏に代打森野将彦四球 を選んだ後、8番谷繁元信 が同点となるツーベース を放った。その後阪神 は8回表2番鳥谷敬タイムリー ツーベース で再びリード を奪う。


そして9回表、阪神金本今岡誠 の連打と桧山進次郎四球 で無死満塁のチャンスを作る。7番矢野輝弘 がセカンドゴロで本塁のみフォース アウト。1アウトとなった後、中日落合監督 は1点ビハインド の展開で守護神岩瀬仁紀 を投入。通常なら考えられないこの采配は、中日 側にとっても絶対に落とせない一戦であるとの意思表示 でもあった。阪神 は8番藤本敦士 に代打シェーン・スペンサー が起用される。しかしここでスペンサー は微妙なハーフスイング を空振りに取られる。次に迎えるのは代打関本健太郎 。ここで関本ライト 前にタイムリー を放ち、今岡 が生還。続いて桧山 の代走で途中出場していた中村豊 も本塁突入を試み、キャッチャー 谷繁タッチ をかいくぐったようにも見えたが、判定はアウト。これに怒った岡田彰布 監督 が猛抗議するも判定は覆らず。結局阪神 は追加点を1点しか奪えず、波乱含みの様相を呈し始めた。


9回裏に入り、中日 はこの回から登板した阪神守護神 久保田智之 を攻め、2点差を縮めに掛かる。アレックス・オチョア 、森野の連打で無死2,3塁と一打同点の場面となり、バッター は8番谷繁谷繁 の放った打球はセカンドへの詰まったゴロ。代打からそのままセカンドの守備に就いていた関本 がホームへ送球し、アレックス が本塁に向かう。タイミングは中村豊 の本塁突入と同等かそれよりも若干遅いようにも思われたが判定はセーフ(記録上はセカンドフィルダースチョイス 。判定が下される直前にアレックス は一瞬ヘルメット を脱ぎ捨てる仕草をしていた。)。ここで阪神 岡田監督 の怒りはピークに達し、橘高淳 球審 に向かって暴力を振るいかけたが、止めに中に入った平田勝男 ヘッドコーチ球審 を押し倒す形で結局平田ヘッドが退場処分 となる。さらに怒りが収まらない岡田監督 は守備に就いていた選手をベンチに呼び集め、没収試合 も辞さない覚悟だった。激怒した岡田監督 や普段温厚な藤川 らが猛抗議するも判定は覆らず、結局岡田監督 は牧田俊洋球団 社長 の説得により、18分の中断の後、試合は再開された。

http:ja .wikipedia .org/ 9.7の決戦にあった記述より引用 、追加改変