さてはて軽率に意味のないウソをついてしまう私ですが、昨日(日付的にはおととい)もウソをつきました。
恋愛相談を女友だちにしていて、「好きな子とか気になる子いないの?」という問いに、悩んだふりをした挙句、「いない」と一言。
まあいるんですよ。清廉で高潔がキーワード。
たしかになあと思いつつ、7~8月で俺夏生まれだし合うんじゃないかなあと思ったり、なんかちょっと特別なんじゃないかって勝手に思って浮かれたり。
おればっかいい気分にならせてもらっているから、あの子にもいい気分になってほしいし、笑ってほしいし、喜んでほしい。
根っからの照れ屋で見栄っ張りが邪魔をして、それ直接言えよ~みたいなこともあるし、思ってもないこと言っちゃうひねくれ者のおれだけど、好きになってくれるかな。
本気出すと決めたから、頑張るよ。その決意表明のブログです。
久しぶりに本気で好きだなあって思える人に今年出会えて、まだ知り合って日が浅いからとか、遠距離っちゃ遠距離だから無理かなあとか、いろんなこと考えてしまう。
普段は冗談飛ばしたりクールに振る舞ってる(つもりだ)けど、こういうことになるとネガティブが先行してしまう。
つい冷静に俯瞰して、あれこれ考えて、挙句なにもできない、思った風にならないのはもう嫌なので、周りの目は気にせず素直になる。だって好きなんだもん。
届くといいな。よろしくね。
自宅更新を終え、タバコ吸ってお風呂はいろう。そう思ってベランダ出たら雨ですよ。
少し肌寒くて、雨が降ってると思い出すことがあるんです。
小学校6年生の頃に「おじいちゃんが亡くなったから実家に行く。家に帰っておいで」と野球の試合中に小牧少年のもとに電話が届く。
嘘だ嘘だ…涙を流しながら自転車をこいで家まで帰って、悲しみにくれる間もなく実家へ。
リビングに横になっているおじいちゃんに触れて嘘じゃなかったと知る。
そしてお通夜当日、兄と葬儀場に泊まることになり、そこで流れていたのがケツメイシの「さくら」。
お通夜と告別式の両日で雨が降っていて、「おじいちゃんが悲しんで泣いているんだよ」と言っていた母の言葉を鮮明に覚えている。
ただ、そのときに話題に上がったのが、「おじいちゃんは死ぬことを予期していたのではないか」ということ。亡くなる2週間ほど前に、免許取りたての兄の運転で旅行にいって満足そうにしていたし、亡くなる直前には外出してひっそりと倒れていたとか。
なんとなくだけど、人間は自分の死期がわかるのかもしれないし、いつか死ぬことを想定して生きていく必要があるのかなと思う。自分についてはもちろん、大切な誰かがいつか死ぬ。
そう思って生きていれば、これをすればよかった、ああしてあげればよかったと後悔することを少なくできるだろう。
また、すでに後悔してしまっているのであれば、次こそは後悔しない選択を、行動を。後悔に潰されて悲しみに暮れるだけでは、死んでしまった相手、もしくは自分が浮かばれないのかな。
難しいことだけどね。後悔を抱えたまま生きていいと思うし、いつかその後悔も成仏する日がくるよ。その日まで、笑って泣いて怒って、自分に素直に生きよう。
さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる
吹き止まない春の風 あの頃のままで
君が風に舞う髪かき分けた時の 淡い香り戻ってくる
二人約束した あの頃のままで
ヒュルリーラ ヒュルリーラ
