某MAMAファンの日々雑感

某MAMAファンの日々雑感

日々の雑感、感情の機微、とりとめのない出来事、自身の備忘録的なブログです。

Amebaでブログを始めよう!
最近は秋がなくて急に冬になるなんて言われて久しいですね。ばんわ。

BIGMAMAのライブに、武道館ライブにいった日曜日も寒かったすな。それ以上に熱いライブを、音楽を、言葉を届けてくれた彼らなわけだが。

金井さんがMCで言っていたことがタイトルになってる。いつかあなたが大切な人に出会ったら、後悔のないように誠実に生きてほしい、と。ライブをみて、言葉を聞いて、おれには伝えなきゃいけないことがあって、伝えなきゃいけない人がいて、本気で大切と思える人がいて、後悔しないように、誠実に生きたくて。

音や言葉を思い出すたび、好きだって気持ちが溢れてる。楽しい場所へ連れ出したいし、楽しいことはめいっぱい、悲しいことは分かち合って、手を取り合っていきたい人がいる。

届くかどうかはわからないし、正直届かない可能性の方が高いと思ってる。

それでも伝えたいんだ。気持ちが溢れるんだ。拙くなっちゃうかもしれないけど、きいてくれるかな。

伝えにいくよ。

さてはて軽率に意味のないウソをついてしまう私ですが、昨日(日付的にはおととい)もウソをつきました。

 

恋愛相談を女友だちにしていて、「好きな子とか気になる子いないの?」という問いに、悩んだふりをした挙句、「いない」と一言。

 

まあいるんですよ。清廉で高潔がキーワード。

 

たしかになあと思いつつ、7~8月で俺夏生まれだし合うんじゃないかなあと思ったり、なんかちょっと特別なんじゃないかって勝手に思って浮かれたり。

 

おればっかいい気分にならせてもらっているから、あの子にもいい気分になってほしいし、笑ってほしいし、喜んでほしい。

 

根っからの照れ屋で見栄っ張りが邪魔をして、それ直接言えよ~みたいなこともあるし、思ってもないこと言っちゃうひねくれ者のおれだけど、好きになってくれるかな。

 

本気出すと決めたから、頑張るよ。その決意表明のブログです。

 

久しぶりに本気で好きだなあって思える人に今年出会えて、まだ知り合って日が浅いからとか、遠距離っちゃ遠距離だから無理かなあとか、いろんなこと考えてしまう。

 

普段は冗談飛ばしたりクールに振る舞ってる(つもりだ)けど、こういうことになるとネガティブが先行してしまう。

 

つい冷静に俯瞰して、あれこれ考えて、挙句なにもできない、思った風にならないのはもう嫌なので、周りの目は気にせず素直になる。だって好きなんだもん。

 

届くといいな。よろしくね。

ほしいものが買えて知りたい情報が知れる現代に生きるみなさん、はろうはろう。

もちろん僕もその一員なわけです。僕の場合だと、好きな服が買えたり、アーティストの情報が知れたり、ライブに行けたりと、物質的には裕福に生きています。(稼ぎの範囲内なの当然)

ただここ最近、「なんかもやもや」する。ここ1,2週間くらいは引きずってるもやもやがある。

なんなんだろうなあと考えるものの、なにかわかんないからもやもやしてるわけで、ちょっと考えてはまあいっかを繰り返してましたとさ。

ところがどっこいすっとこどすこい、昨日今日でなんとなく、いや、ほぼ確信に近いかな、正体に気づきました。

ちなみにわんぱく相撲に出たことはありません。ごっつぁんです。(言いたかっただけ)

余談はさておき、ズバリ

精神的に満たされてないのです。

具体的にいうと、自分ではない他者との繋がりってやつですね。人間の場合だと、彼氏彼女といった恋人とか、旦那妻とか、はたまた親友とか。親友だとちょっと難しいのかな。いや、どの分類でも難しいな。無条件に受け入れてくれる(相手はそうじゃなくとも、受け止めてもらう側がそう感じてたらこの場合はOKな)相手がいるいないでは、精神的充足に大きな差が生まれるものと思います。

なんかこう、長々と書いてみたけど、話は単純です。彼女ほしいなあ、と。

もちろん誰でもよくはなくて。お前ごときが条件つけんのかおら、とまくしたてられても、これといった条件が浮かばず、サーセン。

ただ僕の短い人生から察するに、条件で恋人を選んでるうちは、恋愛をしたくて恋愛をしているという状態なのでは、と思います。

なんかようわからんけどこの人が好きで、笑った顔が見たい、幸せにしてあげたい、というのが付き合うだったり、その先に必要なのでは。

そういう相手がいることで、僕らは「人」ではなく「人間」になっていくんでしょうか。

早く人間になりたい。


自宅更新を終え、タバコ吸ってお風呂はいろう。そう思ってベランダ出たら雨ですよ。

少し肌寒くて、雨が降ってると思い出すことがあるんです。

 

小学校6年生の頃に「おじいちゃんが亡くなったから実家に行く。家に帰っておいで」と野球の試合中に小牧少年のもとに電話が届く。

嘘だ嘘だ…涙を流しながら自転車をこいで家まで帰って、悲しみにくれる間もなく実家へ。

リビングに横になっているおじいちゃんに触れて嘘じゃなかったと知る。

 

そしてお通夜当日、兄と葬儀場に泊まることになり、そこで流れていたのがケツメイシの「さくら」。

お通夜と告別式の両日で雨が降っていて、「おじいちゃんが悲しんで泣いているんだよ」と言っていた母の言葉を鮮明に覚えている。

 

ただ、そのときに話題に上がったのが、「おじいちゃんは死ぬことを予期していたのではないか」ということ。亡くなる2週間ほど前に、免許取りたての兄の運転で旅行にいって満足そうにしていたし、亡くなる直前には外出してひっそりと倒れていたとか。

 

なんとなくだけど、人間は自分の死期がわかるのかもしれないし、いつか死ぬことを想定して生きていく必要があるのかなと思う。自分についてはもちろん、大切な誰かがいつか死ぬ。

そう思って生きていれば、これをすればよかった、ああしてあげればよかったと後悔することを少なくできるだろう。

 

また、すでに後悔してしまっているのであれば、次こそは後悔しない選択を、行動を。後悔に潰されて悲しみに暮れるだけでは、死んでしまった相手、もしくは自分が浮かばれないのかな。

 

難しいことだけどね。後悔を抱えたまま生きていいと思うし、いつかその後悔も成仏する日がくるよ。その日まで、笑って泣いて怒って、自分に素直に生きよう。

 

さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる 
吹き止まない春の風 あの頃のままで 
君が風に舞う髪かき分けた時の 淡い香り戻ってくる 
二人約束した あの頃のままで 
ヒュルリーラ ヒュルリーラ

程度にお久しぶりで〜す。

先週怒涛の忙しさにかまけてサボっておりました。

今日は匂いについて書こうかなあ。
よく言う話なんですが、季節の匂いってあるじゃないですか。夏の匂いとか秋の匂いとか。具体的にどんな匂いなのか説明はできないけど、たしかに感じる季節ごとの匂い。あれって切ないっすよね。

基本的には季節の変わり目に感じるわけですよ、僕らは。ただ、夏とか秋の匂い側からしたら、4つの季節が各3ヶ月あると仮定すると、始まりの1〜多くて3日程度しか僕らには届かないわけなんですよ。

何が言いたいかって、年1の織姫と彦星ほどじゃないけど、僕らと季節の匂いの巡り合わせはたったそれだけということです。

人間についての理解はまだまだ未熟ですが、遠く離れてなかなか会えない、触れられないもの、人に想いを馳せつつも、身近でよく会う、触れるものに心地よさを覚えていく性質があると思っているので、きっと結ばれることはないじゃないかなあ。

というわけで、4年に一度しか登場しない日暮さんは、登場週と次の週程度は「待ってたよおおおお日暮さああああん」ってなるものの、時間が経つとやっぱ両さんの度が過ぎて失敗して、部長が「バッカモオオン!!」と雷を落とす王道の展開が板についてくるわけです。

あれっ?なんの話だっけ?