子供の頃、年末の神棚の掃除は私の役目でした。

うちの神棚は、天袋のような神棚専用の場所に鎮座しており、高い場所にあるので掃除をしにくいのです。

そこで子供で体の小さな私が、天袋のような神棚専用の場所に潜入して、掃除をするのです。

さらに大晦日に、近所の神社で「左義長」(どんと焼き)のようにお札やしめ縄を燃やすのですが、これも私が持って行くことが多かったと思います。ちなみに左義長は、ちゃんと1月になってから神社でやっていて、小学生が書き初めなどを燃やしています。

大人になって兄弟の代になってからも、お手伝いで神棚のお札などを私が替えることも多く、その時は歯を磨き、洗顔して、手を洗いました。しかも手に塩を付けてから洗うという徹底ぶりでした。別に手に塩を付けて洗うなどという作法は無いのですが、それぐらい清めてから神棚のお札を替えさせて頂いていました。

これも、だんだん私以外の人がやるようになりましたけど。

うちは毎月、お坊さんが来て仏壇にお経をあげ(かなり長い間、二つのお寺から別の日にお坊さんが来ていました)、さらに年に二回は別の街のお坊さんが来て(こちらが本当の旦那寺)、神棚にも毎年、神主さんが祝詞をあげるという、そういう方面には熱心な家でした。

祖母が健在のころは毎日、ご飯を炊いたら、祖母が仏壇にご飯を供えていました。そんな祖母ですから、私が仏壇にお尻を向けたりすると注意されました。あまり怒らない祖母でしたが、仏壇は大切にしていました(祖父が本当の年寄りになる前に亡くなったことも関係あるかもしれません)。

子供のころ、祖母に頼まれて仏壇を掃除することも度々ありました。この時も、私は体の小ささを活かして、仏壇を納めるスペースと仏壇との間の隙間に入って掃除するのです。大きな仏壇です。

お正月の朝には、神棚と仏壇にお参りします。さらに神農さまの掛け軸があり、それとは別に「屋の神様」というのも祀られていて、それぞれお参りします。

この事を知り合いのクリスチャンの家庭で育った女性に言うと、「偶像崇拝ですか」と言われて、ぶっ倒れそうになりました。偶像崇拝という言い方が、癪に障ったからです。クリスチャンの感覚では、そうなのでしょう。

ちなみに「屋の神様」というのは木彫りの神像で、詳しくは知りませんが、倉に長年眠っていたものを誰かが発見してお祀りしたそうです。おそらく屋敷神なのでしょう。

神農さまの掛け軸は、水墨画の中に小さく神農さまが描かれていて、小さいので見つけにくく、子供の頃に父親に「どこに神農さまが居るかわかるか?」とよく言われました。

父親の代までは、お正月の朝には、家族と顔を合わせるとそれぞれ正座して一対一で挨拶するという「しきたり」がありました。その時は、親であっても子供の私に丁寧な言葉で「あけましておめでとうございます」と言い、さらに丁寧な言葉で新年の挨拶というか、今年はこういう年になるといいですね、今年はこういう年にしてください、頑張ってくださいみたいな、そういう挨拶を個別に全員にしました。兄弟同士も、上下関係は関係なしで丁寧な言葉で挨拶しました。

兄弟の代になり簡略化され、兄弟が食卓で全員にまとめて挨拶してから、みんなでお雑煮を食べるスタイルになりました。

でも子供時代の、お正月限定で、家族が他人行儀に挨拶し合うというのは、あれは良い「しきたり」ではあったと、懐かしく思うのです。