ろおはようございます。

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これは、発達障害、ADHD、高機能自閉症、後発難聴の私のエピソードです。

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今朝のエピソードは、
そして、私は静かに母を見送る。私が救われた母の最後の言葉のお話です、



(画像はお借りしています。)

10月の上旬に実家の母が亡くなりました。

昨年の春の腎臓癌の手術から、約、1年3ヶ月後の7月に再発がわかり、その進行は早く、9月の末に余命1ヶ月を宣告された母は、残りの時間を県立がんセンターの緩和ケア病棟で過ごす事となり、私は数日の間、連泊し、母に付き添いました。

母は私が病室に入ったとたんに、いきなり、

もうすぐお迎えが来るっていうのに、あんた(私)は再婚しないし、クマノスケ(母と同居している弟)は独身のままだし、全く、どうしてくれるの、この親不孝ものが、と、ぼやかれました。

ヤレヤレ、随分な、お出迎えだなと思いながらも、私は、母に、こう伝えました。

おやおや、いきなり何を言うかと思えば、どうするも何も、それが、私とクマノスケが選んだ人生であり、幸せです。

それは、私の子供達もそうです。彼らには彼らの人生があり、幸せがあります。

私は、彼らが、どの様な人生を歩もうが、彼らが、幸せならばそれで良いと思っています。

彼らの人生は彼らのものであり、何を幸せとするかは彼らが決める事です。

それは、私の決める事でありません。

私は、彼らが元気で楽しく幸せに生きていてくれたら、それで幸せです。

なので、すみません。
私にはあなたの言っている事が理解出来ません。

あなたの我が子である私達姉弟が、自分の人生を、元気で楽しく幸せに生きているのに、それの何処が親不孝なのか教えて頂けますか?

それを聞いた母は黙ってしまいましたが、
(母は自分の都合が悪くなると黙ります)

すぐに、話をすり替えようと、
(そして、話をすり替えます)

その日、仕事帰りに病室に訪れなかった弟への不満を言い始めましたので、

私は、母に、

せっかく、こうして、娘が、遠路はるばる広島から駆けつけたというのに、この場にいない弟の悪口を聞かされるのですか?

そして、私は、彼が来ない理由を知っていますよ。

彼は、今、来たる日の来客に備えて家の中を片付けているのです。明日も、朝早くから仕事なのにも関わらず、深夜まで片付けるそうですよ。(母は片付けられない人で、それが近年、更に進み、家の中は物で溢れていましたが、母はそれに手をつける事を断固として拒んでいました)

ひとりでは、とても大変そうなので、私も実家に戻って手伝おうか?と聞いたところ、俺がやるから、姉ちゃんは、母さんに付き添ってあげてと言われました。

彼は、今、自分の出来る事をやっているのです。

それの何処がいけないのですか?

私は、この滞在中に、あなたと、親子水いらずな、穏やかで和やかな時間を過ごせればと思い、ここに来ました。

ここで、あなたに付き添う事が、今の私に出来る事だからです。

ですが、自分の気持ちに嘘をついてまで、あなたに合わせようとは思っていませんので、今後は、悪口が始まったら席を立たせて頂きますね。

今から、昼食を済ませて来ます。ついでに売店によってきます。と、言い残し、病室を出ました。

その後も、母が誰かの悪口を言い出す度に、私は、静かに席を立ち、病室を出る事を繰り返していたところ、母は諦めたのか、私にそう言った事は言わなくなりましたが、

他の人に付き合って貰うから、もう、いい、と、ふてくされ、友人や親戚に携帯で電話をかけ始めました。

(弟の話では、母は家でも相当な電話魔で、近年、更にそれがエスカレートしていたとの事でした。そういえば、母は、私が子供の頃からよく電話を掛けていた様な気がします。

滞在中、母は、回診や看護師さんや面会人が訪れている間と、食事中と昼寝中とTVに集中している時と、私に一方的に話し掛けている時以外は、起床から消灯時間前まで、電話をかけまくっていました)

さらに、母は、TVをつけっぱなしにする習慣があり、しかも、そのまま電話をかける為、更に声は大きくなり、

(実家からの電話はいつもこうで、TVをつけっぱなしで、大声で話し続ける母に対して、何度、注意しても改善される事はありませんでした)

私は母に、
ここが緩和ケア病棟で、病室での電話に対しておおらかだとしても、流石にそれは迷惑なので、TVを消すか音量を下げましょう。そして、声のトーンを下げましょうと、注意し、説得しましたが、母は全く聞きませんでした。

母は、電話で、
誰々が私の為に〇〇をしてくれた。
この人は良い人で私の味方だから好きだ。
誰々は私が〇〇してやったのだから私に〇〇をするのは当然だ。
と、得意げに話し、

誰々が私の為に〇〇をしてくれない。
この人は悪い人で私の敵だから嫌いだ。
誰々は私が〇〇をしてやったのに私に〇〇をしないなんて恩知らずだ。
と、ぼやき続けていました。

(母は、元々、自分にとっての都合の良い人を良い人で好きな人、自分にとっての都合の悪い人を悪い人で嫌いな人とする「二極化性思考」と、

自分の思った通りに何かしてくれる人を味方、自分の思った通りに何かをしてくれない人を敵とみなす「敵、味方分断思考」の傾向と、

自分に何かをするのは当然で、自分だけが何かをしてやったと恩ぎせ、自分の思った通りの見返りを求めるなどの承認欲求が強く、それが、加齢により認知症が進んだ事で、更に、強いものになっていました)

なので、私は、病室を出て、母が電話をしている間、休憩スペースで、図書コーナーに置いてある本を読んで過ごそうかとも思ったのですが、

そもそも、私は母の付き添いでここに来ているので、そういうわけにもいきません。

私が、母のあの話に付き合えば、電話の頻度は減るのかもしれませんが、あの話は、次は誰、次は誰と無限ループで続く上に、母の性格上、それで満足する事はなく、それが、更にエスカレートして行くのは目に見えています。

滞在中という期間限定とはいえ、それは、かなり、しんどいですし、自分の気持ちに嘘はつきたくはないのです。

これは、一体、どうしたものかと考えた末に、

他の人に付き合って貰うから、もう、いい。と、言う事は、この話に付き合うのは他の誰かでも良いという事であり、私である必要はないのです。

そして、母は、自分が電話を掛けたいから掛けているのであり、私の事は、ただの理由付けにしか過ぎません。

したがって、私が、この話に付き合う必要はない。と、いう結論に達しました。

とはいえ、この話に付き合う必要はないとしても、母に付き添う必要はあるので、

(職員さんに聞いたところ、病室にその本を持ち込んでも良いとの事なので、数冊、本をお借りし)

私は、病室で本を読みながら、母に付き添い、そのまま、母の通話を聞き流す事にしました。

そして、私が病室で本を読み始めてから1時間程が経ち、

ようやく、電話を終えた母は、私に、何の本を読んでいるのか?どんな話なのか?と、聞いて来たので、

私は、その時、小林正観さんの「ありがとうの神様」という著書を読んでいて、
読んでいたページが、お釈迦さまが弟子達に伝えた。「すべてが、あなたにちょうどいい」という内容のものでしたので、それを読んで聞かせました。

すべてが、あなたにちょうどいい。
今のあなたに、今の夫がちょうどいい。
今のあなたに、今の妻がちょうどいい。
今のあなたに、今の親がちょうどいい。
今のあなたに、今の子どもがちょうどいい。
今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。
今のあなたに、今の友人がちょうどいい。
今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。
死ぬ日も、あなたにちょうどいい。
すべてが、あなたにちょうどいい。

小林正観著、ありがとうの神様より抜粋。

読み聞かせの後、母は、つまらなそうな顔をして、なんだか小難しい話だね。と、言い、黙ってしまいましたので、私は、母に、

そうですか?私は、至ってシンプルな話だと思いますよ。

今のあなたの周りにいるのは、今のあなたに相応しい、ちょうどいい人達です。

それを、有り難いととるか、不満ととるか、あるを探すか、ないを探すか、それによって人生は大きく変わってきます。

ですが、あなたの残りの時間を、不満と、ないもの探しで過ごしたいのであれば、私は止めません。

それが、あなたにとっての幸せだという事なのでしょう。人によって何を幸せとするのかは人其々ですからね。

私は、それには付き合いませんが、静かに付き添う事はしますので、次の本を借りて来ますね。
と、言い、病室を出ました。

滞在中は、こういった事を繰り返し、時間が過ぎていきました。

そして、私が帰る前日に、母は、私に大切な話があるというので聞いてみたところ、

私が亡くなったら、私がお世話になった人達に、ちゃんとお礼を言って、私の事を褒めまくりなさいよ。

私が、良く思われないと困るんだから、あんたは娘なんだから、そうしなさいよ。

まあ、私は良い人だから、みんな、そう思っているのは間違いないけどね。と、ドヤ顔で、そう言って来たので、

私はそれに対して、
お礼については言わせて貰いますが、その後のくだりについては断らせて頂きますね。

私の予想では、おそらく、お礼だけでなく、謝罪の意味でも頭を下げる事になりますので、とても、その様な場違いな事は言えませんし、出来ません。

と、ハッキリと断ったところ、

母は、とたんに不機嫌になり、
私は良い人なんだから、私の事を悪くいう人なんているわけない。謝罪で頭を下げる?そんな事があるわけがない。

みんな、号泣して、私への深い感謝の言葉を述べて、私の亡骸にすがりついて、私との別れを惜しむに決まっている。

あんたは娘のくせに私の事を全くわかっていない。いいから、私の事を褒めまくりなさい。
と、言いきりました。

そこで、私は、母に、
やれやれ、全く、どれだけ、自意識過剰で承認欲求が強いのですか?その上、誇大妄想まで広がっているのですね。

妄想は心の中か、独り言でお願いします。
それに人を巻き込まないでください。

とにかく、私は、その様な事は致しませんので、断らせて頂きますね。と、再び、ハッキリと断ったところ、

母は、すっかりとヘソを曲げ、友人に電話をかけて、私への不満をぼやき始めたので、

その間、私は、病院内のカフェで、スマホで電子書籍を読みながら、ゆっくりとお茶を飲み過ごしていました。

と、この様に、滞在中はこういった事を繰り返していましたので、当初、予定していた。「母との親子水いらずな、穏やかで和やかな時間」は、全くではありませんでしたが、殆どありませんでした。

その為、滞在中にお借りした本は10冊をこえ、電子書籍を含めると、20冊近くの本を読むという、読書三昧な日々を過ごす事となりました。

お借りした本の中の1冊に、以前の記事で紹介した「大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした」があり、久しぶりに読み返したのですが、
まさに、私は、本のお陰で心の平穏が保たれ、この滞在中に「大丈夫なフリ」をしなくても済んだという事なのだと思いました。

こうして、帰る日の朝を迎え、
その日の朝は、叔父Aが病室を訪れていたのですが、

母は、叔父Aの前で私に対して、
「この娘は馬鹿だから、土産をひとつも買ってこなかったのよ。手ぶらで来るなんて、なんて気の効かない馬鹿な娘なんだか、恥ずかしいったらありゃしない」と、言い、ゲラゲラと笑っていました。

私は、母の指示通り、頼まれた数の土産を(私が到着した日に届く様に)実家に送っていて、それが病室に届いていなかっただけで、

(母は、連日、そして、その日の早朝も、弟に、早く、土産を持って来いと催促の電話を掛け続けていましたが、弟は、連日の残業続きと実家の片付けで忙しく、休日まで来れませんでした)

(弟の休日である)その日の午後には届く予定でしたので、正直にそう伝えて、後で届けるなり、受け取りに来て貰うなりすれば良かったものの、

そもそも、叔父Aは、土産の事など気にも留めていないでしょうに、

母は、手元に土産がない事を恥だと思い、それを、誤魔化す為に嘘をつき、私のせいにしたのです。

(母は、私が子供の頃から、そして、今でも、自分を庇う為に平気で嘘をつき、それに人を巻き込み、それで、自分さえ満たされればそれで良い、人の気持ちなんてお構いなしの、そういう人でした)

私は、その事には何も触れず、ただ、静かに、聞き流していました。

それは、ここで、私が、そうではないと伝える方が、かえって叔父Aに気を遣わせますし、もう、母がそう言いたいのであれば、好きにさせようと思ったからです。

そのタイミングで、叔父Bが私を駅まで送る為に迎えに来てくれたので、

私は、母に、
今週末に、また、(私の)長男と来ますね。と、声を掛けたのですが、母はおしゃべりに夢中だったので、そのまま、病室を後にしました。

そして、私は帰宅し、
次の日の朝に母の容態が急変し、そのまま亡くなりましたので、

母の私に対しての最後の言葉は、「馬鹿な娘」でした。

ですが、私は、この母の言葉に救われました。

母がそういう人でなければ、
私は、この母の娘として、もっと、優しくしてあげるのだったとか、側にいてあげるのだったとか、合わせてあげるのだったとかと、そういった後悔や罪悪感を感じたのかもしれませんが、

母がそういう人だったからこそ、
私は、この母に対して、そういった後悔や罪悪感を感じなくても良いのだと思いました。

なので、私はこの母の言葉に救われました。
これで良かったのだと思いました。

母の逝去から3日後、喪主の弟と私と、孫である私の子供達と共に葬儀を行う中で、

母がお世話になった人達にお礼を言いましたが、母を褒めまくる事についてはしませんでした。

それは、予想通り、友人と親戚から、遠回しに、母の事で、とても大変だったと告げられ、弟と共に、

母が大変お世話をおかけし、申し訳ございませんでした。と、頭を下げる事になったからです。

それに対して、彼らは、
申し訳なさそうに頭を下げる私達と、その横で悲しそうに俯いている孫達を見て、不憫に思ったのか、それ以上の事は言わず、

あなた達も大変だったよね。頑張ってね。元気を出してね。と気遣いと労いの声をかけてくれました。

そんな雰囲気の中で、母の事を褒めまくるなんて場違いな事は到底出来る訳がなく、やはり、あの時、母に、ハッキリと断っておいて良かったと、つくづくとそう思いました。

それと、母が言っていた。
みんな、号泣して、私への深い感謝の言葉を述べて、私の亡骸にすがりついて、私との別れを惜しむに決まっている。に、ついても、

号泣する人も、亡骸にしがみつく人もおらず、実にあっさりとした。感謝とお別れの言葉が繰り返されていました。

この現状に、私は、棺の中の母に向かって、
お母さん、あなたは私があなたの事を全くわかっていないと言っていましたが、私はあなたの事をそれなりにわかっていたと思いますよ。と、心の中で呟きました。

その後、葬儀場から火葬場へと移動し、待ち時間の間に、母の友人達の間で、私が、私の方が母に〇〇をしてあげた。と言う、アピール合戦が始まり、

これは、母との思い出話だから、是非、娘の私にも聞いて欲しいと私の所に集まり、彼女達3人は、我こそはと、其々に話をし続けていました。

(やはり、あの母の友人達だけあって、彼女達も、また、自己顕示欲と承認欲求の強い方達なのだと思いました)

弔問客への対応も遺族の勤めであり、母がお世話になった友人達であり、これも母の供養の一環かと思い、

彼女達の話をひたすら聞き続けていた私に、

(そっと、小声で)ひとりでは大変だろうからと、伯母がフォローに入ってくれました。

伯母は、彼女達がエキサイトすると、親戚ならではの和やかな話題で、それを上手く中和させていました。もし、この場に伯母がいなかったら、正直、大変だったと思いますので、とても助かりました。

その後、彼女達から、
母が生前に彼女達に、母の事で、娘の私が、是非、お礼をしたい、広島に招待したいなど、(他にも色々あるのですが長くなるので割愛します)

私が、母の事のお礼として、彼女達に何かをする事が前提の話をしていたと聞かされました。

そこで、私は彼女達にこう伝えました。

私には、何の事だか全くわかりません。私は母にその様な話はしていませんし、母からもその様な話は聞いていませんので、

それは、母の作り話だと思います。

母は、そういった社交辞令的な作り話をする上に、それに人を巻き込みますので、私も何度、巻き込まれたかわかりません。

これまでにも、母は、何度も、こういった問題を起こしていて、その度に、厳重注意をして来たのですが、それでも、懲りずに何度も同じ様な事を繰り返していますので、それを理由に疎遠になった方も少なくはありません。

皆さんが、こうして、母の話を真に受けてしまったという事は、

おそらく、皆さんは、その事をご存知無かったか、それか、母が自分に都合の良い話として脚色したものを聞かされていたのではないでしょうか。

皆さんは、母とは、ここ5年から10年程の間に出会った。わりと、付き合いの新しい御友人だったそうですが、どうやら、その事を見抜けなかった様ですね。

(母の古くからの友人は、母の元を去ったり、先に他界したりと、もう、誰もいませんでした)

母が、期待を持たせる様な話をしてしまい、大変、申し訳ないのですが、これは、母の一存で行った事であり、私には全く身に覚えのない事ですので、この話は無かった事にして頂けますか。

母が、大変、お世話になった上に、この様なご迷惑をお掛けしてしまい。本当にすみませんでした。

と、頭を下げ、丁重にお断りをしたところ、彼女達からの返答はなく、無言のままでした。

そこで、(待ち時間の終わりを告げる)係の人が呼びに来たので、この話はお開きになり、その後、彼女達が私に話し掛けてくる事はありませんでしたので、

これは、やはり、私からの何らかの見返りを期待して、私に近づいて来たという事であり、あのアピール合戦もその為のものだったのでは?と、思われます。

ですが、ここで、彼女達との線引きが出来て良かったと思います。(この一部始終を見ていた伯母からも同じ事を言われました)

そして、葬儀を終え、実家に戻った私達姉弟は、畳の上で大の字になり、やれる事はやった。頑張った。お疲れ様でした。と、互いを労い、

それにしても、実に母らしい最後であり、葬儀だった。おそらく、これが母にとっての幸せな人生だったのでは。と、母を偲び、

母、本人はそれで良かったのだろうけれど、こちらはたまったもんじゃない。特に、あの友人達は一体何だったんだ。しかも、厄介な置き土産をされました。他にも無い事を願いたいところですが、おそらく、後から出て来るのでは?と、愚痴をこぼし、

何はともあれ、無事に葬儀を終える事が出来て良かった。と、ほっと胸を撫でおろしました。

こうして、私は、母を、私を産んでくれたひとりの身内として、母として、静かに見送りました。

私は、以前から、母を見送る際には、
「感謝と敬意を込めて見送る」という心境で臨もうと思っていたのですが、

この様々な出来事に、とても、そういった心境にはなれず、「静かに見送る」が、今の私の精一杯でしたので、「感謝と敬意を込めて」と、いった心境に至るには、しばらく時間が掛かりそうです。

そして、この、見送るという事に関して、(今は亡き)私のバー様は、「人は亡くなったら仏様になるのだから、仏様として送り出し、仏様として供養しなさい」と、言っていましたが、

この母の事を、仏様だと思えるには、それなりの年月が必要になると思います。

私は、天国のバー様に向かって、
バー様、あなたは、どれだけ人間が出来ていたのですか?孫の私は、ここまでが精一杯の未熟者です。情けないですが、これが今の私の身の丈です。

だけれど、人は生きている限り、学び、成長し続ける事の出来る生き物ですので、出来る限りの努力はしてみたいと思います。だから、どうか、見守っていてくださいね。と、心の中で呟きました。

最後に、母に付き添っていた時に交わした。数少ない、穏やかで和やかな話で締めたいと思います。

私は、母と「今度、生まれて来たら」と、いう話をしていました。もちろん、これは母が、今後、生まれて来たら、と、いう話だったのですが、何故か、母は私に、

あんたは、今度、生まれて来ても、私の娘になりなさい。その時は、もっと私好みの良い子に育てるから、今度は育て方を間違えないから。と、いう話をして来たので、私は、母に、こう伝えました。

私は、もう、あなたの子供にはなりたくはないのですが、あなたが私の子供になるのはアリだと思いますので、

もし、良ければ、今度は私の子供になりませんか?

今度は私の子供として、
一緒にないではなく、あるを探しましょう。
一緒に楽しい事を沢山しましょう。
一緒に沢山笑いましょう。

世の中は、世界は、幸せな事で、楽しい事で、素敵な事で、溢れています。

人生はピクニックの様なものです。
人生を、毎日を、楽しく幸せに過ごしましょう。
人は幸せになる為に生まれてくるのですから。

だから、安心して、今度は私の子供として生まれて来てください。

もちろん、嫌なら断ってもいいのですよ。選ぶのはあなたですから、そこはあなたの好きにしてください。

それを聞いた母は、なんだか不服そうな顔で、

ええっ? あんたの子供になるの?本当は嫌なんだけど、私は良い人だから、あんたがどうしてもって言うのなら、まあ、考えてあげてもいいけど。あんたが親ね。なんだか、ピンと来ない話だね。

と、ぶつくさと言いながらも、口元は笑っていましたので、まんざらでもないのかと思いました。

この話は、ここで終わりましたので、母がどうするのか?は、母にしかわかりませんが、今度は、我が子として、再び巡り会えるといいなと思いつつ、今は、ただ、静かに、母の魂が安らかである事を願っています。

(私は、基本的に、何の宗教にも属していないのでが、生まれ変わりと魂と神様の存在は信じています)

さて、ここで、現在に話を戻します。

私はといえば、母の葬儀を終え帰宅した翌日から、仕事に復帰しました。

今回の件で、10日程、お休みを頂いたのですが、私が休んでいる間に、他の職員さんや作業者さん達が、張り切って、沢山の手芸作品を作ってくれていました。(有り難い限りです。感謝です)

その為、仕事復帰後は、作業の指導と同時進行で、完成作品の検品と値付けを行い、イベント販売への参加をするなど、なんだか、とても忙しい日々を過ごしています。

プライベートでは、
すっかり、秋も深まり、出かけるのに良い季節になりましたので、何かと理由をつけては、友人達と出かけたり、一緒にご飯を食べたり、ゆっくりと本を読んだり、秋スタートのアニメを観たりと、

お陰さまで、公私共に、充実した日々を過ごしています。

長男(31歳配達業)と長男のお嫁ちゃんも元気に過ごしていて、お嫁ちゃんのお腹も随分と大きくなって来ました。(年末に出産予定です)

次男(21歳)も大学生活を楽しみ、勉学に勤しんでいます。

人は、今、ここで生きています。

今、目の前にあるこの幸せに感謝し、愛と感謝で今を楽しく幸せに生きて行こうと思います。

今、生きている者達が、自分の人生を、毎日を、元気で楽しく幸せに生きる。それが、旅立った者達への何よりの供養なのではないだろうかと思い、日々を大切に過ごしています。

いつも、このマイペースな私のブログに気持ちよく、根気よく、お付き合い頂きありがとうございます。

読んでくださる皆さまあっての私のブログです。本当にありがとうございます。

これからも宜しくお願いします。

今日も素敵な一日をお過ごしください。

※次回の更新は1月16日を予定しています。

次回の更新は、喪中の為、私のブログ記事での年末年始のご挨拶は控えさせて頂き、年明けの1月16日の「寒中お見舞いスタート」とさせて頂こうと思います。(皆さまのところには、年末年始のご挨拶に伺わせて頂こうと思います)

その時に、無事にお産を終えたお嫁ちゃんの出産報告が出来る事を願っています。

これから秋が深まり、冬を迎え、少しずつ寒さが厳しくなって来ますが、どうか、元気でお過ごしください。

おひいさま(ヘタレ)