さて、前回の記事 でもご紹介したように、長尾家を討つためには、まずその領土の周辺を固めなければなりません。


つまり、蘆名家・最上家及び周辺の独立勢力の平定が喫緊の課題です。

その戦いの軌跡は以下の如し。



1552年 1月

蘆名家の支城・猪苗代城を攻略


1552年 6月

蘆名家の本城・黒川城を攻略
蘆名家が滅亡する


1552年 9月

最上家の本城・山形城を攻略
最上家が滅亡する


1552年11月

独立勢力の支配する新庄沼田城を攻略


1552年12月

独立勢力の支配する横手城を攻略


1553年 2月

独立勢力の支配する尾浦城を攻略



ここで、気になるのは、1552年1月から6月までの空白の5カ月です。

猪苗代城から黒川城までは、それほど距離がないにも関わらず、なぜ黒川城攻略にこれだけの時間を要しているのか?


実は、扇谷上杉家の拠点・猪苗代城に向けて、蘆名家当主・蘆名盛氏殿が盛んに攻勢を仕掛けてきたのです。


天下統一事業開始当初こそ、威信最下位の弱小大名家であったものの、1552年時点では既に9カ国を支配下に治め、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった扇谷上杉家。


その当家に対して、真っ向から勝負を挑んでくるとは、さすが史実でも合戦に明け暮れた盛氏殿・・・。


しかし、多勢に無勢では、いくら英主・蘆名盛氏といえど、如何ともしがたし。


その後の趨勢は、上述の通り、さしたる困難もなく着々と領土を広げ、いよいよ長尾家との決戦の時を迎えます。