北条氏率いる相模伊豆国を除いて、関東地方をほぼ平定した扇谷上杉家。

次は、いよいよ東北地方へと勢力を伸ばします。


天下統一開始当初は、おっかなびっくり気味だった扇谷上杉家の家臣団。

しかし、関東地方での大躍進を経て、この頃には、すっかり自信をつけておりました。



 ∧_∧      相馬家?伊達家?ぼこぼこにしてやんよ
 ( ・ω・)=つ≡つ
 (っ ≡つ=つ
 /   ) ババババ
 ( / ̄∪


私自身、確かに奥羽の覇者、伊達家相手には多少の苦戦を強いられるかもしれない。

しかし、相馬家は、かませ犬ぐらいにしか思っていなかったものです。


ところが、思わぬ苦戦を強いられたのが、対・相馬家戦。


その要因は、本城・大高城の構造にありました。



扇谷上杉の野望-大高城


赤丸を付けているのが、大将・相馬盛胤殿。

少し分かり辛いかもしれませんが、この大高城、青矢印の方向からしか大将を攻撃できません。

もちろん、壁越えに成功すれば、別方向からも攻撃できるのですが・・・。


この構造では、大将とサシで勝負せざるをえません。

配下の敵将を全てせん滅し、残るは大将のみ・・・となってからが厄介でした。

窮鼠猫をかむではありませんが、相馬盛胤殿が、ガンガン騎突を仕掛けてくる。


その盛胤殿が、「騎馬A」クラスなもんですから、まともに食らった場合は即死のおそれさえあります。


そこまで運が悪くなくても、盛胤殿ひとりが暴れまくったせいで、それまで絶対有利だった戦況が、徐々に雲行きが怪しくなって・・・ごめんなさい。実は1度、リセットしました。

(リセットしたので、公式歴史には、敗戦記録が残っていません。扇谷上杉家の黒歴史ですね)


八百長再試合リベンジ戦では、まともにやり合うのは得策ではないとの判断から、

我が扇谷上杉家の猛者、長野業正・里見義弘・ダブル太田の4人が、かわるがわる盛胤殿に対して攻撃を仕掛けることで、じわじわと盛胤殿を追い詰めました。

さしもの、盛胤殿も、これでは1対4で乱取を組まされるようなものです。

これでようやく勝利にこぎつけたのでした。


正直、相馬家ごときは、物の数にも入らないと高をくくっていたものを、

小勢力(配下武将が少ない)ゆえに、かえって苦戦を強いられました。

(配下武将を倒していくうちに、大将の座に行きつくまでもなく、相手方の士気がゼロになって勝利するパターンに持ち込めない為)


自家がいかに強大になろうとも、兜の緒を決して緩めてはならないとの教訓になりました。