1546年3月に武田家と同盟を結ぶと、爾後、武田家からは頻繁に援軍要請が入ります。

ところが、我が扇谷上杉家は当時、空前の人手不足。


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なんてやってたら、1547年7月、とうとう武田家から一方的に同盟を破棄さました。

なるほど晴信殿にしてみれば、援軍もよこさないようでは、何のための同盟よ・・・ということでしょう。

しかし、武田家にとっては毒にも薬にもならない同盟であっても、扇谷上杉家にとっては、命綱ともいえるこの同盟。

すかさず、上田朝直を甲斐に派遣し、再度同盟を結びます。


扇谷上杉の野望-武田家との同盟

しかし、再度同盟を結んだからといって、無い袖は振れません。

相変わらず援軍要請に応じないでいたら、1548年8月に、またまた武田家から同盟を破棄されました。


めげずに上田朝直を派遣し、同盟を結びなおします。


扇谷上杉家家臣団の中でも、

「なんでそこまで武田家にへこへこするの?馬鹿なの?死ぬの?」

という意見がなかったわけではありません。


しかし、喧嘩をする相手を間違えては、致命傷を負います。

最強の騎馬軍団に打ち勝てるだけの戦力を築くまでは、ひたすら我慢。

武田家のポチを演じなければなりません。