僕は沖縄県人ではないから、知事選への投票権はないし、僕が現在日々生活する神戸の一市民としては兵庫県知事や神戸市長を選ぶことが大切な地方自治への参政権となるに違いない。だから、沖縄知事選に特別な思い入れを持つ必要はないと言えばないんだけど、僕自身の願う、より良い日本というもののためには黙っていられない選挙なのだ。もちろん、一般的に言って知事選というものは、国の政治にも大きな影響をもたらすものとは思うし、特に沖縄は悲惨な戦争経験を持つ地であり長くアメリカの統治下にあったという意味で、そして今もアメリカ軍の基地を多く抱える地として私達は他の知事選以上に思い入れを持ってしまうし、無関心でいてはいけないものだとも思う。ましてやかつてない民主主義の危機が叫ばれる現政権下の日本にあって、この知事選が単に地方自治の首長を選ぶにとどまらない意味を持つのは言うまでもない。大げさに言えば日本という国が今後どんなあり方をするのかを決めてしまうかもしれないものなのだ。問題となる点は多岐にわたる。アメリカと今後どんな関係を築いていくのか、その中で基地問題や地位協定をどうしていくのか、沖縄の経済発展をどんな形で実現していくのか、そこには米軍基地があることで職に就いている人の問題、基地負担に伴う政府からの支援金に頼るのではない自治体としての自立の問題、そして、現政権の憲法観や政治手法を認めてしまうのかという問題。もちろん沖縄に固有の問題も多々あるだろう。だけど、上記の問題はひとり沖縄だけの問題ではない。日本のあり方に直接関係する問題なのだ。
  沖縄県民ではない僕たちは傍観者であってはいけない。この選挙が日本にとってとても大事な時期における大事な舵の切り方を決めてしまうのだから。もちろん、僕はそういう意味で玉城デニー氏に勝ってもらいたい。一日本国民として。ただ、僕にはそれだけではない思い入れがある。
  前回の沖縄知事選。当時の現職知事が辺野古移設を認めることになってしまった後の戦いだった。当初新候補の翁長氏が本当に辺野古の基地建設に本気で対抗するのか怪しく思わせる雰囲気があった。もともと自民党とも関係の深い人だったし、話している内容も煮え切らないように思えた。当時、僕は京都市民だったけど、沖縄の翁長氏の連絡先になっているところに電話してみた。自分で確信を持ちたかったからだ。電話に出られたのは、翁長氏のお嬢さんだった。翁長氏は忙しく電話に出てもらえなかったが、お嬢さんに氏名と携帯の番号とを告げて、応援したいが基地反対の意思を確かめたい旨伝えた。折り返しの電話などかかってこないとは思っていたがそう告げることが翁長氏の決意を固めてもらう一助にならないかと考えていたのだ。それから20分後だったか、携帯に電話がかかってきた。翁長氏自身だった。僕みたいな半分自己満足目的のような人間のために忙しい中かけて下さったのだ。そして挨拶の後、「まあ見ていて下さい。私の決意が分かっていただけるはずです。」と。翁長氏はそう仰った。僕は恐縮しながらも深い感動を味わっていた。今もこれを綴りながら涙を浮かべている。翁長氏は保守派の人だと思うけれど、氏の仰った通り、思想信条よりも大事なのはアイデンティティなのだ。氏の本来の姿は僕などがどうこう言うのはお門違いだし、失礼でもある。ただ、多くの人にはよく分かっている、本物の凄さといったものが氏の言動から伝わってくるのは間違いない。僕はどうだろう。日本の行く末に関わるからということはもちろんあるけれど、僕がどんな人間であるのか或いはあらねばならないのか、そのことにかけて、だから、この選挙は玉城氏に勝っていただきたいのだ。遠い沖縄の話ではない。僕が僕であるために、翁長氏への思いも、辛い戦争体験を経た沖縄の方々への思いも、なんとも言えない沖縄の海の色への思いも、あらゆる想いを乗せて、僕には何もできないのだけれど、この選挙戦の玉城氏にエールを送る。