★PAPE-PAPE のブログ

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鉄道 鉄道模型 読書感想文 など、思いつくままに語ります。
写真、動画、いろいろ紹介したいです。

Amebaでブログを始めよう!
当ブログの更新は中止しました。
またいつの日か、気が向いたらメンテするかもしれません。
ブロガーブログに移してしばらくやってみましたが
こちらもしっくりこないので今は更新していません。

以上
なんだか眠れないのでブログってみた。

ちょっと前に読んだ本です。
著者は東京大学医学部教授、同大学医学部附属病院救急部集中治療部長
矢作直樹先生です。

簡単に言うと死後の世界はある。霊魂は不滅である。

ということを書いてます。15万部のベストセラーになっているそうです。


人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索-/バジリコ

¥1,365
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この本の何が凄いって、東大病院のお医者さんが「霊魂は存在する!」

と言い切ってしまっている点です。


お医者さんというのは、大勢の人の死に接する職業。

不思議な体験をすることもあるのでしょう。


たまに科学者で、「人間の脳は単なる情報処理装置であって、魂など存在しない」みたいなことを言う人がいますが、そういう意見を言う人は科学者として失格なのではないか?と思ってしまいます。


私たち人間はロボットでもコンピュータでもありません。

喜怒哀楽もあれば、痛いとか、熱いとか、甘いとか、いろんなことを感じます。

この、「様々なことを感じている自分の意識」

の存在は物質では説明できません。

情報処理装置である脳から受け取った情報を「感じる」魂が存在するのです。


もちろん喜怒哀楽は、物質の一種である脳内物質によって影響を受けていることはわかります。

しかし、脳内物質によって生じた喜怒哀楽を感じている主体、それは魂に他ならないと思います。なんてことを考えているとだんだん気が狂いそうになります(笑)


以前、母を亡くしたとき、主治医の先生と魂について会話したことがあります。

その先生は言っていました。

「いろいろ深く考えていくと、魂があるとしか考えられないですよね。」

まさにわが意を得たりという気分でした。


しかし、私が考える魂の形は、いわゆる「幽霊」ではありません。

もちろん幽霊が存在するとしたら、大変夢のある話ですが、現実問題として

自分は幽霊と断言できるものを見たことが無い。


見たことが無いものは信じようがない。

たとえ見たとしたって幻覚かもしれない。


仮に、もし死んだら幽霊になって霊界に行くとしましょう。

そうしたら霊界は幽霊で無限に膨らんでしまうことになります。


いや、魂は生まれ変わってどんどん修行を積んでいくんだよ。

という考えもあるかもしれない。

でももし、そうなら地球上の人口がどんどん増えていくのは納得がいかない。


いや、地球規模で考えるからいけないんだ、宇宙全体では魂の量は一定なのだ。

ということも言えるかもしれません。


では、進化ということをどう考えたらいいでしょう?

我々人間の祖先は微生物です。その後魚になって、陸に上がって、猿人から人になりました。この過程のどこで魂は生じたのでしょうか?微生物と人間に共通の魂が宿っているとは思えません。


生と死の境界線もあいまいです。心臓停止が死なのか?脳死が死なのか?

すべての細胞が活動を停止した時点で死なのか?霊魂はどの時点で体から抜け出すのでしょうか?


また逆に生まれてくるとき、どの時点で魂は埋め込まれるのでしょうか?


要するに、生と死を明確に分けて考えること自体に少し無理があって、死後魂が体から抜け出すという考えも、所詮は生きている人間が都合よく辻褄を合わせて語っているに過ぎないような気がします。


ではどう考えるか?私は魂の個性というものを否定するのが妥当と思います。

人間を生物として考えた場合、もちろん個体差=個性があります。

でも、それは所詮、脳内物質だとか、遺伝子だとか、ホルモンだとか、そういう物質によってコントロールされているものです。そうした物質的、生物的なものを取り除いて純粋な魂を取り出したとして、そこに個性が残るのか、個性がある必要があるのか?とても疑問です。


魂に個性が無いのだとしたら、魂は複数ある必要はない。

一人一個の魂は必要ないのではないか?と、かなり昔から思っています。

例えば、私はこう考えます。


宇宙はそれ自体が一つの大きな魂だと。

そしてそれは、微生物や草木や人間を媒介として表出するのではないか?と。

つまり、魂はテレビの電波で、人間はその受像機です。受像機には個性があります。ハイビジョンだったり、ブラウン管だったり、24インチだったり、カラーだったりします。でも電波である魂は一つです。そう考えると納得がいきます。


では結局、先にご紹介した矢作先生の著書を否定するのか?という話になりますが、そうではありません。矢作先生の体験のように、霊媒師が死者と交信してお話することができたって別におかしくはないと思います。


例えば、霊媒師は、宇宙に充満した魂(私はこれをアカシックレコードのようなものと考えています。)に語りかけ、そこから個人の情報を引き出して返答しているのかもしれない。


アカシックレコードとしての魂には宇宙の全情報が詰まっている。そんな空想もできます。そんなこと言ったら霊媒師は全知全能の神になってしまう、という話になりますが、そこはきっとなんらかの制限が働くのだと都合よく考えておきましょう。はっきり言ってそこまで追求してもわかるわけないし、意味がありません。


話を戻して、もし魂の根っこが一つだとしたら、ミジンコも豚も人間も草木もすべてが互いに繋がっているので、人間が豚を殺せば、その痛みは魂全体の痛みとして記憶されるのかもしれません。


まあ、豚がどれだけ痛みを感じているかはわかりませんが。

ちなみに私は勝烈庵のヒレカツ弁当が大好きです。食べるたびに豚さんに感謝して残さず食べます。



で、結局何が言いたかったかと言うと、魂は死後も存在するし、その意味で人は死なない。でもいわゆる誰それの「幽霊」というような、個性を持った霊魂は存在しないかも。という話でした。
















なんと言っても自然界は弱肉強食で成り立っているので、それを否定することは自然の摂理そものを否定することになってしまいます。だから豚を食べる後ろめたさについては「できるだけ無駄食いしない」ということで納得しようかなと。

医学は科学ではない、と誰かが言っていた。例えば、ある病気に効く薬が発見されても、なんで効くのかわからない、なんてことがふつうにある。これを科学と呼べるだろうか?というような論旨だった。


確かに医療の常識というのはあまりに不安定である。


糖尿病を例にとれば、かつては血糖値を厳格にコントロールすることが長寿につながると考えられていたが、最近は血糖値を厳格にコントロールしようとした際に起こる低血糖状態のリスクがとても高いということがわかってきたそうだ。


医療の常識はコロコロと変わる。結局のところ何を信じたらいいのかわからない。


そんな気分の中で出会った近藤誠氏の「余命3か月のウソ」という本は衝撃的だった。


近藤先生は言う。「歩いて病院に行ける人が余命3か月なんてことはあり得ない」と。無理な治療をするから早死にするんだと。すべての癌は、治療しても治らないガンと、治療する必要のない癌もどきのどちらかであるという。だからどっちにしても癌の治療は必要ない。(一部の癌を除く)という考えだ。


当然のことながら科学的でないという批判をする医師も現れた。癌もどきが本物の癌に途中で変異することが無いとなぜ言い切れるのか?という反論だ。至極もっともな反論だと思う。また、人によっては完治しないまでも、薬で癌が劇的に縮小することもある。決めつけは危険だと思う。


しかし、「医療は科学ではない」と考えれば、近藤先生のように、科学的でない主張が生まれるのは当たり前なのかもしれない。


もし私が癌になったら、信頼できる先生に相談して、治療することのメリットとデメリットを自分で勘案して治療をしたいと思っている。

医療の常識は刻々変わると思っているので、最後は自分の勘に任せて判断したいと思う。


父と生前、こんな会話をしたことがある。


私 「父ちゃん、なんで検診受けないの?癌は早期発見したほうがいいらしいよ」

父 「だって、検診で癌が見つかったとたんに死んじゃう人が身の回りに多いから嫌なんだよ」


父は科学的にではなく、自分なりの経験値と勘で、検診を受けることが生存に貢献しないことを感じていたわけである


苦痛な検査を受けた揚句に手術で内臓をかき回されて、抗がん剤でヘロヘロになり、身悶えながら死ぬくらいなら、検査や治療なんか受けない方がましだ、と考えても無理はない。高齢であればなおさらだ。


先日、JR北海道の函館本線で線路に土砂が流入し、特急列車が緊急停止した。

異常気象のせいだろうか?最近、台風や集中豪雨で線路が寸断される事例が相次いでいる。


自分が知りうる限りでも↓


2009 10月 台風の影響で名松線 家城~伊勢奥津間 が不通(2015年復旧予定)

2011730日の豪雨の影響で、飯山線 森宮野原 -~十日町間

只見線 会津川口~只見間が不通(飯山線は復旧済 只見線は復旧未定)

2012 7月の豪雨で豊肥線 宮地~豊後竹田間が不通(復旧済)

20136月の豪雨の影響で大糸線 糸魚川~南小谷間が不通(復旧済)

2013728日に発生した大雨の影響で、山陰本線 益田~須佐~宇田郷~奈古~長門市間 山口線 地福~益田駅間が不通(復旧未定)

201381日の大雨で三江線 石見川本~浜原間が不通(復旧済)


といった感じだ。

そして今回のJR北海道函館本線の一件。


こうしたことが度重なると鉄道が信頼性に欠ける交通機関であるという烙印を押されてしまうのではないかと心配になる。特に心配なのは貨物輸送だ。何かあるとすぐに長期間運行不能になるような交通機関では荷主が安心して荷物を任せられない。


話は変わるが、今回の函館本線の件で、お年寄りの乗客が作業員に背負われて、大雨の中、ずぶぬれになって運ばれているのをテレビで見て、唖然とした。


夏とはいえ、肌寒い北海道だ。風邪をひいたらどうするのか?

もう少し濡れないように配慮できないものだろうか?そういう備えはないのか?あるいは取り寄せることはできなかったのか?


それに森林に囲まれた北海道の線路上を徒歩で移動ということになれば

最悪ヒグマに襲われる危険もある。最近のヒグマは人を恐れない傾向があると聞く。大人数なら襲われないとは言い切れない。決して大げさではないと思う。


堅牢なコンクリート製高架橋とトンネルによって守られた新幹線と違って在来線は厳しい自然環境に晒されている。その分脆弱だ。

いや~暑い!

6月末に失業してから、早1か月半。就職活動は進まず。

失業保険で細々と暮らしてます。


今日、営業職としては最後の応募先である材木屋の会社から不合格通知が来た。まあ、本気で受かる気がなかったので、面接が世間話になっちゃって(笑)

受かる可能性は無いと思ってたのでショックは受けてない。


転職エージェントから広告代理店の営業職を紹介するとメールが来たけど無視。

入社しても苦労するだけだ。今時、広告代理店なんて・・・・。

仕事無いですよ。電通ですらヒーヒー言ってる状況ですから。

その電通だって派遣だらけだし。


経済が縮小しつつあるこの日本で、中堅として営業やるったら相当の覚悟と技術と人脈が無いと無理だとわかったし。


マンションのエアコンは24時間フル回転。ついにリビングのエアコンがぶっ壊れて使用不能に。おそらく室外機の基盤がぶっ壊れたのかと。前の家でも2年くらい前にぶっ壊れて修理した。1万7千円くらいとられた。しかし、今回はもうそのお金もない。年金暮らしのお年寄りなんか、エアコン壊れたら修理できないよね。


和室のエアコンで凌いでいるが、また壊れるといけないので、とりあえずエアコンを一時的にでも休ませるために外出することにした。


喫茶店に入るのもつまらないので、東海道線に乗って根府川に行くことに。

海が見える駅ということで、人も少ないし、お気に入りの場所だ。


ビデオカメラ一台カバンに入れて熱海行の231系に乗る。

いや~涼しい。


しかし!降りた途端灼熱地獄。頭がふらふら。海なんか眺める余裕なし。

全く面白くもないし、癒されもしない。夏はやっぱり喫茶店だな。


というわけでEF210の引く22両編成の貨物列車を撮影して、早川駅前のくるまやラーメンでネギ味噌ラーメン食って帰ってきた。


おしまい。










Googleのブログ「blogger」を試しに使ってみた。

意外と使いやすくて、一日でだいたい操作がわかったので

こっちに引っ越そうかと思う。


ブログ全体のデータ容量にも制限は無いようだ。

有料でもないみたい。

写真一枚あたりの容量は300kbの制限があるが気にならない。

カテゴリー分けは「ラベル」という機能で実現できる。


もともとピグとかやらないのでこっちの方が自分には合ってるかも。


日本ではまだあんまり普及していないみたいだが。

個人情報などの保護を考えると不安材料はあるが、べつに流失してこまるような情報は書き込まないのでま、いっか。


試験的に「HO、EF510のカシオペア色、比較記事」をそっちに移してみた。なお、こちらの記事も少しづつメンテする予定です。

記事内容は重複しないようにする予定。

JR北海道でディーゼル特急のエンジンから相次いで出火した件。

エンジンの燃料を送り込む量を調整する部品が折損したことが原因だという。しかし、この部品を含むユニットをすべて交換するのには2年もかかるとか。


心配なのは、この影響でJR北海道の特急北斗などが大幅に運休し、観光やビジネスなどの経済に影響が出そうだとのこと。こうしたことが続くと乗客をバスに奪われかねない。JR北海道がますますジリ貧になる可能性すらある。


国鉄の時代は今ほど高速のディーゼルカーが普及しておらず、車両にかかる負荷も大きくなかった。それに車両を開発するのも、運用するのも、転属させるのもすべて国鉄の本社でコントロールしていたから対応力もあった。


JR北海道のディーゼルカーは高速で長距離を運用される為、車両の痛みも早いと思われる。そして、これを維持するための会社としての体力も十分ではないと感じる。


鉄道は利益よりも安全性が最優先だ。だとしたら今のJR北海道は安全を確保するのに十分な体力が無いと思われる。


国鉄の分割民営化で収益は改善したが、一方で安全がないがしろにされてきたのではないだろうか?


思うにJR北海道はJR東日本と合併した方がよいのではないか?



先日フランスで列車が脱線転覆したかと思った今度はスペイン。


高速鉄道の重大事故はこれで、ドイツ→中国→スペイン

と3か国で生じたことになる。


フランスも昔TGVが脱線したが、架線柱によりかかる形で転覆までには至らなかった。「連接車だったから転覆しなかった。フランスの技術はすごい!」みたいな自画自賛してたのを覚えている。(その前に、脱線させるなよ!)


それにしても腑に落ちないのは、高速鉄道が、カーブに制限速度を超過したまま突っ込んで脱線転覆している点だ。日本の新幹線の場合ATCが付いてるからスピードオーバーした時点で自動的にブレーキがかかる。


そのような仕組みがないまま高速鉄道を走らせている点が非常に不可解だ。どうやら金が無かったから省略したらしい。そこは省略しちゃダメだろう。


あと、機関車の後ろに電源車を連結し、そこでエンジンを回して発電し、その電気で電気機関車を動かすという方式をとっていたようである。その電源車も開発に時間がかけられなくて、他の車両よりも重心が高い不安定な車両となっていたようだ。あげくに機関士が意図的にスピード超過していたとか。


思うに、欧州というのは基本的に日本人を馬鹿にしているから、日本に学ぼうとしないのではないか。唯一日本を頼ってきたのはイギリスだ。イギリスに日本の高速車両が導入されたとき、私はさすが七つの海を制した大英帝国。MI6がある国だな~と思った。(単純にフランスと仲が悪いだけかもしれないが)



イギリスは鉄道発祥の地であり、明治時代に日本に鉄道技術を伝えた国でもある。侍上がりのカマ炊きが、イギリス人機関士にケツを蹴り飛ばされたりしながら、屈辱に耐え、鉄道技術を学んだわけである。(日本人ってすごい)


それに日本は大英帝国を凋落させた張本人だ。日本は第二次世界大戦でイギリスをアジア植民地から駆逐し、戦艦「プリンスオブウェールズ」と「レパルス」を航空機で爆撃して撃沈した。


そのイギリスが日本から鉄道技術を導入したのだからある意味たくましい。イギリスの鉄道博物館には、日本の0系新幹線が歴史的車両として、保存展示されている。それほど評価が高い。


日本がイギリスに高速車両を売り込むにあたって、日本がまず最初にやったのは、車両の幅や高さを最大化する為にイギリスの路線で「車両限界」を測定することだったと聞く。


日本人の常識からすると信じられないことだが、鉄道発祥の地であるにもかかわらず、基本的なことが調べられていなかったわけである。


日本が地道に車両限界を測定して、試験運転を繰り返し、コツコツ、やっているのを見て、イギリス人は感心して、日本から車両を導入しようと決断したわけだ。


え~っと。スペインも日本から学んだほうがいいんでないか?




夏真っ盛り!ということで、最近湘南海岸の話題が

ニュースで扱われることが多くなった。


片瀬海岸では、今年から海の家で音楽を流すのを禁止したとか。

若者が踊り狂ったり、喧嘩したり、深夜まで騒いだりと、

いろいろ問題が大きくなったからだそうだ。

(なんだか、有料化する前の多摩川河川敷BBQと似ている。)


ところが、そのせいで、今度は由比ヶ浜や逗子の海岸に

音楽を垂れ流す海の家が増えてきて、若者が集まり始めたらしい。


入れ墨を入れた兄ちゃんや頭の悪そうなギャルが踊り狂い、

ラジカセを大音響で鳴らし、たいそうな賑わいらしい。


なぜこんなことになってしまったのか?

海の家の経営者のモラルが低いからなのだろうか?

それとも行政の怠慢か?

それとも若者が退廃したのか?


まあ、電車に乗って湘南行くよりグアム行った方が早いという時代。

何も混んだJRや小田急線に乗って、湘南に海水浴に行く必要はない。


まわりの大人たちを見ても、最近、湘南に海水浴に行ったなんて人は見たことも聞いたこともない。


湘南よ。安らかに眠れ。湘南フォーエバー。

最近、勤めていた会社を辞めたわけですが、

そこの会社の社長がとんでもない人で

毎朝社員に日報を提出させて、いちゃもんつけては

口汚くののしる、ということを日課にしていました。


「お前、馬鹿か?ふざけんな!なめてんのか?おい!」

なんて声が毎日のようにオフィスに響き渡る。


社員は慣れっこになっていて、ああ今日も一日が始まった・・・

てなもんです。私もどっちかというと怒鳴られたり、けなされたり

誹謗中傷されることには慣れていたので特にショックを受けることはなかったのですが、なんて馬鹿な奴なんだろうと軽蔑しきっていました。


何故かと言うと、社長本人が本当にだらしなくていい加減な人だったからです。


気に入らないことがあるとすぐに休む。

仕事がまったくできない。知識がない。

お客様の前で話せない。

苦手な相手はとことん避ける。

仕事を取ってきたためしがない。

自分の失敗を人にせいにする。

すぐに機嫌がわるくなる。八つ当たりする。

陰口をたたく。

大げさに自画自賛する。


という具合で、社員はとにかく社長を馬鹿にしていました。

社長はお飾りで、実際の仕事は社員が回していました。


私は社長に毎日因縁を付けられながらもある意味面白いなと思って観察していました。


世の中には自分のしていることを全く理解できない、反省できない、恥ずかしいと思わないばかりか、鼻高々な人間がいるんだと。


そのくせ、人に説教したり、馬鹿にしたり、できる。そういう人間が存在するものなんだと、いうことがよ~くわかったからです。


普通の人間は、

「あれ?今おれ矛盾したこと言ったよな。」とか

「あ、今おれ逃げてるな。卑怯だな。」とか

「あのとき、恥ずかしい自慢話しちゃったな。」とか

自分を振り返ったり、反省したりするもんですが


世の中にはそういう気持ちが働かない人がいるんですよね。

本当にたちが悪いです。


鳩山元首相とか、菅元首相なんかもそうでしょうか。


こういう人たちは死んだら地獄に堕ちるんでしょうか?

実に心配です。


自分はこうならないように注意しなければ。