生きる

生きる

自分の心をアウトプットする

タイトルのままに29年生きています!
Amebaでブログを始めよう!
とっても久し振りにアメブロを見た。

もはやログインの仕方も分からず
叫ぶように、感情のままに、心の声を文字に起こす気力もそんな欲望も到底なく
もう一生ブログなんて書くことないだろうなと思っていた。

2017年の内に書いた記事本当に数える程だと思うけど、書きたい、伝えたい、知ってほしい欲望が、一ミリも残らず溶けたのだ。
結婚してから、面白いほどに、溶けた。

でもね。
それは私が人に語り、話し、ひと時も喋りを止めてこない職業だったから。
結婚した事で、心底心の安定を得たから。
凸凹の欲望が、つるんとまあるくなった。
そしたら何にも言葉が湧いてこなくなった。

でもね。
それと引き換えに
自分がどうしたいか、なにをしたいか、
なにが嫌でなにが好きか、
むしろ何をしてると幸せなのかも分かんなくなっちゃったの。

「普通になりたい」と強く願って生きていたことにも初めて気づいたし
そうなれない自分にも気づいてしまったここ数年でした。

みんなと同じになりたい、
みんなのように幸せに生きたい、
誰よりもそう願ってたことに気づいたの。

でもそれは私に合う幸せじゃなかった。
呪いのような、こうあるべき、という幻想に取り憑かれて気づいたら大切なものを見失ってしまいました。

私の特性に合った人生を、
フルシカトした結果がこれでした。

一人は嫌だ。安心したい。
結婚して戸籍で縛られたら一生安心できる。
人の気持ちなんて変わらないもの、むしろ簡単に変わらないような人を選んでそんな人と生涯を共にしたい。
ずーっとずーっとずーーーーーっとそう思って生きて生きて、
その通りになり得る人と入籍できた結婚生活でしたし、
自分の嗅覚を120%信じていたけど(今も間違ってなかったと思ってる)
そもそも動機が不純だったね。

結婚して妻になった途端
私の幸せのために彼を動かすような結婚生活になってしまっていたと思う。

自分のコントロール欲、
エゴグラムでいうCPの高さに
ほとほと嫌気がさしました。

何なんだと。
病気かと。

なぜありのままの自分も相手も受け入れられないんだと。
本当は幸せになりたくないんじゃねーのかてめーはと。

絶望ですよ。


もう今は
自分の事をなにも信じられないし
何から手をつけていいのかも分からない。

そんな時間が、ずーっと続いてる。


自分を責めて、ギッタギタに傷つけて
前に進めないまま
一人だけ逆走している気分。

でも、わたしには、
書くこと
言葉で伝えることがあるんだったと
今日こうやって思い出せたから
ここからまた一歩ずつ進めるんじゃないかと思ってる。


アウトプット出来ずに
お腹の中で膿んで腐って匂ってる言葉や想いを
今日から少しずつ吐き出せたらいいな、
と思う31歳の春。