ももクロZはアイドルの系譜にあらず。直系の先祖は女子プロレスとプリプリである。※追記アリ | C.I.L.

ももクロZはアイドルの系譜にあらず。直系の先祖は女子プロレスとプリプリである。※追記アリ

一昨年くらいから何故かコメント欄やBBSで 「ももクロいいよ~」 とオススメされていたんだが、遅ればせながら去年の夏頃から皆の言う 「ももクロの面白さ」 に目覚めてしまった。

他人に薦められると意外と素直に興味を持つ好奇心旺盛なオレ様(精神年齢3歳) ではあるのだが、ももクロに限ってなんで妙なタイムラグがあったのかというと、薦められ出した当初はももクロの 「いわゆるAKB商法」 をさらに酷くした 「ももクロ商法」 を問題視する気持ちの方が強く、年端も行かない子供をかき集めてヤクザもビックリなえげつない金の作り方をするなよという感想しか持てなかったのである。

やっぱねえ、「CD○○枚買ったら××!」 みたいなのはダメよ。

長く読んでくれている読者には今更かもしれないが、とにかくオレは秋元(with代理店) みたいな芸能ゴロツキや、堀江みたいなITゴロツキの虚業手法が嫌いで嫌いで。ロリコンだのアイドルオタクだのから引き出せるだけ金を引き出すという品のない方法論にヘドが出る。

しかもそんなヨゴレ手法で金を作る手伝いをさせられている子供なんて、どんだけ頑張ったってダーティなイメージが付いて回って将来がない。芸能界なんて企業のスポンサードありきだと思うんだが、真っ当な企業がこのご時世にヨゴレに大金を出す気になるだろうか?

「アイドルとファンの密接な関係~~」 だのなんだのどんな方便を振り回そうとも、芸能ゴロツキが目先の金欲しさに子供の人生・将来を犠牲にしているようにしか思えず、ももクロもまさにそれだろうという想いから手が出なかったのだ。


だがももクロは昨年4月のメンバー脱退騒動を契機に、万策尽きたのかヤケを起こしたのか 「一線越えた開き直り方をしてしまった」 感がある。

相変わらずオマケだけ付け替えたCDを何種類も発売したりと涙ぐましいテキ屋商売をさせられてはいるが、10代の女の子が体育会系特有のアホなノリで突っ走る姿そのものに、何より強い商品力を感じるようになってきたのだ。

古いファンに聞くと 「路上時代から基本的なノリは変わらない」 と言われるのだが、であるならば発信側の変化というよりも、受け手側の認知の方に変化があったのだろう。彼女達の人間ドラマに触発されたお笑い芸人やサブカル層が翻訳家となり、「ももクロがキテる!」 という喧伝がされた事も大きい。

優秀なコンテンツには、勝手に優秀な翻訳家が付き、彼らのフィルターを通して理解しやすい形になったものが世間に浸透して行くのだが、去年のももクロがそれだったように思う。

A[ももクロ]

B[コアなファン]

C[翻訳家による喧伝・啓蒙]

D[一般層]

これまでのももクロは、AからBの流れだけでやっていた地下アイドル的な存在だったと思うのだが、昨年からCのポジションに付く著名人やメディアが目立つようになり、そこからDへ至るルートが開拓されたのである。

また、日本の芸能界は 「アイドル」 という単語の使い方を根本的に間違っているのだが、ももクロは本来の意味での 「アイドル」 という肩書き(=称号) を手に入れつつある。

本来のアイドルとは、古くはビートルズのように存在そのものが商品であり、ファンは思い思いに独自解釈の 「Myビートルズ」 に感情移入する。この場合、本業はミュージシャンだったりスポーツ選手だったりと様々で、その中でも特に人の心を惹き付けるタレント・選手がファンの心の中で偶像化され、いつしか 「私のアイドルは○○だ」 と呼ばれるようになる。これがそもそもの 「アイドル」 という存在であって、日本人が思い込んでいる 「若い女の子がフリフリの衣装を着て~」 という解釈は、日本特有のインチキカテゴリーでしかない。

さて、今現在のももクロは楽曲のインパクトと全力のステージパフォーマンスという強力な武器を持っているが、それと並んで本人達の人生ドラマも欠かせない商品となっている。

客なんか2~3人しかおらず、機材もラジカセ1個という路上ライブから始まり、大人の都合でメンバーがコロコロ入れ替わり、10代前半の女の子ばかりだと言うのに車中泊で日本全国の小さな箱を回るツアーをやらされたりと、ももクロの 「ヤラされてる感」 と「わかりやすい物語性」 は他のアイドルグループとは一線を画しているのだ。

昔から日本人はこういうのに弱い。

露骨に作り物の、80年代アイドル業界・TV業界の悪い部分を凝縮したかのような手法では、数年間は情報の絨毯爆撃で何とか誤魔化せるかもしれないがその先がない。

だが自分の人生そのものを日本人好みのスポ根ノリのドラマにしてしまう方法論ならば、「同じ時間を生きる象徴的な存在」 として認知され、そこに強い依存性が生まれる。どちらかというと、これこそが本来の 「アイドルのやり方」 であり、また 「ももクロの手法」 なのだ。


さてさて、日本には過去にもこのような手法で根強い人気を持っていた女性達がいる。

タイトルにすでに答えが書いてあるが、80年代~90年代で言うなら女子プロレスとプリンセスプリンセスが、メインコンテンツ以外のメンバーの泣き笑い(+シャレにならんアクシデント) まで全て商品として公開する 「ももクロ的ドラマ」 で大成功した例だと言えよう。

[女子プロレス]
[プリプリ]
[ももクロ]

この三者に共通しているのは、彼女達の 「ひたむきさ」 と 「人生ドラマ」 に大勢の人間が心動かされ、また試合や楽曲といった優れたコンテンツの魅力が後押しした点である。

クラッシュギャルズや極悪同盟を擁していた全日本女子プロレスは、80年代当時 「宝塚歌劇団」 にも通じる 「女性ならではの体育会系ノリ」 で大成功し、会場は男性ではなく女性ファンでギッシリだった。当時の全女は、若手の内は地味な髪型と水着で派手な技がひとつもないような試合をやらせ、顔と名前が一致しないその他大勢的な扱いをするが、チャンスさえ掴めば一晩で大スターになる事も夢じゃないというドラマ性があり、ファンは彼女達の試合単体ではなく、レスラー人生そのものの筋書きを追って応援していた。

またプリプリは 「楽器の弾ける女の子募集!」 というオーディションで集められ、アイドル(赤坂小町) としてデビューさせられるというスタートだった。だがその活動は彼女達が望んでいたものではなく、そしてセールスも振るわず、事務所移籍や何度かのバンド名変更を経てプリンセスプリンセスとなる。だがそこからはとんとん拍子で、気付けば 「日本一の女性バンド」 としての地位と名声を獲得した。

このプリプリの立志伝はももクロのそれと非常に近く、プリプリも最初は客よりバンドメンバーの方が多いという 「デパートの屋上でみかん箱の上で演奏してます」 的な状況から始まっている。それが単独ライブの集客が地道に増え、キャパ100人の箱から200人の箱になり、それが300人の箱になり、渋谷公会堂での単独ライブを成功させ、Diamondsで大ヒットを飛ばし、遂には女性グループとして初の武道館ライブを大成功させ……と、ほんの2~3年で驚くべき化け方をしてのけた。

プリプリを追いかけていたファンは、DiamondsやMといった今に残る名曲に惹き付けられた面もあるだろうが、それ以上にこうした 「メンバーの人生そのもの」 の虜となり、息の長い人気を持つに至ったのである。

加えてももクロとプリプリの 「見せ方」 を比べてみると、両者の類似点が更によく解ると思う。

ROCK ME PRINCESS PRINCESS
このMVにはオフショットや下積み時代の映像が使われているのだが、それはももクロファンがYOUTUBE等にアップしている動画と方向性がまるで同じなのだ。

動画サイトにアップされるももクロの動画は、今現在の公式映像だけじゃなく、路上時代のももクロや、メンバーがももクロになる以前の映像(有安ならオカザイル、あーりんならおはスタ等) まで多種多様なのだが、プリプリもそうした 「歴史」 を全て公式の映像としてVHS作品に収録したり、TVで流すといった手法で公開していた。



少々話が取っ散らかるが、先に挙げた女子プロレスでも、地上波放送等の特集として 「○○選手の若手時代の貴重映像」 といった具合に、何年も前の下積み時代の映像が掘り起こされていたのだが、これも方法論としては全く同じである。

このように、女子プロレスにしてもプリプリにしても(そしてももクロにしても)、ファンは彼女達の人生そのものを応援し、また彼女達の存在自体がファンに対する 「人生応援歌」 となっていた。

そしてこの三者には 「プロレス」 という共通項がある。

ももクロのマネージャーがプロレスファンだとか、演出家がPRIDEを手がけてた人間だという事はよく知られているが、実はプリプリも女子プロレスファンとして有名で、試合を見に行ったり個人的な付き合いがあったりと、何故か 「プロレス」 がキーワードになって繋がってしまうのである。

※ついでに言うと、プリプリの渡辺敦子・富田京子、SHOW-YAの寺田恵子・五十嵐美貴らが結成した女性バンドの名前は 「全日本女子プロバンド=通称ゼンジョ」 である。


これだけ材料が揃うと、3歳で親に女子プロ禁止を言い渡され、小学生でタイガーマスクよりクラッシュギャルズにハマり、中学になるとプリプリにハマったオレが、ももクロにハマらない理由がない。

またこれはオレ個人に限った話ではなく、周囲でももクロももクロ言ってる中年の知人数名に 「子供の頃は何にハマってた?」 と聞いたところ、面白いようにプリプリもしくは女子プロレスと答えやがった訳で。

ほんとね、キミらいい歳こいて足並み揃えて同じ地雷を踏むんじゃねえよと。

でも考えてみたら、芸能・スポーツに限らず、アニメやマンガの世界でも昔から 「女性の体育会系ネタ」 はヒット要素だったでしょう?

エースをねらえ!やアタックNO.1なんか女性スポ根の定番だし、宝塚も言ってみればそれだし、男の体育会系は臭くて暑苦しいだけだけど、主役が女性になっただけで一気に華やかになって一般ウケするっていう。

あと最後に余計な事を付け加えるならば、女子プロ・プリプリ・ももクロの三者とも 「明るいバカ」 という共通点があったりする。

プリプリなんか酷いよ?

人気絶頂の頃に 「メンバー全員で合宿生活してた時代に、中山加奈子がトイレで大嫌いなゴキブリと遭遇し、パンツを下げたままおしっこを漏らしながら奇声を挙げて部屋中を逃げ回った。腰を抜かして発狂してる中山を尻目に、誰が床のおしっこを掃除するかで喧嘩になった。」 とか言っちゃうんだぜ?

後は 「THE辛辣」 こと富田京子姉さんの 「20代も半ばになって処女だったら逆に気持ち悪いじゃん」 とかも酷かった。まさか自分達のラジオで堂々とそれを言ってのけるとは思わなんだ。

そういえばプリプリが期間限定で再結成するそうなので、もし可能ならももクロとプリプリの 「新旧体育会系女子対決」 を実現して欲しいなあ。

両者のステージを見比べれば、ももクロの直系の先輩が 「いわゆるアイドルさん」 じゃなくてプリプリだって解ると思うから。



ってな訳で、最後はあれこれ動画を貼り付けてみる。

まずはプリプリ流のハイテンション劇場をお楽しみください。

プリプリってのは実に不幸な一面のあるバンドで、未だに 「本人達は演奏してない」 とか 「ライブでは裏でスタジオミュージシャンが演奏してる」 なんてアホな妄言を吐かれたりしてるんだけど、そういうバカはこのラストライブの演奏でも見てみろと。これをどうやったら差し替えられるんだっつうの。可能だとしてもどんだけ手間暇かかるんだよ。

後期プリプリの男女関係ないバンドとしての完成度の高さを思い知りやがれと言いたい。



次はももクロを象徴するこの1曲。

アクロバットありバレエありストリート風のダンスありとひと通りの動きが組み込まれているんだが、サビ以外を生歌で通してるところにヤケっぱちさを感じる。この運動量で生歌って厳しいよなあ。どんな訓練させられてんだこの子達は。



そんでもって怪盗少女を本人達が衣装を着てカラオケ屋で歌ってるという極度のバカ映像。これぞ 「明るいバカ」 を体現しているナイスな動画である。


へっちゃら~パイロットになりたくて
そしてまたもプリプリのラストライブから、彼女達がポップなだけじゃなく、そもそもは荒っぽいロックサウンドの人達だったのよ?という事がよくわかるこちらを。



オレがももクロのMVの中で最も好きなのがこのミライボウルのdance shot ver.である。バックは白1色で固定カメラ1台のみと、これ以上ないほど学芸会チックなんだが、それが 「ももクロのパフォーマンスとはなんぞや?」 を表現する最高の手法であるという驚き。

曲がNARASAKI&ヒャダイン節が炸裂し過ぎてて初見は違和感が酷いんだけど、この映像だと曲の無茶な繋ぎ方もパフォーマンスを生えさせる為の味付けなんだと納得できる。最初は 「なんだこの曲?」 とハテナがいっぱいなんだが、3:00~ 3:30~ 4:00~と、ラストが近付くにつれて2重3重の畳み掛けがあり、最終的には 「どこまで突き抜けるんだこいつら!」 と虜になっているという麻薬っぷり。

ももクロはよく 「進んでアウェー戦に出て行って勝って来る武闘派アイドル」 なんて言われ方をするんだが、ミライボウルはその 「ももクロがアウェー戦で自分達を認めさせるまでの流れ」 を、1曲の中で表現しているかのようだ。最初は違和感から入るんだけど、曲終わりにはキッチリ屈服させられてるっていう。


BEE-BEEP プリプリサミット
プリプリというと奥居香の洗練された楽曲のイメージが強いと思うが、中にはこのような、ももクロで言うならZ伝説を思わせるようなバカ曲もあったりする。(歌詞の内容はこっちの方がずっと辛辣だがw)

初期の頃はアイドル大失敗時代のトラウマからか、楽曲のイメージに気を配っていた感のあるプリプリだが、人気実力共に不動のものとすると、途端に肩の力が抜けて自由気ままなスタンスになった。セールス的にはDiamondsの前後辺りが最も好調だったが、バンドとして本格化したのはプリプリブームが一段落したBEE-BEEP~マジェスティックの辺りだったように思う。(そこまで売れなかったけどマジェスティックというアルバムの完成度の高さはちょっとすごい)



ふたりが終わる時

そんなマジェスティックから、プリプリ後期の隠れた名曲を。実質2:40くらいしかない短い曲で 「サンプル版か?」 と思わなくもないあっさりさなんだが、それが失恋曲としてこれ以上ない構成になっている。

この辺りの後期プリプリを見ていると、ももクロもこんな具合に 「自然に年を取ってもらいたい」 と思えてくる。10代なら10代なりに、そして20代なら20代なりに年相応に悩み、泣き、笑い、その全てをあるがままにさらけ出すという手法こそが彼女達に相応しいように思う。


最後に、先ほどももクロを 「アウェー戦で勝てる武闘派アイドル」 と呼んだが、プリプリもまた 「女にロックが出来るわけがない」 という偏見(=アウェー) を吹き飛ばしたバンドであり、ついでに言うなら男性のプロレス興行に乗り込んで 「女子プロレスなんてイロモノ」 という偏見をぶち壊し、全女の興行に男性プロレスのファンを呼び込んだのがブル中野や北斗晶といった女子レスラーである。

そういう 「アウェー戦に異常に強い」 ところも、オレが女子プロレスとプリプリをももクロの先祖と呼ぶ大きな理由だ。

そしてももクロが今以上に 「化ける」 為には、何より先に 「ももクロ商法なんてあこぎな商売をしてるグループ」 という負のイメージに打ち勝たなければならない。彼女達にとって、自分達の過去との戦いこそが最大のアウェー戦になってしまっているのである。

アイドルファン達が何を言うか知らんが、ビジネスとして企業相手のプランニングをしている人間からすると、ももクロ商法のようなヨゴレイメージが一度付いてしまうと、それを払拭してまともなスポンサーを獲得するのはとても難しい。

ファンにとってはキラキラしたキレイな存在に見えているかもしれないが、よく知らない人間からすれば、ももクロは 「テキ屋商売をしているヨゴレ」 である。

そうしたイメージを変えられるかどうかが、彼女達が飛躍できるかどうかの分水嶺になるのではなかろうか?


ただね、最初は疑いの目で見てたオレが今じゃこの有り様なんだから、まっすぐ突っ走って行けば何とかなると思うのよね。90年代から00年代に入って夢中になれるアイドルがいなくなり、「オレも年なんだなあ」 と思ってたのに、まさか10年代に入ってから再びアイドルを見つけるとは思いもしなかったんだから。

これは彼女達というよりも、彼女達の周囲にいる大人達に 「キレイな道を進ませてやってください」 と言いたい。こんだけ汗水垂らして頑張ってる子に品のない商売をやらしちゃ可哀想すぎるだろう。




※追記1
記事をアップしてから 「NAONのYAONをホームゲームに出来る唯一のアイドルグループがももクロ」 なんて表現を思い付いたんだが、リアルタイムで気の利いた言い回しが出て来ないところがオレ様のインチキライターっぷりだなと思い知った次第。

※追記2
またも追記。

90年代女子プロレスとプリプリのアウェー戦での強さについて言及したが、そこで大事な事を言いそびれてる。

彼女達のアウェー戦での勝利によって、ファン達に 「人前でプリプリファン(もしくは女子プロファン) を名乗っても恥ずかしくなくなった!」 という 「救い・解放」 がもたらされたんだよ。

これ、これが一番大事なポイントだった。

畑違いの場所で勝つ、逆風を跳ね返すってのは、本人達だけじゃなく、そのファンにも 「具体的なご褒美」 があるのね。

それを与え続けられたからこそ、プリプリにしても女子プロにしても一時代を築けたのである。