記憶に残るクソゲーを元ゲームライターのオレが語ってみせるよ! | C.I.L.

記憶に残るクソゲーを元ゲームライターのオレが語ってみせるよ!

僕らの青春の思い出?記憶に残る“クソゲー”って?

こういう "クソゲー" を題材にした記事って昔からテキストサイト界隈で頻繁に上がってたんだけれども、オレは元ゲームライターを騙る(騙るなよ) 割に、意外と "クソゲー" という切り口ではゲームを紹介していない。

というのも、"クソゲー" って単語はそもそも 「本当に救いようのない欠陥品・駄作」 を指す言葉だったのに、いつの間にか 「愛すべきトホホなゲーム」 を指す言葉に変わってしまったからなのだ。

同じような例に "オタク" という単語があるんだが、あれだってそもそもは 「人と満足にコミュニケーションを図れない異常者」 を指す言葉だったのに、いつの間にか 「何らかのマニア」 を指すヌルイ言葉に変わってしまった。

しかしオレはそもそもの単語の意味が脳にインプットされてしまっているため、迂闊にクソゲーだのオタクだのと言いたくない。オレの中での "クソゲー" や "オタク" の意味と、世間で通用している単語の意味とが剥離し過ぎているため、「伝わらない」 という恐怖心があるからだ。

例えば上のリンク先の記事に並んでいるタイトルを挙げてみると、「キャプテンED」 は果たしてクソゲーだろうか?厳密に言うと "操作性がトホホな電波ゲー" と評すべきじゃなかろうか?

同様に 「ミシシッピー殺人事件」 や 「トランスフォーマー」 は、"鬼ゲー" や "不条理ゲー" と評すべきじゃなかろうか?

ちょっと操作性が悪いとか難易度が高いというだけで、あれもこれも "クソゲー" と呼んでしまう風潮に納得がいかない。先ほどの記事の中に挙がっているゲームの内で、オレがクソゲー濃度が濃いと思うのは 「セングラ」 と 「デスクリムゾン」 の2つだけである。

「たけしの挑戦状」 はクソゲーの代表のように言われているが、「不条理!鬼!説明不足!」 が混在となっているだけであって、クソゲーの一言で切って捨てるのがためらわれる。

だって遊んでみると意外と面白いんだもの。

「遊ぶのが苦行」 だとか、「どこに着目すれば面白いのかわからない」 とか、「払った金額分取り返せると思えない」 とか、「とにかくストレスが貯まって平常心を保てない」 という項目を満たす事が、"クソゲー" と呼べる最低条件であるとオレは考える。

いわば 「全否定できなきゃクソゲーじゃない」 のだ。制作者を呪いたくなるようなどうにもならない代物でない限り、安易にクソゲーなどと呼ぶべきではないのである。

もっとこう、この世のあらゆる負の感情を凝縮させたかのようなドス黒い憎悪がメラメラと燃え上がるゲームでなければ、クソゲーの肩書きを背負う資格などないのだ!

その点でデスクリムゾンはグダグダすぎて愛着が湧いてしまったため、"愛すべきバカゲー" にランクアップされてしまう。やはりプレイしていると笑えてくるというのがデカイ。言ってみればデスクリムゾンは語られ過ぎたが故に "癒しゲー" と化しているのである。

となると残るは 「セングラ」 だ。

これは本当に酷かった。オレが恋愛シミュレーションに興味がないというのもあるが、それ以上に内容が薄っぺらで酷すぎた。

まずオープニングが "キ○ガイ" と呼んでも名誉毀損にならなそうなレベルで狂っている。デッサンが狂ってるとか、構図が前衛的すぎるとか、なんかもう具体的に指摘するのが嫌になるほど狂気に満ちている。

いざゲームを始めても、平日は学校とアルバイトに追われ、週末になると女に呼ばれ、わざわざ地方まで遠征(シビアに金が減る) して、なんでか知らんけど 「鳥の巣箱作って」 と強要されて、巣箱を作り終えたら他に何をする事もなく 「帰れ」 と言われ、以下同じようなイベントの繰り返しという究極のパシリっぷり。

日本全国に散らばる現地妻候補どもの望みを叶えるためだけにバイトで交通費を貯める毎日……なんてゲームを、一体どんな層が喜んで遊ぶというのだろうか?

しかも大手企業がよってたかってプロジェクトに参加し、マルチメディア展開だなんだと大袈裟に動き回ってたクセにコレだったもんだから、そりゃもう当時は罵声罵倒の雨あられだったわけでございまして。

ほんとやってる方が常に 「せつなさ炸裂※」 しているという酷いゲームだった。

※せつなさ炸裂
セングラのパラメータのひとつ。このゲームには好感度とせつなさ度ってのがあって、イベントをこなすと好感度が、連絡しなかったりするとせつなさ度が上がる。せつなさ度がMAXになると 「せつなさ炸裂」 状態になって、女に会えなくなったりする。自分で説明しててもよくわからねえ。


ギャルゲー好きの中にはセングラをある程度評価する人間がいるかもしれないが、オレはそもそもがギャルゲー嫌いなので、セングラなんか苦痛・苦行でしかなく、面白い要素などなにも見つけられず、コレはまさに 「クソゲー!」 と呼んでも全く心が痛まない。

しかし今まで実際に遊んだ中で 「セングラ」 と同格のクソゲーとなると意外と少なく、強いて言えば 「ゼノギアス」 や 「スーパーモンキー大冒険」 が引っ掛かるくらいじゃなかろうか?

「ゼノギアス」 は序盤こそまだ普通に楽しみつつ遊べていたんだが、シナリオが進むに連れてイライライライラ……。

その辺の有名なSF作品や、当時流行っていたエヴァなんかからネタを少しずつパクってきたかのような同人SSレベルのクソどうでもいい話を延々と追わされ、ディスク2枚組のうちの2枚目に突入するとマップ移動の自由すら奪われ、単なるサウンドノベルを読まされている最中に強制戦闘が入る的な すでにRPGですらない作者のオナニー に付き合わされる事になり……これを一体どう楽しめというのか!?

しかも当時この作品のシナリオを書いたとかいうオタ女みたいなのが、方々でデカイ口を叩いてたわけですよ。「これは私の渾身の完全オリジナルストーリーです!」 みたいなノリで。


どこが完全オリジナルなのかと!

どう見たってベースがエヴァそのまんまで、そこに数々のSF作品やアニメから拝借してきた要素をヤッツケで付け加えただけじゃねえか!

てめえ創作をディスってんのか!




これくらい憤れてこそクソゲー。

で、このような湧き上がる負の感情の他に、一応3Dダンジョンなのに視点がゴミだったりと、面白い点もあるのにそれ以上に酷い点が圧倒している状態で、見事なまでに 「フォローする気になれない超駄作」 としてオレの心に刻み込まれる事になってしまった。

吐き気すらもよおすゼノギアスを遊ぶくらいなら、それの出典と思われる作品を読んだり観たりする方がよっぽど面白い。

恐らく先に出典になってそうな作品を色々と知ってたから必要以上にカチンときたんだと思うが、そんな理由はどうでもいいくらいとにかくイライラする。他人のマスターベーションに付き合わされるだけで自由度がないなんて、それってゲームと呼べるのか?


「きっとみんな許してくれるさ」 ←EDの台詞


誰が許すかクソボケ!


世間が許してもオレだけは命続く限りゼノギアスだけは許さねえ!



と、この調子でゲームをこき下ろしていくと読んでるみんなも気分が悪くなると思うので、これ以降は視点を変えて クソゲーと呼ばれている作品の隠れた魅力を紹介しつつ、正しいレッテルに張り替えてあげようと思う。

やっぱほら、ゲームってのは前向きに楽しまないとネ!

(スーパーモンキー大冒険に関してはプレイ動画 とかが転がってるので各自で探してみてネ!)



■「クソゲーじゃないのにクソゲーと呼ばれている可哀想な子たちを正当に評価しよう!」のコーナー

オレは10代~20代前半くらいの頃に周囲にゲーム好きな友人が多かったので、定期的に彼らから 「このゲームをクリアするまで遊んでみろ」 と、色々なゲームが挑戦状のように回って来ていた。

上に挙げた 「セングラ」 や 「ゼノギアス」 もそうやってノルマとして押し付けられたものだったんだが、中には普通に楽しめる作品も多かったのである。

以下はそんな経緯で遊ばされるハメになった作品や、元々子供の頃に遊んでいた作品を、安直にクソゲー呼ばわりするのではなく、もっと正当に評価しようという試みである。


・スペランカー
まずは軽く有名どころから。これは落差に弱いという貧弱ぶりにインパクトがあっただけで、間違ってもクソではない。言ってみれば "鬼ゲー" である。しかし注意して進めば鬼というほどのレベルでもないので、"難しいアクションゲーム" というだけの話でしかない。これをクソと呼んでしまっては問題あるように思うのだが、なぜかクソゲー系の話に必ずと言っていいほど名前が挙がってしまう可哀想なゲームだ。てか、スペランカーってアクションゲームとして普通によく出来てるだろ?(これがクソゲーだとあの当時のFCゲームの殆どがクソゲーになってしまう)


・バンゲリングベイ
これもなぜかクソゲーとして語られる事が多いゲームなんだが、その理由は操作の難しさにあったんだろうと思う。自キャラがヘリで、旋廻や加速・減速といった動きにクセがあったために子供が苦労したというだけの話なのだ。だが操作にクセがあるというだけで、当時としてはよく出来ているゲームであり、全くクソゲー的ではない。これは一部の人間が過去に苦労させられた苦い思い出を蘇らせて、安易にクソゲーと言ってるだけだろう。言うなれば "難易度が高いゲーム" というだけである。


・燃えろ!!プロ野球
意外と有名なクソゲーの一言で片付けられる事の多いFCゲームだ。これはファミスタに対抗して等身が人間に近いリアルな野球ゲームとして登場したが、哀しいくらいにバグが多く、あっという間に "ダメゲー" という評価が下されてしまった。しかしオレは燃えプロが好きで好きで。有名なバントホームラン以外にも、助っ人ガイジンピッチャーが緑色の顔をしてる事があったりとか、何がバグで何がバグじゃないのかわからないカオスっぷりがたまらなかった。マトモな野球ゲームじゃないと思って遊べば充分に楽しめる作品だったと思う。従って燃えプロはオレの中でクソゲーではない!薄目になればちゃんと遊べるんだからクソゲーって呼ぶな!


・ドラゴンズレア(FC版)
・ソードオブソダン
この2つはマイナーなので知っている人の方が少ないと思うんだが、両方とも究極レベルの "鬼ゲー" である。しかし攻略が不可能なわけではなく、オレの友人に実際にソードオブソダンをクリアしてみせた人間がいるので、簡単にクソだの欠陥品だのと切り捨てる事は出来ない。「攻略してみせよう!」 とか 「もう少し頑張ってみよう!」 と思えるうちはクソゲーではない!ゲームは自分との戦いなんだ!甘ったれんな!洋ゲーなんだから難しかったり不条理だったりして当たり前だろ!


・姐さん
これはカルトな人気があるファイナルファイト系のゲームなんだが、独特のセンスが暴発しているだけであって、実際に遊んでみると意外と面白い。特にヤンキー(レディース) 特有のポエムや、"ヤンキー女に限ってファンシー好き" というところにまで着目している点は、クソどころかディティールが秀逸だと評価できる。よってこれは "面白いバカゲー" であって、なんでこのゲームが "クソゲー本" とかで取り上げられるのか不思議でならない。「インパクトがあればクソゲーと呼んじゃえ」 みたいなの止めてくれませんかね?


・花の慶次 雲のかなたに
花の慶次の格闘ゲームというだけでドキドキしてしまうが、スーパーファミコンの限界もあってかなり残念な内容だった。しかし捨丸の火縄銃の弾道が見えなくて凶悪とか、慶次の必殺技である松風がコマンドがシビアすぎて出せないとか、リングアウトすると決まり手が 「落下の痛手」 と表示されるとか、涼風度や傾奇度とかそれらしいパラメータがあるとか、ダメはダメなりにジワジワと引き寄せられる魅力も。友達同士集まってワイワイやりながら遊ぶとそれなりに笑えたりするので、これもまた "バカゲー" と評価すべきと思われる。


・未来神話ジャーバス
大好き。(以上終了)

いや、もう少し説明するけれども、これはファミコンの限界の犠牲になった時代のあだ花だと思う。システム的には今出しても通用しそうな盛りだくさんっぷりだし、一言で説明するなら 「早すぎた」 のである。しかしジャーバスについては過去に何度か語ったことがある ので、そっちを読んでください。ツボ集め苦行だよツボ集め。


・星を見る人
これは確かに酷かった。バランス調整もクソもなく、いきなりフィールドに放り出され、東西南北どっちに進むか間違ったら "絶対にその時点では勝てない敵" にフルボッコにされてゲームオーバーというナイスな仕様。しかし辛うじてセーブが可能だし、最初の町にさえ到達すれば後は頑張りが効き、話が進むと普通のRPGになる瞬間もある。今ではクソゲーの代表格というような語られ方をしているため挑戦する人間も多く、クソというより "チャレンジゲー" や "マゾゲー" と呼ぶべきだろう。よって上でも言ったがチャレンジしようと思える時点でクソじゃないのだ!本当のクソゲーってのは、もっとこう殺伐としてムキー!っとなるようなものなんだ!


・シェンムー (一章横須賀)
これは無理に評価しようとする勢力(主にゲーム業界の人間) と、単にクソゲーの一言で済ませようとする勢力(ユーザー) とが、壮絶な戦いを繰り広げた問題作である。なんたって制作費70億円を謳い、各界から層々たるスタッフをかき集め、TV・雑誌など媒体問わずとんでもなく大規模な宣伝を行い、いざ蓋を開けてみたら 「あれ……?」 っていうズッコケっぷり。

よし、わかった。

このゲームは語ると長くなる。

お前ら覚悟して読め。


■突然ですが、シェンムーがいかに凄いか啓蒙するコーナーです

まず主人公の父親は謎の武術家で、家の道場に忍び込んで来た謎の男に殺されてしまう。その父親の仇を討つとか、父親が襲われた謎を解くとか、まあそんな目的で主人公の旅が始まる……と言いたい所だが、これが面白いくらいにどうでもいい日常が繰り広げられるだけなのである!

このゲームはフルボイス+フルポリゴンで横須賀をモチーフにした町並みと、そこに済む人間が表現されており、言ってみれば3D系の箱庭ゲームのハシリのような内容だった。

しかも執拗なまでに "リアル" にこだわっており、「リアルな箱庭の中でリアルに人間が生きているんだ」 というのが最大のウリだったように思う。

しかしプレイヤーの自由度は殆どなく、突き詰めて考えてみると本筋は単なるフラグを立ててイベントを起こしていくだけのAVGでしかない。これがシェンムーの歪みの最大の要因になってしまっている。

制作者がゲーム性よりもリアルさにこだわったために、ゲーム内のあちらこちらで破綻が生じてしまっているのだ。

例えば時間の流れ一つ取ってみてもプレイヤーの自由にならず、ゲームとして非常にテンポが悪い。例えば自宅から毎日のように頻繁に通う事になる商店街へ繰り出すのに、【自宅マップ~住宅街マップ~町外れマップ~商店街マップ】 と、緻密に描かれた箱庭内をテクテクと徒歩で移動しなければならないのだが、悪い意味でリアルに時間がかかってしまうため、その往復だけで心が折れそうになる。

そんな状態であっちこっちでフラグを立てて回らないといけないのだから、それはもう日々の作業が苦痛でしかない。どうも制作陣には 「リアル過ぎたら面白くない」 という単純な話がわからなかったようだ。

具体的に言うならば、現実世界で徒歩5分くらいの距離を、ゲーム内でも本当に5分かけて歩かせるんじゃねえよ!という事である。

しかも主人公の男は毎朝出かける時にお手伝いのバアさんから500円玉をもらって収入を得ているんだが、その小遣いで自販機でジュースが買えるとか、駄菓子屋でガチャガチャが出来るとか、ゲーセンでSEGAのレゲーが遊べるとか、捨て猫に餌をやって育てられるとか……といった具合に意味のわからない細かい要素が詰め込まれすぎており、リアル路線を行きたいのかバカ路線に突き進みたいのかユーザーには全く判断がつかないというステキ仕様。

つうかさ、学校にも行かず毎日バアさんにもらう500円でジュース飲んだりガチャガチャやったりゲーセンで遊ぶ10代の男が主人公ってどうなのよ?いいのかこの描写?これが鈴木裕が求めたリアルなのか?

いやいや!きっと1999年の時点で鈴木裕さんはニートやパラサイトという社会問題を予言していたのだ!莫大な制作費を使った早すぎた社会派ゲームなのだ!たぶん!

他にもゲームが進むとフォークリフトで港の不良ガイジンとカーレースをしてみたり、突然バーチャファイターのような格闘戦を強制されたり、そうかと思うとタイミングに合わせて指示されたボタンを押すだけというレトロなレーザーディスクゲームのような遊びを強要されたりと、あまりにカオスすぎる至れり尽くせり。しかも最後のLDゲームモードについてはQTE(クイックタイマーイベント) なんてご大層な名称が付けられていてそれはどうなのかと。

いっそ "タイムギャル方式" じゃダメなのか!?

このように、シェンムーは点(要素) が全てバラバラのままで、全く線になっていないという "典型的な破綻ぶり" を見せてくれており、クソゲーとして語られてもおかしくない出来栄えとなっている。

しかし!しかしである!

このシェンムーの後に発売された "箱庭の中で好き勝手やりましょう系" のゲームの中には、例えばグランドセフトオートのような世界的な大ヒット作もある。

シェンムーはそれよりも早く同じような路線を思いついたのに、調和という点に少々難があった結果、大失敗こいてしまった実に惜しい代物なのだ。(後に龍が如くに昇華されてはいるものの)

言ってみればこれも早すぎた作品であり、失敗の仕方で言うと 「たけしの挑戦状」 や 「ジャーバス」 にとても近い。あれもこれもと詰め込みすぎ、削る勇気がなかったがために全体が破綻するという、まさしく "失敗した大作の王道" を歩んでしまった作品なのだ。

オレはこいつをクソゲーとは呼びたくない!

せめて "SEGAが傾くほど壮絶な実験作" くらいの呼び方に止めてやりたいのだ!

70億かけて1作目を作って壮絶にこけて、2作目を作る時に200万しか予算が貰えなかったなんてウワサがあるとか、そういう面も全てひっくるめてオレはシェンムーを愛してやりたい!

オレはシェンムーが大好きだ!



というわけで、皆さんも 「コレはクソゲーじゃねえよ!」 というゲームがありましたら是非お教えください。ちなみに今回はオレが直接遊んだ事のある作品についてしか語ってないので、例えば 「里見の謎」 のようなプレイしてない作品についてはスルーしています。