1週間が過ぎたので やっと | おはなやかわいの記録

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 文字にしてみます。

小1から 12年である。我が家の3つ年上のお兄と合わせると 15年  とうとう この日が 来ました。

地区大会最終日は Best 4総当り戦 の第2戦 第3戦,

第1シードチームを破ったものの結果、上位3チームの2勝1敗得失点差で 5点及ばず 地区3位に甘んじ、県大会に進むことができず  引退が決まりました。
お兄も娘も 肥満児だった私の遺伝子を受け継ぎ
決してバスケに有利ではない 恵まれない体つきと身体能力の中 ずっと、進んだ環境の中で 精一杯ボールを追い続けてきました。

大会最終日のイブの夜の 先日のブログ記事の 体育館での 兄妹の 1対1の姿 は  私にとっては 何者にも変えられないプレゼントでした。
真剣に勝ちに行く妹、それに応えるお兄 2人ともが 楽しそうで…あ、でも 決して上手いかどうかではないのですが 笑

お兄 妹、それそれに
ここまでいろんな 出来事や 想いも 成長もそれぞれにあって、
私達 親にも 親ならではの 感じるものがあり、
どう寄り添うかと苦慮した日々や 
あえて褒めずに  そうかそうか お腹すいたなぁ なんて流し 隠れてほくそ笑んだ日もありました。

表彰式の後もチームでひとり泣き噦り続けていた娘の目標は  先輩方へのリスペクトと恩返しゆえの 県予選で1勝!そして 確実に県予選に進んでくるであろう保育園 ミニバスの幼なじみ達 との再会 でした。

終わった地区予選の会場を出て いつもとは反対にハンドルをきり 海に寄ってから帰路につきました。その車中で

どうだった?12年。引退が決まった今、どんなこと思い出す? 

と、聴くと 予想に反して 
初めて ミニバスの体験で体育館に行った時のことを思い出すのと、その夜 家の狭い台所で お母さんにバスケにやりたいと 自分から頼んだこと、
その時母親に 覚悟を確かめられ ミニバスが始まったことをはっきりと思い出す。
と。
車中の妹の横で、お兄もまた自分も 自分の最初のバスケの日のことを今でも鮮明に覚えているという。
このふたり 途中 辞めたい時が それそれにあった。
試合を観戦した祖父母に やめさせてあげたらどぉだ  と言われた事もあった。
そんな時ちょうど 千葉からキャプテンが チームを引き連れ地元でバスケののち、錦の山ちゃんでの打ち上げの席で時間を設けてくれ 娘も連れて行きました。12歳にして錦デビュー。
あの日あの時「自分が 6年近く頑張ってきて、まだ好きなバスケを ひとが嫌で辞めるのはもったいないよ」と 言ってもらえた事も 今日に繋がっている。

引退から1週間が過ぎた今 娘が、そして娘の最終日の2ゲームを観たお兄が言います。
お父さん、バスケがしたい!
俺もバスケしたくなった!
その前にお前、GW中に部屋片付けるって言っとったやん?学校の課題は?
多分 このふたりバスケが終わった事 受け入れられてないみたい。
誰に似たんだか…ほんと、遺伝子って怖い。

車中で 一番嬉しかった言葉がある。
「辞めなくてよかった」
これもまた ふたりの口から出た ご褒美。
「そうか」
それ以上 言葉は出せなかった瞬間でした。