秋学期も既に折り返し地点に突入しました。先日まで日本にいる弟が遊びに来ておりました。せっかく遊びに来たのでいろいろ見せてあげたいという想いから、大学・仕事を含めてノンストップで動き回っていました。落ち着いている土日は久しぶりです。ゆっくり立ち止まって考えている時間もなかったので、今日一日は料理でもしながら先月1か月の成長と今月の目標でも考えたいと思います。

 

今回の投稿では多様性についてアメリカの大学院で学んだことと合わせて、個人的な意見を述べてみたいと思います。

 

カウンセリング心理学を学ぶ上で大切な概念の一つとして「Multicultural competence/multicultural humility」という言葉があります。Multicultural competenceとは、社会的活動の中で様々な文化的背景を持った人同士で安心して行動を共にするための他文化に関する知識やスキルを指します。しかし、他文化について完璧に理解することは不可能です。そこで、最近になって唱えられ始めたのがMulticultural humilityです。知識・スキルも大切ですが、それを過信せずに常に他文化に対してリスペクトと興味関心を持って謙虚な姿勢でいましょうといった考え方です。

 

皆さんご存知の通り、アメリカは様々な文化的背景を持った人が住む国です。上記のような考え方が発生することには、たびたび驚かされます。日本でも最近「多様性」という言葉はよく見かけるようになったと思いますが、それは「日本文化を中心とした他文化の受容」やただの謳い文句に留まっている場合がほとんどではないでしょうか。

 

もちろんアメリカもMulticultural competence/multicultural humilityという考え方が全米に広がっているわけではありません。というか、まだまだ普及段階です。アメリカは貧富の格差が深刻で、どうしても情報が全体に伝わりにくい社会構造になっています。また個人主義を都合よく捉えるタイプの人たちは自分たちが良ければそれでいいので、他文化になど興味はありません。

 

私が想像する理想の多様性は、まさにすべての人がmulticultural humilityを持ち合わせた社会です。同じ国で生まれ育っても理解し合えない私たちが、他文化を理解することは不可能です。そこで、日本文化やアメリカ文化といった国レベルの分類ではなく、個人レベルでの考え方や習慣を尊重し学び合う環境を目指せば、多くの人がもっと安心して暮らせるようになると思います。

 

私はそんな社会創りに貢献できるようになりたいです。