私のお母さん | 言の和セラピスト協会のブログ

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オハヨウゴザイマス(^O^)/
運営メンバー しらかみ ちほ です☆


今日は母の日ですね(^_-)-☆
皆さんはどんな気持ちをお母さまに伝えますか?


実はわたくし、お恥ずかしながら
ゴクゴク最近まで、母の愛に気付いておりませんでした(^-^;


物心ついた頃にはパパっ子で

母に買い物に行こうと誘われても父とのお留守番を選び、

父がゴルフの打ちっぱなしに出かけるから留守番してようと言われると
父について行く

そんな子供でした( ̄∇ ̄;)


いつも父のお膝の上(o^^o)
そこが私の特等席☆


多くを語る父ではなかったですが、
なぜか私の中では父が絶対的な存在だったように思います。


今思えば、耳に痛いことを言う母を疎ましく思ってたんでしょうね~(-。-;

 なんでお母さんは私をわかってくれないの!! と....

自分勝手な子供でした(^^;


しかし、私が社会人になって間もなく、
そんな私の頼りだった父が突然天に召されました。

母、54歳。
今思うと、ずいぶん若くして心の支えを失った母。

そして、同時に一番の理解者を失った私。

あの時の傷心しきった母の姿は今でも目に焼き付いています。

それでも、やはりその時は私自身が自分のことで精一杯で
母のことまで考える余裕がなくって....

母にはずっと
自分をわかってもらいたい気持ちばかりを押し付けてきました。


その後、母は二度の大病を患い、入院や手術を経験しました。

でも、そこからです。
少しずつ母と向き合うことになり、
今まで伝えられずにいた思いを、素直に言葉にするようになりました。
そして、ようやく母の真意を知ることになりました。

言葉にすることってほんと大切☆彡


小言ばかりの母に心を閉ざしてきた私。
でも、やりたい事、やりたい習い事は全部やらせてもらってきました。

できることが当たり前だと思っていたんです。

でも、それは
「経験や友達は一生の財産だから」と、
母が父を説得してくれていたことだったのです!(◎_◎;)


そんなことも知らず、ひとりで大人になった気でいた私(;´Д`A


母は昔からすごくおしゃべり好きで
よく私の友達とも
一緒にお茶して、一緒にゴハンして、一緒にベラベラしゃべって、

時には私がいないところでも、私にかかってきた電話でも、
私の友達と勝手にベラベラしゃべってました。

でも、母はちょっと天然で人と話のテンポの違うんですよね。
私はそんな母が鬱陶しくって。

でも、クリスマスなどには遊びにくる友達にサプライズプレゼントで
みんなを喜ばせてくれたりしてましたっけ⁉
(私の分だけプレゼントがないってどーいうことォ~(笑))


そんなこともあってか、私の友達にはかなり面の割れてた母。

授業参観で母が教室に入ってくるとみんながザワザワして
私のところに「サマンサ来たよ」と伝言が届く....

そんな報告いらないっつーの(笑)

あっ、うちの母、歳のわりに背が高く、たれ目なもので、
なぜか“奥様は魔女”のサマンサに似てると言われてまして....f(^_^)


思えば、友達は皆、オバチャン、オバチャンと母のことを
慕ってくれていました。

嫌だ、嫌だと思っていたのは私だけ⁉(^◇^;)


私のために、私の目に見えない宝物のために
いつもサポートし続けてくれていた母。

そのことに全然気付かないで、反抗ばかりしていた私、
ほんと罰当たり者でした(T_T) ゴメンナサイ....m(_ _)m


お陰様で、母は大病を克服!

今ではとても元気になった母ですが、
自分があんなにも大変な闘病生活をしたにも関わらず、
今でもいつも私のことを一番に気遣ってくれる母。

お母さんって本当に偉大です☆彡
感謝してもしきれないですヽ(;▽;)ノ


母にはツラい思いをさせてしまった病気ですが、
この病気が私にこのことを気付かせてくれました。

このことに気付けて、本当によかったです!

今では小言も元気な証拠で嬉しいくらい⁉(笑)


お母さんの子供に生まれてきてよかった(☆▽☆)
生んでくれてアリガトウ!
私のお母さんになってくれてアリガトウ!

そんな思いで迎えられる清々しい気持ちでいっぱいの母の日ヾ(^▽^)ノ

こんな日が来るなんて☆



今日はお母さんと昔話をしてタイムスリップ!
当時知り得なかった親の気持ちに触れるいい機会かもしれないですよ('-^*)♪


皆さま、素敵な母の日を(*^^*)