自分は…奇蹟の存在である!自分がここにいるのは両親がいたからであり、その両親にもそれぞれ両親があり、それが連綿と続いて、いま自分はここにいる。どこかで組み合わせが変わっていたら、あるいは途絶えていたら、自分はここにはいない。自分の命は自分のものではない。すべて与えられたものだ。その自覚こそ、自分の花を咲かせる土壌となる今日贈られてきた「致知」の言葉である。「俺がとか、私が」…と自己主張を我々はするが、祖先のどこかの組み合わせが違えば自分はいない。