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山本みずき

いつの間にか博士課程に進学しておりました。相変わらず政治学専攻で、戦間期のイギリス政治を中心に研究しています。関心の対象は、政治史、思想史、社会史など。学問から離れると華道と日本酒のことばかり考えています。

この絵、中学生の頃にフェルナン・レジェの絵を紙皿に模写したもので、部屋の整理をしていたところ久しぶりに再会しました。


世界の名画が収録された本の中から当時の私を捉えたのがレジェのこの「トランプ遊び」という題名の絵でした。「なぜ人間が機械になっているんだ・・・?」と不思議に思い、このぐちゃぐちゃに荒らされた空間を紙皿に再現したのです。もちろん美術的なセンスも技術もありませんので、雑な模写ですが。
そして10年ぶりにこの絵をみて、恐らくこれは第一次世界大戦の総力戦に駆り出された人間か、産業社会の歯車となって働く人間の表象だろうなと何となく思いつつ、一応調べてみました。
この絵は画家レジェが第一次世界大戦に従軍した後、1917年に療養のためにパリの病院に入院し、その療養期間に、戦場で描いた複数のデッサンをもとに油彩画として制作したものとのこと。フェルナン・レジェという画家について今日までほとんど無知だったのですが、彼の絵には機械をモチーフとしたものが多いそうで、この絵もそのような機械への美的関心の表れとして捉える解釈、あるいは戦争の文脈で取り上げられることが多いようです。
面白いなぁと思ったのは、レジェは、第一次世界大戦の戦場のみならず、負傷兵が次々と送られてくる病院で手や足を失った人間の姿をみていたはずで、この絵には体から切り離された腕から先の部分が不自然に存在していますが、ここで描かれる「切断された手」というのは、義手なのか、あるいは本物の切断された手なのか。いずれにしても第一次世界大戦によって破壊された人間の姿がありありと浮かび上がってくるのです。しかもレジェは戦場では担架兵として働いていたそうですから・・・。日々手足を失った負傷兵の姿を目の当たりにしていたのでしょう。
以前、清水さやかさんという若手研究者の方が興味深い仮説を立てて研究報告を公開しておられ、それが非常に印象深く思い起こされます。
ぬらぬらと蠢く蛆虫や芋虫、ミミズなどの蠕虫類を見て、私たち人間の多くはぞっとするような感覚に襲われますが、20世紀半ばごろから文学作品が、そのような不気味な外観を持つ蠕虫類に人間をなぞらえ始めたと。人間の姿とはかけ離れた蠕虫に。二度の大戦後、人間がもはや人間としてではなく、蠕虫として描かれ始めたという指摘は、考えてみればたしかにいくつか作品が浮かんできます。江戸川乱歩の『芋虫』もそうですし。清水さんはそれについてかなり多様な解釈をされていますが、美術にせよ文学にせよ、20世紀の大戦が人間の深層に及ぼした影響はちょっと不気味な異常さがあると思っています。さらにそれはイデオロギーにも及んで、社会主義はもう少し前から徐々に台頭してきますが、ファシズムが広がりをみせた要因の一つとして第一次世界大戦は無視しえない出来事でした。
学部時代から現在に至るまでイギリスのファシズムを題材に研究を進めていますが、この20世紀初頭の精神的なものに対する関心が、もし中学二年生の頃から無意識にあったとすれば(あるいは無意識にそういったものに惹き寄せられていたとすれば)、何故そういった嗜好(「関心」くらいに留めておいた方がいいですね...)を備えたのだろうかとちょっと考え込んでしまいました