久しぶり、、という言葉の限度を超えている気もするが、ご無沙汰しております。とりあえず私は元気です笑
先月の5月21日に札幌交響楽団さんと私の地元である江別で演奏会がありました。
その時のメインが《展覧会の絵》だったのですが、ムソルグスキー作品の指揮をライフワークの一つにしている身としては、大好きなオケと地元で大切な曲を演奏できる事になり、これ以上の幸せはあるんだろうかと思いながらの本番でした。
関係者の皆さん、有難うございました。
ところでこの曲は、本気で音楽を勉強しようと思ったきっかけになった、個人的にとても大事な曲なのですが、それは「この曲が好き」という理由ではなくて、「良くわかないけれども何か惹かれる」という謎めいた部分に魅力を感じたからです。そしてその謎を解明したいと思い、10歳の時から色々調べては考えて、そして練習して、を繰り返してきましたわけですので、、もう25年も経ちますか。。その割には未だに曲の真髄にどこまで近づけたのか、甚だ疑問ではあります。
その中で一つ、恐らくこれはムソルグスキーは明かに意図して考えたのではないかと思うことがあります。それはプロムナードのテーマとこの組曲全体に共通する要素「シンメトリー」についてです。
誰もが知っているプロムナードの冒頭のテーマは大いなる謎の一つでした。あのテーマはムソルグスキーの気分を表している、なんて殆どの解説書には書かれていますが、本当か?と思います。気分と一言でまとめるには随分と凝ったテーマだと思います。拍子も5/4→6/4ですし。きっと何かメッセージが隠されているのではないか、と考えたのがきっかけです。
リズムを無視してテーマの音名だけを記すとこんな感じです。
G-F-B♭-C-F-D-C-F-D-B♭-C-G-F
いわゆるヨナ抜き音階(Fを基準に考えてAとEが無い)で書かれている事がわかりますが、ここに補助線を加えると、景色が変わります
G-F / B♭-C / F-D / C / F-D / B♭-C / G-F
間にあるCを頂点として対称的な構造が浮かび上がってきました。
(ちなみにこのテーマの音を一本の線で繋げていくと、アルファベットのMが浮かび上がります。これはもしてしてムソルグスキーのサインでは、、とも考えたり。。)
さてこの「対称」を聞いて、ふと思い出したのが曲の配列・配置に関しての疑問です。
中学生の時に、ピアノのレッスンで展覧会の絵を見てもらった際、先生が何気なく「テュイルリー公園からヴィドロ、まさに表と裏だね」と仰っていた事があり、何故かとても印象的だったのですが、ふと、他の箇所にも似たような事がある事に気づきます。
ヴィドロの後もひよこのバレエがあり、その後にもサミュエルゴールデンベルクがあるな、リモージュとカタコンベも、、
その時はうまく整理はできなかったものの、きっとここにも何か意図があるんだろうな程度に考えてはいました。
そこで、先のテーマの対称性に気づいた時に、試しにこの図式に曲の配列を当てはめてみたらどうなるだろう、と考えた訳です。結果はこのようになりました
G-F
プロムナード
グノームス
B-C
プロムナード
古城
F-D
プロムナード
テュイルリー公園
ヴィドロ
C
殻をつけたひよこのバレエ
F-D
サミュエルゴールデンベルクとシュミイレ
プロムナード
リモージュの市場
B-C
カタコンベ
死せる言葉による死者への呼びかけ(プロムナード)
G-F
バーバ・ヤーガ
キエフの大門(プロムナード)
まとめると
G-F → 伝説上の生き物(聖霊・神話)
B-C → 古の遺産
F-D → 人々の暮らしの光と影
C → 生命の誕生、最も純粋なるもの
このようなテーマが浮かび上がってきます。
生命の誕生を中心としてそこから死、更には霊的な存在へとつながる流れが見えてくるように思うのです。
亡くなった友人ガルトマンへ捧げられたこの曲ですが、建築家の友へのムソルグスキーなりの供養は、音楽の構成にてアーチ構造による建築物を建てることにあったのではないかと感じた訳です。そしてその構成を音に当て嵌めたものがあのテーマであり、ただムソルグスキーの気分を表しているなどというものではなくて、考え抜かれたものなのではないかというのが私の意見です。
因みにラヴェルはプロムナードを一曲カットしてしまいました。何という事なのでしょう。ストコフスキーはもっとカットしてますが、、笑
個人的にそれが許せないのは、つまりそういうことです。シンメトリーの美しさはその完璧な配置にあるように感じます。
実はラヴェルの書きかけのスケッチが残されていた!というニュースが私が生きている間に飛び込んでくることを切に願っています笑