保育士試験を目指した経過 | おぎゅう行政書士事務所つぶやきブログ

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ありがとうございます。

ありがたいメッセージを頂戴して、
返信しようと思いつつ、その作業方法がわからずという
有様でして、ご無礼ごめんなさい。


さて。

まずは
保育士のことです。


もしも生まれ変われるとしたら
若いうちに子ども産んで
子どもの教育に携わる仕事がしたいなと
思ったりするわたくしです。
(出産については、神様の領域なのでどうにも)



きっかけは20年前に戻ります。
わたしも20歳でございます。
まだ、バブル終盤のころ。

当時のわたしは、芝居に夢中の大学生でした。
劇団を主宰したり、
養成所の生徒になったり
商業的演劇の裏方の仕事をしたり
自分が自分であるための表現方法は
舞台の近くにいること
しか、
知らないムスメっこでありました。


そのとき
小学校時代に感動した劇団の
舞台に立つのが、ひとつの夢でした。
学校やこども劇場を回る、劇団です。

その劇団で活動するには
子どもと近くにいたいと思いました。


そして、
選んだアルバイトは
あの好景気の時代に最低賃金だった
時給600円(無資格だったので)
(でも資格者も時給700円だった)の
スポーツクラブの託児所のベビーシッターでした。


そこでバイトすると
スポーツクラブも使い放題で、
ダンスやバレエのレッスンも受けることができたのが魅力でした。


ほんと
当時はバブル末期だったので
マドンナのような髪型をした若いお母さんが
マタニティビクスとか、ジャズダンスとかに
執心していました。


お母さんがレッスンに出かけている間、
1歳から6歳のお子さんを預かってたのですね。


おんぶにだっこ、バギーも駆使して
泣く子をあやす。
そのうち、子どもたちとの交流が始まる。


(いまでも覚えています。利用者だった赤ちゃんの名前。いまや成人ですなあ)



そのとき、
保育士になりたいと思いました。



ユーキャンの保育士講座を
なけなしのお小遣いをはたいて
買いました。


でも、その教材を箱から出すことは
ありませんでした。

劇作りに夢中だったのです。



30過ぎになって
劇をやめたとき
なにもかも失った気持ちでいた私が
なにかを為したいと思ったとき
思い出したのが

むかし、保育士講座を投げ出していたことでした。