【覚悟とは?】
『覚悟』の意味を調べると、こんなことが書かれている。
この覚悟のあたまに『決死』という言葉を用いると、この覚悟も更なる強いものとなる。
決死とは、死をも覚悟して事にあたるということ・・。
昨日、戦国武将の真田幸村のことを書いたが、今の時代、流石に死を覚悟して物事にあたることもほとんどなくなった。
しかし、この精神だけは忘れてはならないような氣が私はする。
私たちの日常の生活の中で、どれだけの人がこの『覚悟』を想うだろうか。
真剣勝負という言葉も、ある意味これに類するが、現代では本当の剣すなわち真剣を用いるわけではない。
この日本で、そんな真剣なんか振り回したら、それこそ銃刀法違反でしょっぴかれる。(笑)
冒頭に『覚悟』という言葉の意味を記述したが、私たちは常日頃から、この覚悟ということをどれだけの人が意識しているだろうか。
自分なりでいいのだ。
人は自分の人生を活きていく上で、この『覚悟』を決めなくてはならない。
それは冒頭に記述した意味にもあるとおり、あらゆる困難なことを予測して、それをしっかりと受けとめる心構え。
この『心構え』を持つことが大切なのである。
覚悟を決めるとは、何が起きても平常心を保って活きるということと、私は解釈している。
そのためには、何ものにも負けない強い心、折れない心を持つことが大切で、常日頃から鍛錬を重ねるべきなのだと思うわけである。
強い心、折れない心について・・
明日に続く。
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【幸村に学ぶ活き方】
私は時折、戦国武将の活き方に例え自分の考え方や活き方を表現する場合がある。
現代の世にも活用できるような考え方や活き方をした武将はたくさんいるが、その中でも共感できる活き方の戦国武将が今日紹介する真田幸村だ。
元々、幸村の祖父、幸隆は武田信玄の先方衆として活躍した武将だが、幸村の話をする前に触れておきたいことがこの真田の家紋のことだ。
上記にも掲げたこの家紋であるが、この『真田六文銭』は、幸隆の時代から使われたとされており、戦を始め常日頃の活き方においては、死をもいとわない不惜身命の決意で望んでいることを示していたと言われている。
六文銭はもともとは六道銭のことで、いわゆる『三途の川の渡し銭』だ。つまり六道にいるお地蔵様に対してのお賽銭とされている。
六道とは仏教において地獄(道)・餓鬼(道)・畜生(道)・修羅(道)・人間(道)・天(道)の6つの世界(道)のことを言う。
父である昌幸も武田の智将として有名ある。武田氏滅亡後、一時は独立勢力を形成したが厳しい戦国の世を生き抜き、真田の家を存続させる為に手を打つこととし、長男の信幸が徳川方に、次男の幸村は豊臣方に人質として送る措置をとった。
その後、関が原の戦いの際に、兄信幸は東軍の徳川方に、そして父昌幸と幸村が豊臣方についたというわけだ。
私が幸村を好きという理由として、義を貫いた活き方がある。
『一旦の約束の重きことを存じて較ぶれば、信濃一国は申すに及ばず、日本国を半分賜はるともひるがえしがたし』(名将言行録)
これは、関が原の戦いや、大阪冬の陣などでの幸村の智略に富んだ戦ぶりを見て、あの家康が信濃十万石を代償に幸村を勧誘した時に返答した言葉だ。
信濃の国はおろか、日本の半分をもらっても、一度した約束を覆して裏切るようなことはしないというような意味を家康に伝えたというのだ。
現在、大河ドラマで話題の直江兼続も、秀吉から仕えぬかとの誘いに対し、「我が主は生涯、上杉景勝ただ一人」と言って断ったという話がある。
これも、義を貫いた正義の活き方だが、それに勝るとも劣らないのが先の幸村の言動だ。
有名な大阪夏の陣において、幸村は壮絶な戦死をするわけだが、誰も近づけなかった家康本陣に対し幸村が3千の精鋭を率いて真正面から突っ込んだのである。
幸村の部隊は勇猛果敢で知られ、あの戦の達人家康も認めたと言われている。
家康は、大阪冬の陣に続き、楽勝と言われた夏の陣においても、幸村の前には一時は自決も覚悟したという。
この精神や迫力は、私が座右の銘にもしている『断じて行えば鬼神もこれを避く』(史記)と同じだと思う。
何と言っても、氣迫や氣合が違うのだ。
また、幸村の隊は甲冑など全ての武具を赤で統一する『赤備え』が有名で、その勇猛果敢さに敵陣は幸村の旗印を見ると恐れをなす武将も多かったと言う。
まさに、決死の覚悟が相手にも伝わっていたのだろうと思う。
そして、あの関が原や大阪の陣においては、幸村は真田家の家紋である『六文銭』は少なくとも目立つ場所には一切使わなかったとされている。
これは、徳川方についている兄、信幸に対し氣を遣ったとされている。
なお、『真田の赤備え』は、かつて赤備えで活躍した武田氏の流れを汲む者であることを意識してのことだと言われている。
何とも幸村らしい活き方で、私は人間として、この一人の戦国武将の活き方に共感している次第なのである。
