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祇園御霊会の助っ人。主たる目的を果たし終えても故あって私はなお洛中に留まり続ける。私は二軒隣のしげる(米寿)と共に行きつけの町中華店のカウンターごしで店主に対し憤激する
「おっちゃん、それはあかんやろ、なんとかしてぇな…」
私がほんの数週間離れた程度で京都は堕落した。
今年初の冷やし中華、酢醤油だれの波間にこんもり盛られた薄黄色の麺、それより更に色合いの映える玉子焼、御霊会の期間中であるけれど、こっそりと胡瓜、店主の熱いハートを思わせる完熟トマト、この店オリジナルのラー油絡めモヤシの幾筋、そしてそれら具材の頂点に君臨し、控えめながらもその威容をまざまざと見せつけてきた筈のロースハム、が、ない。よくよく見れば、主役のその場所には赤い縁取りのハムが気恥ずかしそうに居座っている。これはどうした事か、何者かの陰謀か、私の留守中に京都はここまで堕ちたというのか、まことに嘆かわしい。
「カタシちゃんごめんなぁ、原材料の高騰やねん。価格据え置きやとこうなってしまうねん、堪忍な…」
「おっちゃん、100円くらい上げてもロースハムつけてぇな、赤ハムはハムカツにはええけど、冷やし中華ではちょっとへこむわ」
「そうかぁ、そしたら考えてみるし、お客さんの声が一番やさかいにな」
それまで黙っていたしげるが玉子焼を食べながら、やおら口を開く
「ほんまやなぁ、これはあかん。ロースハムの方が歯ごたえあってええわ…」
「しげるちゃん、それ玉子焼やで……」
しげるはバッテリーの入れ替え時期が迫るとこうした事がたびたび起こる。普段は私が知育玩具で遊ばせておくから比較的シャッキリしているし、場合によっては私より遥かに冴えている時間帯もあるのだ。経済学の専門書と日経新聞と週刊プレイボーイを愛読書としている彼は、株式市況と経済動向に私などでは及びもつかない慧眼を持つのだ。
「市場は既にトリンプ次期大統領を見越した流れになってるわ、トリンプの支持団体の顔ぶれを見ても、アメリカの輸出産業に重点を置かざるを得ないやろ、とすれば行き過ぎたドル高にストップがかかるはずやな、カタシちゃん円安の基調が変わる潮目になるかも分からんで」
「しげるちゃん、トリンプやなくてトランプな。トリンプやと別のものになってしまうからな、まぁ…あれは確かに僕も好きやけど……」
おっちょこちょいだがさすがと言うべきか、65年前の経済学修士は健在である。彼が素晴らしいのは米寿を迎えた現在も学究の徒であり続けている事だ。経済学は門外漢である私は何かにつけて教示を受けている。こんにちの円高も、物価高騰も、実体経済が伴わない株高も、全て事前に言い当ててみせた。日本経済はおろか、世界経済を裏で操っているのは、このすっとぼけたじぃさんなのではないかとさえ思えるほどだ。そんな彼が今一番行きたいところは温泉とメイド喫茶だと言う。メイド喫茶はともかく温泉は私も望む所であるから、思いきってこの週末にしげるを伴い温泉旅行に出かける事にした。じつは、私が目的を果たしながらも洛中に留まり続ける理由はそこにあるのだ。
巡る季節のうつろい、刻々と変転する日々の刹那、長い過去と長い未来に挟まれた小さな小さな一瞬を今と言う、今は、まばたきする間に過去となり、小さく細かな点の累積が線となっていく、森羅万象、何一つ、今を保ち続けられるものはないのだ。
最近になって、しげるが私に言う
「最近はみんな綺麗に見えるわぁ、前はそこまででもなかったけれど、青い空、山、草花、小さな虫まで、みんな綺麗で愛らしいわ」
「そうかぁ、なんでそんな感じになったんや?」
「限りを知ったからやな」
「歳をとるのも、わるないわ」
と、しげるは続ける。
いつか必ず終わると知るから、旅は楽しく愛おしい、そして限りがあるから美しくもある。
しげるとは、そんな人である。悔しいけれど、カッコよろしい。
「ところで、カタシちゃん、ここの温泉やけどな、温泉街は大きいか?温泉街にはメイド喫茶あるやろか、あるんやったら行きたいなぁ……」
しげるの希望が叶えられるかは分からない、分からないが、きっとこれを、メイドの土産と言うのだろう…
では皆様
行ってまいります…
南無