友人と、同僚と、好きな人と。
曲がりなりにも年齢を重ね、考えて話すことを覚える。感情のままに考えず話したりもする。
話し相手とテンションを合わせる、合わせてもらうことは非常に大切で、
たとえばこっちが友人感覚で投げかけた言葉に相手が仕事相手感覚で反応してしまう、それはもう噛み合わない以前に凄まじいまでのストレスを生む。
例えになってないな、えーと、
A「今日ヒマ?飯行こーよ!」
B「そういうことは事前に言ってもらわないと。社会人として当然でしょう?」
みたいな。お互いが気の知れた間柄であっても、テンションが違うとなんかもう、すごいウザい。
言葉通り、お話にならない。
上手な言い回し、話の持っていき方、誘導etc..
そんなのを得意げに披露されても、違う違う、そうじゃないでしょうと。
そういう能力というか技術というか、自分は苦手だし、というかそもそもそこに頭とか心を割くことが面倒くさい。大抵の場合、単純な話もややこしくなってしまうから。
ややこしいっていうのはつまり、テンションが違いすぎて話が噛み合わない、進まない、解決に至るまでにものすごい時間と労力と心を使う、ってこと。
めんどくせーなぁ、
ケンカになってもいいから感情優先で話をしようよ、って。思うわけです。
それはそれでめんどくさがられたりもするので、嗚呼、めんどくせー。
しかしながらめんどくせーめんどくせー言ってられる歳でもなくなってきているわけで。
自分にできるのは、早い段階で頭を切り替えることくらいなのかと思ってしまう。
機械的に、冷たくも現実的に。悲しいけどね。
でもそこで勘違いしちゃいけないこと、切り替える直前ギリギリまでやらないといけないことがある。
相手の考え、気持ち、想い、感情、ギリギリまで理解しようとする。相手はそうしないかもしれないけれど、自分はそうする。
「人は変わらない、変わるのは自分だけ」
これって多分そういうこと。自分を変える。相手を諦めない。
諦めた!って思ってしまっても、何回でもまた自分を変える(相手の評価を短いスパンで更新し続ける)。
当初のテーマ、大筋から微妙にズレてきているけど、それでいい。これ、まさに結論。
会話なんてものは徐々に論点だの話題だのがズレていくもので、それを厳しく修正する必要なんて無い。討論とか論争とかじゃないんだから。
「はい論破。」
ただの会話で得意げにこんな言葉を使う人がいるけれど、バカなのかと思う。手段と目的は明確にね、って。
感情むきだしで話をしようぜ。
うまくやろうとしないでさ。
諦めずにね。
