国民年金法は言うまでもなく我が国の公的年金制度の根幹をなす法律である。その第一条 目的は以下の通りである。
第一条 国民年金制度は、日本国憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き、老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする。
この条文に非常に違和感がある。確かに障害と死亡(遺族年金を指す)についてはお互いに助け合いましょう。ということであるので、現在の社会保障制度の趣旨からいって当然のことです。しかし、老後働けなくなってからの生活について、国民の共同連帯によって支えるべきものであろうか?
それまで老後は基本的にその子供が支えていた。自分の老後についてはほぼ全員が家族という集団の中で自分が無償で育てた子供によって支えられてきた。子育ては自分自身の将来に直接かかわってくる非常に重要なことだったはずである。ところがこの法律では、老後については年金という形で自分自身の子供ではなく、国家が責任を持つ。という宣言であると考えられる。
これによって、少なくとも老後について子供にたよる必要がなくなった。と言っても過言でない。先人たちが子育てを非常に重視してきたのは、国力の増強等いろいろあるだろう。しかし、子は宝と言われたように、人間社会の維持、自分自身の老後のために必須のことであった。ところがその大きな目的の一つである自分自身の老後を支えてくれる子供はこの法律によって必要がなくなり、子供の価値、子育ての価値が劇的に下がった。と言っても過言ででない。
それまで、子供を無償で育てたその見返りは老後の生活の安定としてきちんとあった。しかしこの法律によって、無償で子育てをしても、はっきり言って経済的な見返りは何もない。子育てイコール無償の重労働となってしまった。しかし、我々の老後は基本的に若い世代、私たちが無償で育てた子供たちの世代によって支えられている。子供が成長したその恵みを、子育てをせず有償の労働をしてきた人の方がかえって豊かな老後生活が保障されるようなこの法律によって、子育てが文字通り無償の重労働となってしまった張本人ではなかろうか?
それによって子育てをしない方が老後の生活が圧倒的に有利となって、子育てイコール負担となってしまった。
私たちは人間は生命であり、健康で成人したものは、子育てをするのが普通の姿であり、負担でも何でもない、私たちが食事をしたり歩いたり、物を見たり知ったりすることと同じことである。体もそのようにできている。これらは負担とは言わない。
女性が出産し、一時期を育児が主体となる生活をすることは普通のことであり、喜びでもあるはずである。
この国民年金法が、子育てが気の重い、何の見返りもない大きな負担となって、無価値なものにしてしまった元凶である。
第一条 国民年金制度は、日本国憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き、老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする。
この条文に非常に違和感がある。確かに障害と死亡(遺族年金を指す)についてはお互いに助け合いましょう。ということであるので、現在の社会保障制度の趣旨からいって当然のことです。しかし、老後働けなくなってからの生活について、国民の共同連帯によって支えるべきものであろうか?
それまで老後は基本的にその子供が支えていた。自分の老後についてはほぼ全員が家族という集団の中で自分が無償で育てた子供によって支えられてきた。子育ては自分自身の将来に直接かかわってくる非常に重要なことだったはずである。ところがこの法律では、老後については年金という形で自分自身の子供ではなく、国家が責任を持つ。という宣言であると考えられる。
これによって、少なくとも老後について子供にたよる必要がなくなった。と言っても過言でない。先人たちが子育てを非常に重視してきたのは、国力の増強等いろいろあるだろう。しかし、子は宝と言われたように、人間社会の維持、自分自身の老後のために必須のことであった。ところがその大きな目的の一つである自分自身の老後を支えてくれる子供はこの法律によって必要がなくなり、子供の価値、子育ての価値が劇的に下がった。と言っても過言ででない。
それまで、子供を無償で育てたその見返りは老後の生活の安定としてきちんとあった。しかしこの法律によって、無償で子育てをしても、はっきり言って経済的な見返りは何もない。子育てイコール無償の重労働となってしまった。しかし、我々の老後は基本的に若い世代、私たちが無償で育てた子供たちの世代によって支えられている。子供が成長したその恵みを、子育てをせず有償の労働をしてきた人の方がかえって豊かな老後生活が保障されるようなこの法律によって、子育てが文字通り無償の重労働となってしまった張本人ではなかろうか?
それによって子育てをしない方が老後の生活が圧倒的に有利となって、子育てイコール負担となってしまった。
私たちは人間は生命であり、健康で成人したものは、子育てをするのが普通の姿であり、負担でも何でもない、私たちが食事をしたり歩いたり、物を見たり知ったりすることと同じことである。体もそのようにできている。これらは負担とは言わない。
女性が出産し、一時期を育児が主体となる生活をすることは普通のことであり、喜びでもあるはずである。
この国民年金法が、子育てが気の重い、何の見返りもない大きな負担となって、無価値なものにしてしまった元凶である。