トルコ人って怒らないなあ、とつくづく思います。
もちろん、喧嘩はします。割と所構わず。
でも、まったくの他人に対して文句を言ったり、注意をしたりと言った場面に遭遇したことがない。むしろじっと我慢しています。

昨日も近所の小さなスーパーで、だらだらと大量買いをしているお客さん集団がいました(外国人)。レジの前でこれは要る?あれはないの?みたいな会話を延々して、何度も棚に戻ったり、カゴから出し入れしたり。
レジには赤ちゃん抱いてる私含め、牛乳ひとつだけ〜みたいな客がずらりと並び始めたのに気にする気配もありません。(ちなみにこういうときトルコ人は空気を読んで譲ります)
レジのお兄ちゃんも、出入りの業者さんも、その光景を見ながら苦笑しているのですが、何も言わない。どころか嫌な顔ひとつ見せない。
イライラはしてるんです。気にしてはいるんです(特に子連れの私を)。しかし、他人に対して注意するとか叱るというメンタリティがないんですね。

気が長い、というのもあるのでしょうが、どうにもトルコ人は他人に甘甘な気がします。
困ったやつも、嫌なやつもいるけど、わざわざ注意して喧嘩になることはない。自分だって時には同じことをするかもしれないし、言われたらきっと嫌な気持ちになる。だから口を出さない。
寛容、というきれいさとは少し違う、事なかれ主義と自分への甘さの裏返しのような。

こう書くとなんだかネガティブな印象ですが、実際はこれが案外気持ちいいのですよ。
他人のアラを探さない、むしろ好意的に解釈する。人間だから仕方ない。怒っても疲れるだけ。
だからトルコではいつも空気に優しさと温かさが溢れています。みんながそうだから、自分も自然と気も長くなるし、おっとりした気持ちで日々を過ごせるようになります。
他人への優しさが自分への優しさにつながる。
まさに理想的スローライフ。

マナーだのなんだのと言って小さなことにイライラし、ちょっとした不手際や失敗にも目くじら立てる母国とは大違い。無自覚に他人を叱る人間は、自分は間違いをしていないと確信しているのでしょうか。正義、正論の振りかざしには優しさがありません。自分が気持ちよくなりたいから他人に要求する、とても自分勝手に思えてきます。
その結果、理想的な公共空間ができていますか?

そんなトルコですが、決して野放図な社会になってはいません。
思いやりと気遣いを持っている人の方がずっと多いからです。北風と太陽のような、これってすごいことじゃありませんか。
空気を読む、って本来は優しいことなんですよ。

件のスーパーの出来事。その迷惑客が去った後、店内は一気に和みムードに。
みんな、緊張してたんですね。
思いやりと優しさで回っている空間に現れた空気を読まない異分子にさぞ居心地が悪かったのでしょう(可愛いなあ)。
レジのお兄ちゃんは小声で私に「ソーリー」と囁きました。私は「ヨク、ヨク(問題ないよ、ってトルコ語)」ってにっこりして、ついでに後ろにいた牛乳おじさんに前のレジ譲って、みんなハッピーになりました。

こんなだから外に出たくなるんだなー。どんなに育児で疲れていても。