気づけば前回のブログから1ヶ月弱経ってしまった。
時の流れというのは本当に、年々早くなる。
近所に大好きなバーがありました。
いわゆるオーセンティックバー。
意気込んでえいっ!と力を入れないと開かない重い入り口の扉を開けると
広くもなく、狭くもない、絶妙な空間
カウンター数席と、テーブル席がふたつ。
漆喰で塗られたグレーの壁
お酒でほんのり赤くなった頬が、ぎりぎり識別できないくらいの暗さ。
私がこのバーでとても好きだったのが、
カウンターの、この「くぼみ」。
絶妙なカーブ。
狭すぎず、広すぎない幅。
滑らかな、木の質感。
このくぼみに、肘先を沿わせながらお酒を飲むと
こんな非日常な空間のはずなのに
なんだかお家に帰ってきたような、不思議な温かみを感じていました。
木製カウンターの端のくぼみが、
そのバーに通う理由になるなんて
人生とは本当に不思議。
このようなご時世ですので
最後にこのバーに行ったのは随分前になってしまいましたが
最後に行った時、マスターがぽろっとこぼしていた話が
今でも時折私の頭を悩ませます
頬のカーテン皺が素敵なマスター
入り口の扉を颯爽と開けても、笑顔で迎えられたことはない
何を考えているのか
暗いせいもあってか表情から全く読み取れない
そうと思えば
この前飲んだワインが美味しかったな、、とつぶやくと
気づいたら同じワインが用意されている
常連のアイコスの充電器は用意しているけれど
その常連客のいつものタバコの銘柄は絶対に常備しない
その日の会話も記憶が朧げで
もはやあれは夢だったのかな、と思うほどの断片的な記憶でしかないけれど
「バーの仕事は、待つことが仕事
だからプライベートでは、かなりアクティブなことをしてしまう
そこで、バランスを取っている
だから釣りとかはしないんだよね」
マスターはそのようなことを、ぽろっとこぼしていました
「待つことが仕事」
考えれば当たり前のことなのかもしれないけれど
かなり目から鱗の発想でした
思えば最近の私は、「待つ」ことをしていなかったように思います
友達との待ち合わせも、ラインでやりとりして
相手が遅れそうならそれまで何か用事を作るし
人からの連絡も待つほどなら自分から連絡するし
広告を観る時間は無駄だと思い、YouTube premiumに加入して
時の流れの早い
刻一刻と姿かたちの変わっていく東京という街で
待つ、というのは、どこか
時間の無駄、人生の浪費だと考えるようになっていたのかもしれません
少し危険信号を感じて
「待つ」ということに向き合うことにしてみました
この本は内容が濃すぎて
ここでサラッとまとめるに忍びないのですが、、
いろんな「待つ」という局面において
いろんな葛藤や焦れや期待や絶望や
いろんな感情をくぐり抜ける中で
その時間に生まれた何かしらの「発酵」が
それ自体に意味があり
それによって新たな別のフェーズへと連れて行ってくれるのだと
そういう内容でした
昔尊敬する人が
「人と人は、会わない時間も大切だ」
と言っていたのを思い出しました。
日々の喧騒の中で忘れがちになりますが
より良い人間になるために
たまには「待つ」ということを
見つめ直してみようと
そう思った次第です


