お疲れ様です。


僕です。


ふと筋トレ後に歩いていて


家族や親戚、叔父などとの付き合いというものについて考えてました。


そういえば母方の弟の子供である姪っ子はいるのですが


祖母のお葬式以来会っていない。


特別会いたいと思ったことはないけれども


なぜかといえば


僕の母と母の弟である叔父がそもそもコミュニケーションを取らないからだ。


この関係性は僕と僕の弟の関係性と似ている。


なぜ関係のなさそうな僕と僕の弟が


母と母の弟と同じような距離感でいるのか。


父とは8歳まで家にいたらしいがそもそもコミュニケーションをとったことがなくて


母とも現在コミュニケーションは取っていない。


弟も母親にはなにも話さない。


僕も僕の弟とは話さない。


何も話さないからとりあえず問題はおこらないから平和といえば平和だが消極的平和。


うちの家系はほんとうにコミュニケーションがとても淡白だ。


そういえば淡白なコミュニケーションが連綿と受け継がれています。


確かに僕自身の人付き合いを振り返るととても淡白だ。


誰かと一緒にいたいだとか


心から気を許すとか


その感覚がそもそも希薄なんですよね。


僕の20代はそもそも生きているという感覚が希薄でした。


シラフではそんな現実を直視しなければなりませんからとりあえず酒に逃げてましたし。


今は30代後半独身ではありますが

理学療法士という仕事の面白みや

やりがいのおかげで生きているという感覚がパキッっとしていて

生きているという輪郭を感じられます。



ちなみに愛着障害というものは連綿と続いているというお話もあります。


どういうことかというと


僕の親も親からなにか愛着障害を抱えるような出来事があったかもしれないということです。


僕の父親は暴力まみれでしたが


もしかすると父親自身も親から愛情を与えられずに育っていたかもということです。


母親は弟に暴力を振るっていましたが


もしかすると母親自身も親から愛情を与えられずに育っていたかもしれません。


ならば自分が辛かったことを子供にしないように子育てをしようとしたのでしょうがそれができなかったということです。


こう考えるとむしろ両親も辛かったのかなとか

親から愛情をもらえなかったのかなとかわいそうに感じてしまう部分もあります。


僕自身

両親から肯定をされた経験はないのですが


それでも両親は決して冷淡な人間ではないと思っています。


両親も僕ら兄弟がお腹にいるときには

これから生まれてくる子供のことを想い

不安はあれど両親2人で幸せな家庭を築いていくイメージをしていたと思う。


その時の2人の顔は診ることはできませんが

想像するととてもまろやかでおだやかな表情をしていたんだろうなと思う。


ただ子育てをしていくなかで

両親ともに、特に父親は人間としての自信を失っていたと思う。

頭を撫でるとか子供を抱きしめるとかあたりまえのような愛情を与えるとなったときに自分に自信がなくてそれができるとは思えないからだ。


今なら冷静にそう考えることができる。


過去は変わりませんが


自分の過去の捉え方を変えることはできそうです。


簡単にはいきませんがやってみる価値はありそうです。


筋トレ後はなんだか3割増で人に優しくなります。蛋白質補給して休養します。


今日も仕事が楽しかったです。


ここまで読んでいただいた方


本当にありがとうございます。