お疲れ様です。
僕です。
最近は少しだけですが人生が明るく前向きな方向へ向き始めていることを感じます。
仕事もそれなりに順調に楽しく日々が学びの連続だなと染み染みと感じております。
そんななか天気も不安定なので読書でもしようと思い
高橋和巳さんの
「母と子」という病という本を読みました。
母と子、血縁関係というのは友人や知人とは違いますから簡単に、はい!さよなら!とはいきませんのですよね。
この本では
長年、診療現場で様々な「母子関係」をみてきた著者が
母親を3つのタイプに分けそれぞれで子供がどんな病になるのか、そして回復に至る道のりの違いについて書かれています。
僕自身母との関係は良好とはいえません。
記憶が正しければ子供の頃からもあまり母親と真面目な話や相談をしたこともなかったと思います。
父親は8歳の頃に朝起きたら家の壁に大きな穴を一つ空け姿をくらましました。
父との会話の記憶はないですが
ただ一つ覚えている会話は
小学1年生か2年生の頃にどこかにお出かけして帰宅して疲れたーと言ったら怒鳴られたことは覚えています。そのあと虐待されたかは覚えていませんが正直子供ながらに恐怖しそして引きました。
僕は疲れたというそのときに感じた気持に
ただ共感してほしかっただけだと思います。
母親からも外に出かけたんだから楽しかったとか言わないから怒られるのよ的なニュアンスの事を言われこの家庭内は本当に共感とは程遠いなぁと今さらではありますが当時のことを思い出します。
まだ子供でしたので楽しくないのに楽しいフリをするという能力がなかったのです。
家族4人でたまにテーブルで食事するときなんかは常に緊張感を感じていました。
下手なことを言えば手を引っ張られ暗い部屋につれていかれ殴られそして泣くことの繰り返しでした。
そんな生活を続けていて家族で出かけて楽しいわけがありません。
僕自身現在独身を貫いてますが
なぜ僕は今の僕になっているのかということを
自分のルーツを探ることで理解しようと日々悶々と思索にふけっています。
それは時には下降し続ける螺旋階段のようにネガティブな思考をぐるぐると反芻し続けることもあります。
ですがそんなことばかりではなく反芻する中で自分はこれからどうすればよいのかを考えるきっかけを与えてくれます。
子供が初めて触れ合う他人は母親です。
その後父親とも触れ合いますが子供というのは1歳から2歳にかけて親からどのような愛着をうけたかということがその後の人生に大きな影響を与えます。
今だから分かりますが
僕は家庭の中で
僕の気持ちに寄り添ってほしかった
共感してほしかった
そして困ったことがあればすぐ両親に相談できるようなそんな普通を望んでいたのです。
世間の普通は僕にとってはとても困難であり
たどり着くことは大変なものであると感じています。
僕自身家族を持ち親になることがこの先あるか分かりませんが
この事実知って親と子どもとの関わりがいかに
重要であるかを理解することは
必ず役に立つと感じています。
僕自身が苦しんだ家庭での思いは僕が家庭を持ち子供を育てていく中で子供に愛情を持って寄り添い共感し成長を見守ることで乗り越えていくしかないのだと思います。
共感のない家の環境というのは
水の中にいるわけでもないのに
窒息するほど苦しいものです。
楽しく会話しながら食事をするとか
そんな普通とはかけはなれてました。
僕は僕の信頼できる相手を見つけ家庭を持ち
その人と共感に溢れたそんな空間を作っていきたい。そう強く思いました。
ここまで読んでいただいた方
本当にありがとうございます。