重要人物(日本)明治時代以降 その②
明治時代以降の重要人物の続きです。まず一覧こちらの記事では橋詰良一~高木憲次までを扱います。①橋詰良一(はしづめりょういち)橋詰良一は園舎を作らず、屋外で自然に触れる教育を行う「家なき幼稚園」を設立しました。覚え方はですね、どこかからか怒られるかもしれませんが、家のないホームレス、橋の下に住む。です。ごめんなさい~②赤澤鐘美(あかざわあつとみ)赤澤鐘美は新潟の人で、貧しい子供のための学校「新潟静修学校」を開きました。けれど貧しい家の子供って、親が働いている間は下の子の面倒をみたり、あるいはどこかお金もちの家の子供の子守をして稼がなきゃいけなかったりで、いくら学校があると言ってもなかなか勉強に集中できなかったんですね。ということでこれらの小さな子たちを世話をする施設を設けます。これが「守孤扶独幼稚児保護会」であり、日本初の保育園です。「守孤~」も「日本初の保育園を設けた」ことも重要なのですが、赤澤に関してはまず間違いなく「新潟」がキーワードになります。赤澤と新潟でサンズイが共通点だな~で覚えてください。③石井十次(いしいじゅうじ)石井十次は「児童福祉の父」と呼ばれ、その道ではとても名前の知られた人です。岡山の人なんですが、岡山はやたらに社会福祉に尽力される有名人がたくさん輩出されています。石井十次の功績はたくさんあるのですが、・岡山孤児院 と・愛染橋保育所 が特に有名で、うち岡山孤児院は試験に頻出。で、紛らわしいのが④の石井亮一。同時代の人で、どちらも試験によく出るので同じ苗字でゴッチャになりがちです。石井十次は岡山がキーワードになります。画数が少ない石井が田舎のほう、と覚えてください。岡山のみなさまごめんなさい④石井亮一(いしいりょういち)それではもう一人の方の石井です。石井亮一は知的障害児の福祉に力を注いだ人物で、教育施設である「滝乃川学園」を創設したことで知られています。③の石井十次の「岡山孤児院」と比較して、「学園」ってなんとなく都会でハイソっぽくないですか。実際、滝乃川学園は都内に設けられ、天皇家ともつながりが深いです。ということで画数が多い石井が都会のほう、でお願いします。⑤留岡幸助(とめおかこうすけ)留岡幸助は石井十次と同じく岡山の人です。留岡幸助は感化院(現在の児童自立支援施設)を設立しました。中でも「巣鴨家庭学校」が有名です。感化院というのは、罪を犯した/犯しそうな青少年を収容し、生活指導を行うことで誤った道に進まないよう支援する施設です。当時はあまりこういった施設がなくて、劣悪な環境から不良になってしまう子供が多かったんですね。そうはならないよう、幸せになってほしいと巣鴨に家庭生活を教える学校を建てたのです。⑥糸賀一雄(いとがかずお)糸賀一雄は知的障害児に教育を行う「近江学園」を創設しました。近江学園は戦後、戦災孤児を収容する施設として開設されたのですが、戦後の混乱が落ち着くと、行き場のない知的障害がある子供ばかり残ったことから特に知的障害児の福祉施設として運営されることになります。糸賀の残した「この子らを世の光に」という文句はとても有名です。知的障害児に光を、ではなく、知的障害児を光として、社会の希望としていこう、という意味です。糸賀一雄(お)の近江(おうみ)学園、と覚えてください。⑦片山潜(かたやません)片山潜は社会福祉家というより社会主義者としてのほうが有名かもしれませんね。アメリカのセツルメント運動に感銘を受け、「キングスレー館」という施設を建てました。まずセツルメントとはなんぞや、というところから説明しますと、セツルメント=settlementで、settleは落ち着くとか定住するという意味です。知識や力がある人物がスラムに住み、現地の様子を学んだり住民に接触・働きかけることで貧しい人々の生活を向上されることを指します。日本語では「隣保事業」ともいいます。片山はこれを日本で最初に行って、「隣保館」というものを建てました。「キングスレー館」はその一つなんですね。スラムに潜入(セツルメント)してキングスレー館というカタカナのものを建てたんです。⑧高木憲次(たかぎのりつぐ)最後は高木憲次です。高木憲次はお医者さんで、肢体不自由児(身体障害児)のための「療育」を編み出しました。この人の覚え方なんですが、私はぶっちゃけ職場にいる新人いじめをする高木さんという人を思い浮かべて「あの人がこんな崇高なことするはずないのに」で覚えました。というのはまあ私にしかできないワザなので、身体障害がある子供のためにノリでつぎはぎして義足を作ってあげるシーンを思い浮かべて覚えてください。いかがだったでしょうか?暗記は覚えたもの勝ちです! 無理矢理でも頭に入れてしまえば良いので、呆れた内容ですが少しでも暗記に役立てば幸いです