私は人が好きだ。
先日お会いした方から聞いたお話。
「こういう会話があったのよ。
例えて言うなら、自転車ってあるでしょ?
その隣をパタパタ走っている人がいて、その人はいつも一生懸命に走っているのね。
『いつも走ってますけど、自転車の方が早いですよ。』
〈自転車?形が好きじゃないです。そもそも乗れないし。〉
『(形が?)乗り方ならお教えしますよ。』
〈え。けっこうです。だって危ないって言うじゃないですか。〉
『乗ったことあります?』
〈いえ、無いです。〉
『では、自転車お貸ししますので乗ってみてイヤでしたらお返しくださればいいし、安全に乗れるようサポートしますので、一度体験してみてからご自身で判断してはいかがですか?』
〈…いえ。ワタシは走ります。今までずっとそうして来たので。だってやっぱり形も…。では失礼します。〉
という話なんだけどね。
自転車に乗ってみよう!と思った人は、時間がかかろうがあっという間だろうが、乗れるまでやれば乗れるようになるのよ。
そしたら、《自転車にも乗れるけれど、走る事も出来る》でしょ?
自転車に乗れるようになると、自転車で満足する人もいれば、バイクの良さに気づく人もいる。その先にあるのは自動車だし、その先の先には飛行機もあるよね。
でも走る事だけを選択した人は、バイクの存在は知ってても、リアルには分からないのよ。
何を選択するかは自由だけど、
《走る選択肢しかない》のと、
《選択肢がある中で走る事を選ぶ》のは全然違うと思うよね。それでもやっぱり何を選択するかは自由なのよ~。
でもね。選択するものによってゴールが変わる事も知っておかないとね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
”みんな違ってみんないい”と思っているので、私も自由だと思う。
人の可能性は自分の外側にあるのだから、コンフォートゾーンから抜け出してみよう!
とも思っている。
こう思えるようになったのも出会いのおかげだし、人の価値観はさまざまだから、たくさんの見解を体感出来るのもありがたい。
この選択肢を自分自身ではなく、家族や兄弟、親戚、子供や友人、大切な人がした時にも、ベストな選択をして欲しいと思わずにはいられない。
最近思う。私は人が好きだ。
自分が決めることが未来になるのは確かだから、選択肢を選択していこう。
☺︎おしまい☺︎
※この話から、「自転車に乗れなくても自動車に乗れる人だっているじゃん。」みたいな見解をする人は、自転車にNOと言っているのと同じ価値観です。
では、ホントにおしまい♡
2015年踊る事をやめた年
不甲斐ない1年だったと思います。
一方で、年の後半からは、ものすごくフットワーク軽くスピーディーに動いて、「見つけた!」と誰かに言いたいくらい大発見した1年でもありました。
自分の存在って意味ないなと思う季節も過ぎましたし、
「美人に生まれたかったわ!」と思っても仕方がないんだと受け入れました。
なので、来年からは魅力的に(自分が自分に惚れる意味の)、いい方向に頭も体も動き続ける1年にしよう。再来年のために。
あとは。
自分で決めたと自覚する事。
例え誰かに決めてもらったり、決められてしまったとしても、
決めてもらうと“決めた”のは自分で、
決められてしまった事に“従うと決めた”のは自分なんだからね。
歩み寄らないと決めても、寄り添うと決めても、やるもやらないも。。
誰かのせいにしない。
そうしないように。
自分相手になら負けず嫌いになれる気がするなぁー。
他の誰かになっちゃうと、
「迷惑かけちゃうかなー」とか
まだまだまるで自信はないのだからね。
これも直さなくちゃいけない課題の一つ。
「もーいいや!こんなにこの感情に振り回されたんだから!もーいい~や~!」
と吹っ切れてしまえば、ものすごく早いスピードと、ものすごく軽いフットワークで進化する気がしている。早くそうなりたい。早く。
まぁ結局のところ、
いい事も悪い事もみんないい事。
と思っているから、総括すると良き1年だったと思います。ズコー。笑
