折から凍る如月の二十二日の午前五時 | ゴモラでございます

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 爆弾三勇士
(ばくだんさんゆうし)
とは、日本陸軍独立
工兵第18大隊
(福岡県久留米市)の、
江下武二、北川丞、
作江伊之助各一等兵3名
のことです。
一等兵ですので、年の頃
は、20代前半ぐらいで
まだお若かったと思います。

今から81年前の本日

我が国は、中国と戦争をしていました。

第一次上海事変中の1932年(昭和7年)2月22日、
(歌の中で「折から凍る如月(2月)
の22日の午前五時」とあります。)

国民革命軍19路軍が上海郊外
の廟行鎮
(びょうこうちん、当時の小村)
に陣地を築き、鉄条網により
日本軍の攻撃を阻み、
膠着状態が続いていました。

敵地における鉄条網
を破壊するには、
航空機による空爆
砲兵隊の砲撃支援
等による破壊や
戦車等を使用した突入
が定石です。

しかし、戦地の状況によっては、
それができないことがあります。
以前、映画「プライベートライアン」
の「ノルマンディー上陸作戦」
において
空爆の支援を受けれず、
上陸するはずの戦車が沈没
してしまい、歩兵が
海岸から直接、敵陣に突進
せざる得ない状況がありました。

鉄条網が張り巡らされていて
敵陣に近づけないため、工兵が
細長い筒状爆薬
(「バンガロール」と叫んで
注意を促していました)
を投げ入れて
鉄条網をで吹き飛ばすシーンを
覚えていらっしゃる方もお
られると思います。

上記のように工兵が投げ入れる
ことのできる距離では
なかったため、
歩兵等による援護射撃を受けつつ、
3名の工兵が筒状爆薬を抱えて
敵の陣地の鉄条網に対して、
突撃路を開くため、
点火した破壊筒を
持って敵陣に突入して
爆破し、
自らも爆死しました。

美談として広く報道され
反響をよび、
壮烈無比の勇士として
その武功を称えられる
ようになります。
このような熱狂的な反応は、
新聞購読者をより多く獲得
しました。
その他、映画や演劇なども
大手新聞らマスコミによって
作られたものです。
前述の歌もその一環です。

現実は、「三勇士」とされた人は、
破壊筒の導火線に火をつけ、
走って行って鉄条網に投げ込み、
素早く帰ってくる予定でした。

ところが途中でつまずいたか
弾丸にあたったかで1人が倒れ、
時間をとってしまったため、
3人は逃げ帰りかけたそうです。

すると、上官の伍長が
「なんだ! 天皇陛下のためだ
国の為だ行け!」
とどなりつけたので、
3人はまた引き返した。

破壊筒を抱えて鉄条網に着いたか
着かぬかに爆発したそうです。
破壊筒の導火線が通常より短く、
三名が逃げる時間が無くなり
爆死したのが
「爆弾三勇士」の真相
なのです。

仲間の工兵は、戦後、
こう証言しています。
「命令に背いたりして
銃殺された例もあり、
同じ死ぬならと思って
進んだのだろう。
全くかわいそうでならない」
と...

つまり、 
美談の核となった
「あらかじめ」
「自らの意思」
「死を決意し」
という3点は
全くなかったという
ことになります。

「マスコミが捏造した爆弾三勇士」、
「作られた英雄」、「自己犠牲の美化」
この延長線上に、太平洋戦争に続く
神風特別攻撃隊の美化が続いてきます。

私は、以前、軍歌が好きだと
申しました。
私は、この歌は、「大嫌いです」
誤った戦意高揚に作られた駄作で
あると思います。
私が好きな歌は、「昭和維新の歌
(以前、日記で前述しました)」
「異国の丘(抑留兵の望郷の思い)」
「麦と兵隊(兵の悲しみ苦しみ)」
などであり、軍歌全般においても
かなり好き嫌いがあります。
軍歌が「好まれない」理由については、
「肉弾三勇士」のような「駄作」による
「全体的なイメージダウン」
があると思います。
どうか、どんなジャンルでも一括りに
して捉えないで
安直に敬遠して「全部だめだ」
と思わないでください。
どんなジャンルでも
「良いもの」は必ずあります。
あなたが好きなジャンルに
「良作」と「駄作」が
混在しているように。


81年前の今日
突入した「兵士」は、どのような
心境で鉄条網に引き返したのでしょうか。


本日、そのような「戦争」の現実を
欺瞞に満ちた「肉弾三勇士」の曲を聴いて考えて
頂ければ嬉しく思います。

$ゴモラでございます