ソログルキャンプ。
弟とキャンプなんてナン十年ぶりかな。
こちらは子供連れなのでバイクじゃないけど、トラックの膨大なキャパを実感。
今宵は薪が尽きるのが先か?
アルコールが無くなるのが先か?
それじゃ!
幸運にも、前に投稿した「みたか食堂」さんの近く、郡山駅前での仕事が舞い込んで来た。
今日はその現調。
二時間かけて郡山まで来ても、採寸作業は20分程度。
少し早めだが向かうとする。
みたか食堂さんで是非とも食べたいメニューは3つ。
ソースカツ丼・カツカレー、そして自家製味噌の味噌ラーメン。
ソースカツ丼は実食済み。
自家製味噌の味噌ラーメンはハーフもあるらしいので、実際に施工時としておいて、残るカツカレーを注文。
朝飯は薄切りのパンのみと、しっかりお腹の下準備をしてきたのだw
カウンターの若者とテーブル席の一人もカツカレーを食べている。当たりメニューの予感。
前回のソースカツ丼もあったので予想はついていたが、この弩迫力には動揺する。
横に添えられた、ネギとワカメのラーメンスープが懐かしい雰囲気。
さて実食。
ん!?
甘口? でもしっかり辛い。
煮詰めてポテッと硬めのこのルー。
今まで食べた事の無い不思議な味。
味付け濃いめ。旨味も濃い。
しかし敵は、普通のお店の三倍以上はある山盛カレー。
なるほど、山盛りにしても溢れないよう硬めのルーな訳か。
その頂きに横たわる大きなトンカツ。
○oCo壱のカツカレーが子供用に見えそう。
いくら旨いとはいえ この山を制覇するには苦労しそうだ。
旨いウマイと半分程度食べたころ、一人の男性が来店。私の向かいに「相席いいですか?」と断り着席し、カツカレーを注文。
私より歳上に見えるコノ男性がカレーの山をどう攻略するのか興味がある。
テーブルの上に置かれたソースや醤油などの調味料を駆使してナンとか完食。
食べ終わった頃、相席の男性も着丼。
女将さんが「いつものようにしておいたからね」と。
その男性のカツカレーの器は私のより大きい!?
ルーが緩く溶いてある!?!?
なるほど、常連さんならでわの特別仕様って訳か!
その男性、カツカレーを飲み物のように休まず胃袋へ流し込んでいく。
おみそれしましたっ!
お店のご夫婦、見ていてとても気持ちが良い。
ご主人は調理に専念し、女将さんが盛り付けや材料を用意する。
ご主人が大きなオタマに持ち変えた瞬間、それまで持ち帰りメニューの袋詰めをしていた女将さんが鍋の蓋を開ける。
阿吽の呼吸、以心伝心。
いつも話が噛み合わない私と妻とは大違い。
その後もひっきりなしに来客が続き、ご夫婦の居間なのか区別つかない座敷席まで満員。外には雨の中並ぶ列までできたので、爪楊枝咥えながら席を立つ。
お代の千円札をにこやかに頭を下げ両手で受けとる女将さん。
こうゆうのいいなぁ。。。
と思い厨房の入り口で見てしまったのが
オムライス!
う~ん。食べなくていいけないメニユーが一つ増えてしまった(^_^;)
また高速道路に乗り、最初のパーキングで休憩。
運転疲れというより、ハラガクルチイのだ。
そんなメタボなオジサンを気にする事なく、この雨の中をCB1300とXSRが走り去っていった。
今日から三連休だもんなぁ。。。
予定では県南方面へハンバーガーマスツーを予定していたが、予報どうりとはいかず10時を過ぎても雨が止ま無い。
マスツー延期の連絡をして、独り工場で雑務ををしていたが1時間もしないうちに飽きてきた。
さて またもや趣味に偏った投稿なので興味の無い方はスルーお願いします。
子供の頃から太平洋戦争時代の船が大好きで、未だに模型を集めている事は前で述べたとうり。
また、子供の時に思い描いていた事と実際の史実が違っていたりしていた事も投稿したと思う。
今回は四艦の同型戦艦のお話し。
私なりに調べた事なので事実とは違っていたりする事もあるかもしれないが、趣味の範囲として勘弁頂きたい。
戦艦の中でも大好きだったのが「金剛型」と呼ばれる四隻の戦艦。
一番艦「金剛」
2番艦「比叡」
三番艦「榛名」
四番艦「霧島」
同型艦なので当たり前だが、よほど精通した方でないと見分けがつかないソックリさん。
”処女航海”や”姉妹艦”など 船は女性に例えられる事が多いので(某ゲームでは○娘などもあるし)
竣工順に長女、次女、三女、四女と呼ぶ事にする。
この四姉妹 建造当時世界最強の35.6cm連装砲4基8門の主砲を持っていたが
生まれは大正2年(1913年)~4年という 太平洋戦争(1941年)が始まった時には結構なお年頃。
しかし 缶・主機などの改装を受け、大戦時には 136,000馬力 30ノットの高速を誇る巡洋戦艦になった。
ん? 巡洋戦艦?
はい 子供時代には知らなかった事実。
この四姉妹 実は「戦艦」では無かったのです。
つまり戦艦並みの重武装の「巡洋艦」。
戦艦相手にまともに撃ち合えば太刀打ちできない虚弱な防御力。
その代わり相手戦艦の射程距離から離脱できる高速性能。
用途としては巡洋艦以下相手に戦艦並みの火力の攻撃力を持ち、高速で戦闘を有利に進めるという
「超火力重巡洋艦」として建造された。
確かに艦名が重巡と同じ山の名前で、戦艦に付けられる旧国名ではないし、竣工当時は魚雷も装備されていたらしい。
「超ド級」や「超弩級」いう言葉がある。
「もの凄い」という意味に例えられるが、それは明治39年(1906年)にイギリスが戦艦 ドレッドノートを建造した事から由来する。
このドレッドノートは強さから形状から、そして戦い方から、これまでの全てを覆す超革新的戦艦だった。
これによって世界各国の戦艦が一斉に旧式化。
イギリス国内の戦艦も含めてすべてが「前弩級戦艦」という烙印を押される。
各国はまず、このドレッドノートと同等以上の戦艦を揃えなければならなくなったのだ。
これが「ケルンの衝撃」ならぬ「ドレッドノートの衝撃」だ。
そのドレッドノートを超える戦艦の装備が急務となった日本だが、当時の技術では自前での建造は難しく、
バルチック艦隊を打ち破った有名艦「三笠」を作ったイギリスのヴィッカース社に 「金剛」 建造を依頼する。
(大戦前なので日英同盟が存在)
しかも日本の技術者の派遣・図面入手・それを元に金剛型戦艦」の自国建造の約束まで取り付けた。
そして大正2年(1913年)11月5日、長女「金剛」は地球を半周して横須賀へと入港する。
その雄姿に当時の海軍さん達は愕然としたのではなかろうか。
大正元年(1912年)に国内で建造した弩級戦艦「河内」は全長160m 排水量20,800tに対し
地球を半周して現れたのは 全長214m 排水量26,300t!!
27.5ノットを誇る世界最強の超弩級巡洋戦艦「金剛」の誕生である。
竣工当時の「金剛」 知っている姿とは違ったレトロな艦影
その翌年 大正3年(1914年)8月4日 横須賀海軍工廠にて次女「比叡」が誕生。
さらに大正4年(1915年)4月19日 初の民間造船所建造の戦艦「榛名」「霧島」が川崎造船所・三菱長崎造船所から
同日 双子のようにに三女。四女として産まれる。
月日は流れ昭和3年(1928年)
当時世界最大・最強を誇っていた彼女達も旧式となりつつあった為、巡洋戦艦最大の弱点 防御力の向上とボイラーの交換などアンチエイジングとも言うべき一次改装を受ける。
それと引き換えに速力が26ノットに下がってしまう。
第二次世界大戦に向かって世界中に不穏な動きが蔓延する中
昭和10年(1935年)に姉妹は再び大規模な二次改装を施されることになる。
艦首形状の変更、艦尾の延長、さらに上部構造物を一度撤去して船体を切り開き、ボイラー交換の上 主機までソックリ交換という大改装。
アンチエイジングどころか全身美容整形で別人のように生まれ変わった彼女達は、艦齢30歳を超えているにもかかわらず、30ノットを超す高速を武器に美魔女・・・もとい高速戦艦として太平洋を暴れまわるのでした。
そんな四姉妹達の中で、大変興味深い子がいる。
昭和5年(1930年)ロンドン海軍軍縮条約の締結によりさらに厳しく制限されてしまった戦艦保有数の為
旧式の四姉妹に廃艦の危機が訪れる。
姉妹の中で改装が遅れていたのが次女「比叡」
「一部の艦は武装削減等の条件を満たした練習艦としての運用が許す。」
という条件を受けて練習艦に格下げされる。
他の姉妹達を生かす為に、独り犠牲となった訳だ(;▽;)
4番砲塔は撤去され機関変更のため煙突は一本になり、重量バランスをとるために装甲となるバルジまで撤去されてしまう。
排水量は19,500tまで減り、さらに「金剛型」最大の特徴だった速度は18ノットにまで下がり、その姿を見た水兵さんは「まるでお年寄りのようだ」と落胆し、西田正雄艦長は変わり果てた比叡を見て涙を流したという逸話まであるらしい。
練習感時代の比叡 4番砲塔が撤去され煙突も一本になっている
そんな日陰物の次女だったが一気に表舞台に躍り出る時が来る。
昭和8年(1933年) 兵装撤去でスペースに余裕があるのと 艦隊所属でないためスケジュールの組みやすいことから昭和天皇の御召艦となる大躍進。
展望台や御座所を設置、手すりなどはすべて白絹で覆われ、記念切手も発行される。
国民的人気を誇った「長門」「陸奥」と同じぐらい有名艦に。
満州の皇帝溥儀が日本に来られた際も、「比叡」に乗艦されて日満間を往復なされた。
さらに なかなか見分けが付かない彼女達だが次女「比叡」だけは艦橋の構造が全く違うのだ。
他の姉妹達の艦橋は檣楼(しょうろう)型と言われる太いマストに箱を積み重ねるように取り付ける艦橋だが、次女だけは塔型と呼ばれる最新の構造をした艦橋だ。
左:塔型艦橋 右:檣楼型艦橋
これは彼女が大和型戦艦のテストベースとして選ばれたからで、艦橋以外にも大和型で採用予定の射撃盤と照準装置を採用したり、
主砲旋回用水圧ポンプ、火薬庫冷却装置、応急注排水装置、急速注排水装置を大和型採用予定のものを組み込んでいる。
他の姉妹は一次・二次と分けて改装されたが、次女「比叡」だけは一気に行った大改装と大和型の最新設備を搭載して、四姉妹の中で一番スタイルの良い・・・・じゃなくて、性能が良い子に生まれ変わったのでした。
空母「龍驤」と同シリーズ 世界の軍艦コレクションから
右から
長女「金剛」1944年
次女「比叡」1935年
三女「榛名」1928年
四女「霧島」1942年
艦影が異なるのは、違った年代をモデルアップしているから。
両端の「金剛」「霧島」は二次改装後の姿なので艦尾が延長されている
右から二番目の「比叡」は御召艦時代の貴重なもの。
その左側「榛名」も一次改装直後の姿なのであまり見かけない。
長女・三女・四女には装甲バルジがあるが
次女には外されたバルジの後がコの字に凹んでいる
右「比叡」の撤去された4番砲塔後には500tの重りが乗せられ、その上に展望台が設置されている。
「比叡」「榛名」の艦尾に付いている潜水艦の昇降舵のようなものは
旧式艦にみられるスターンギャラリーを再現している。
竣工は四艦とも有ったらしいが、改装時に撤去された。
特筆すべきは砲塔の違い。
長女「金剛」と次女「比叡」は平面で構成されているが
、三女「榛名」 四女「霧島」は曲面!?
このような細かい違いまで小さなスケールで表現し、年代事に違った姿をモデルアップしている所など
収集マニアにはたまらないかもしれないね。