明けまして おめでとうございます。
旧年中は多大なる いいね!やコメントありがとうございました。
今年もまめなブログ更新とはいきませんが、マイペースで続けてまいりますので今後とも宜しくお願いいたします。
年末はバタバタとしてましたが年明けてからは落ち着いたスケジュールになり、マッタリと過ごしています。
こんな時にこそ野外活動やソロツーリングといきたいとこですが、それもままならない事情でして "(-""-)"
代わりに時間がある時しか出来ないネタを投稿します。
って、いつもの軍艦ネタですけどね。
帝国海軍で最も有名な艦といえば 超戦艦「大和」「武蔵」

イーグルモス出版 世界の軍艦コレクション 創刊号「大和」 04号「武蔵」
両艦の僅かな違いは小さすぎて再現不可能だろう。
精通した方でなくても艦名くらいは聞いた事がお有りでしょう。
帝国海軍が時代を見誤った大艦巨砲主義の集大成、世界最大にして最強の戦艦。
今更説明は要らないと思うので、裏話などを。
建造計画時にはその予算から大きさや性能がばれるのを恐れ、架空の駆逐艦や潜水艦数隻分の予算を別に申請していたとか。
この超戦艦に積まれる主砲は 46サンチ3連装砲 3基9門。
とにかくコレだけで相当の重量で、製造しても船体のある場所まで運べないので、それを運ぶ専用の「給兵艦 樫野」を建造までしました。
手前:1945年(昭和20年)の大和 おそらく対空兵器が増設された「天一号作戦」の姿
奥 :1942年(昭和17年)の武蔵 竣工時に近い姿 両舷には15.5サンチ3連装副砲が付いている。
創刊初期のモデルなので出来栄えは良いとは言えない。船体と甲板の接合部浮きやら対空火器の間違え、メインマストの傾斜。
創刊号の大和なんか観測機がクレーンのアームに乗っていた(´・ω・`)
あまりにも見るに堪えれないので切り離してカタパルトに移設。
このシリーズの最大の欠点。購入する人のほとんどは数隻保有すると思うので、艦色がここまで違うと興ざめしてしまう。
追記 武蔵が沈んだ「シブヤン海海戦」の直前、船体を銀鼠色に塗ったという史実を知った。そのイメージで明るいグレーのか?
それにしては両舷に副砲が装備されている姿はおかしいと。。。
この姉妹には他にも妹達が居た事はご存じだろうか。
KKワールドフォトプレス発行 小松崎茂先生 書
海軍のお偉いさん方も戦艦の時代では無いと気が付き、空母へ改装された三女
超大型空母「信濃」
4女「111番艦」は起工はしたが建造自体が中止となり解体。
※艦名「紀伊」となっている事が多いが、起工間もない艦なので艦名が付けられていたのかは疑問。また計画ではまだ数隻あったらしい。
子供時代、この信濃のプラモデルも数隻つくりましたよ。
丁度、戦艦より空母の方が強いと認識した頃で、大和がベースという事で友人達の中では人気の軍艦でした。
しかし子供の頃からの疑問で、大和や武蔵と同じ艦なのに米軍潜水艦から撃たれた たった4本の魚雷でなぜ沈んでしまったのか?
レイテ沖海戦(シブヤン海海戦)で沈んだ「武蔵」は魚雷約30本 直撃爆弾17発
坊ノ岬沖海戦で沈んだ「大和」は魚雷11本 直撃爆弾7発
※命中数は諸説あり。また大和の方が被害が少ないのに沈んだのは左舷に攻撃が集中したために左に転覆したため。艦首甲板に波をかぶるほど前が沈みこんでももなお沈没しなかった武蔵の経験から、米軍は大和の左舷がわに攻撃を集中したとか。これも回避運動でグルグル回っていた大和の左側が攻撃しやすかった偶然とか。はっきりした確証は無い。
子供時代には知りえなかった事実がここにもありました。
信濃は大和の起工から遅れること約2年半、1940年(昭和15年)5月4日 横須賀海軍工廠で建造が始まりました。なぜこんなにも遅れたのかというと、建造するためのドックが無かったからで。
なんせ6万トン級の超巨大戦艦を4隻も作るのです。今ある造船ドックでは足りません。
横須賀の山を削って巨大な第6ドックを建造したのです。
※このドックは米海軍空母用として現存
起工が遅れたのは悪い事ばかりではありません。「大和」「武蔵」で得られた不具合は修正され、艦底防御の強化など一層「不沈艦」として相応しい艦になりました。
開戦間も無く 戦艦は航空機による攻撃に脆いと証明され、3女信濃の建造は中止。
軍部は空母・艦載機などの建造を優先し、起工間もない4女は解体という残酷な運命をたどります。
開戦当初 米軍より早く航空機の優位性に気づき、「帝国海軍機動部隊」として勝利を重ねていた日本でしたが、その怠慢というべき作戦の曖昧さからミッドウェー海戦にて正規空母4隻を失ってしまいます。
国力の無い日本ですから大型空母を建造するには時間がかかります。
そこで中型空母「雲龍型」を量産する事になりました。その数なんと20隻!?
※装甲空母「改大鳳型」含む
大量に作る計画は立てたものの、造船するドックが足りません。海軍工廠は造船だけでなく傷ついた艦艇を修理する場所でもあるので、いつも船でいっぱいなのです。
ふと第6ドックに目をやると、船体は完成しているが行く当てのない信濃が居座ってます。
はっきり言うと邪魔でしかありません。この巨大な第6ドックなら中型空母2隻がれます。
これは言い過ぎかもしれませんが、1943年(昭和18年)かくして信濃は空母として建造が再開されました。
呉から主砲を運ぶ役目だった「樫野」が米潜水艦に撃沈されたのも理由の一つだったのかもしれません。
船体は完成しているので今更大きな格納庫は乗せられません。搭載予定機数は僅か42機。
これは商船を改造した小型空母より少ない機数。
しかしこれは船艇・バルジを強化し飛行甲板にセメントを施して格納庫までも爆撃に耐えうる強化した不沈移動要塞としての役割を持たせるためだったようです。
大型油槽船に改造する案もあった
不沈要塞としての役割は良いとしても軍部の要請は厳しくなるばかり。
海戦の敗北で残存空母が沈む度、他の艦艇修理で工事中断になる度、どんどん工期は短縮されます。(????!)
当初の竣工予定は1945年(昭和20年)2月
しかし縮められた竣工日は1944年(昭和19年)10月
大和の艤装には18か月かかりましたが、信濃はたった3か月で終わらせよとのこと。
進水より一週間後です。
熟練の工員は兵役で取られてしまっています。
民間工員、工機学生、他部門の学生、朝鮮人・台湾人工員、女子挺身隊まで駆り出され、あまりの激務で過労・事故での殉職者まで出してしまいますが、「信濃の完成が日本を救う」「信濃が無ければ日本は負ける」とまで言われながら
人手という人手を総動員して、1994年(昭和19年)11月19日 信濃はなんとか完成しました。
一応完成はしたというものの、後回しにした艤装は終わってません。
気密試験も省略され 至る所に工事配管が走ってる船内。
居住設備などは無いに等しく、乗員はむき出しの鉄板の上で寝るはめに。
艦内の視察に訪れた海軍技術将校からは「鉄の棺桶」とまで言われます。
もう手一杯の横須賀工廠から呉工廠へ移動して残りの工事をすることになりました。
同じ時期に始まった米軍B29爆撃機による本土空襲のため首都近郊より呉の方が安全という事もあるでしょうが、私には邪魔で戦力にならない”空母紛な大きな船”より、一刻も早く即戦力になる中型空母を作りたかったからと思えてなりません。
しかし、この頃はすでに航空機も消耗し新しい機体の生産も遅遅として進まない。
空母に乗せる航空機が底をついている状態でした。
子供の時に描いていたのは小松崎先生の絵のように、艦載機を従えての勇敢な姿だったのだが。。。
1994年(昭和19年)11月28日 午後1時30分
護衛の「雪風」「浜風」「磯風」三隻の駆逐艦と共に呉へと出港。
わずか5時間後、米潜水艦「アーチャーフイッシュ」に発見されます。
この「アーチャーフイッシュ」の任務は周辺海域の警備ではなく、28・29日予定した首都方面の爆撃に参加したB29搭乗員の救助。
偶然に信濃の艦隊を発見したアーチャーフイッシュは司令部に「島が動いている」と打電した後、追尾行動をとります。
信濃の最大速度は27ノットでしたが、ボイラーが2/3しか稼働できなかったので20ノットそこそこしか出せません。
しかしアーチャーフイッシュの最大速度は19ノット。そのまま突っ走れば追いつかれる事はありません。
ここでも彼女の運の無さが。。。
アーチャーフイッシュからの電波を傍受した信濃は雷撃に備えて蛇行航行します。これが速度を落とす事になり、追いつかれて魚雷を撃たれる結果となってしまいます。
放たれた魚雷は6本の白線を引いて信濃に襲い掛かります。
そのうちの4本が彼女の右舷を直撃。
空母になったとはいえ 姉達と同じ元超戦艦。このくらいで沈むはずは。。。
ところが右へ傾いた信濃は傾斜回復する事はできませんでした。
随伴艦から曳航を試みるも、海水が入り込んだ6万t超の船体を駆逐艦が引っ張るには無理があります。
11月29日 午前10時57分
紀伊半島沖に信濃は艦尾からその巨体を沈めるのでした。
お借りした画像
なぜ信濃がこんなにも早く沈んでしまったのか?
沈没を防ぐにはダメージコントロールが必要です。
右に傾いたら左側の隔壁に注水し平衡を保つのです。ヤジロベイを思って下さい。
そして人力で補える防水作業をしたり、ポンプを使って排水したりして沈没を防ぎます。
信濃は完全に完成しておらず航行しながら艤装作業は続けられてました。
工期短縮のせいで各部のテストもしてません。
乗員もまだ訓練されてません。
これがどうゆう事になったか。。。。
工事途中の配管のせいで隔壁の防水扉が閉められず、なんとか閉められた扉も気密テスト省略されたので数センチも隙間が空き役目を果たさない、排水ポンプも作動しない。
大和型の巨大な船体のため不慣れな乗員は自分が何処にいるのかも分からず、迷子になる始末。
生まれながらに不幸を背負った彼女は不幸を重ね、わずか10日あまりという短い生涯を閉じました。
短命のせいで残された姿はこの一枚のみ。
合掌・・・
2023.3.28 追記