まず初めに。
まえに同タイトルに「いいね」下さった皆様にお詫び申し上げます。
編集途中、下書き保存のつもりが投稿になってしまいました。
ようやく編集が済みましたので正式にアップ致します。
アニメ艦隊これくしょん 2作目も完結しましたね。
ゲームを知らない私。
正直言いますと、一作目は見るに堪えれませんでした。
こういう系のアニメは見たことが無いせいもあり、「艦隊のアイドル 那珂ちゃんで~す♪」で完全にアウト。
大和がホテルと揶揄される箱入り娘だったり、甘味処が間宮だったのは面白いと思います。
二作目となる「1944 いつかあの海で」は一作目のようなドタバタ劇が少なく、冒頭はレイテ沖海戦で壮絶な戦いをした西村艦隊の史実を元に話が進んでいったので 最後まで退屈せずに見る事ができました。
面白いの? と聞かれると「う~ん・・・」とないますが
今の平和な世は 多大な犠牲の上になりたっているのだよ
とのメッセージと受け止めるようにします。
今回も日本海軍と艦船模型の話になりますので、興味の無い方はスルーでお願いします。
また素人が史実本やネット上の掲載記事を参考・引用して、自分なりの解釈も含んでありますので間違っている事もあるやもしれませんが、どうかご勘弁下さい。
いつもは個々の艦艇の話ですが、今回は違った方向から話を進めていこうと思います。
レイテ沖海戦とは簡単に言うと、 フィリピン レイテ湾に上陸した連合国軍を海から艦船で攻撃して撃退するというもの。
内地から出撃した空母4隻を主とした「小沢艦隊」が囮となり米機動部隊を引き付けているうちに
※エンガノ岬沖海戦
ブルネイから戦艦大和・武蔵を含む主力部隊「栗田艦隊」が北周りでレイテ湾に突入。
※シブヤン海海戦 ※サマール沖海戦
同じくブルネイから「西村艦隊」と台湾から出撃する「志摩艦隊」は南回りで連合軍を挟撃する作戦。
※スガリオ海峡海戦
その他にもルソン島から軽巡・駆逐艦を主とする 「第二一駆逐隊」「第一六戦隊」が出撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)から
日本帝国海軍 空母4 戦艦9 重巡13 軽巡6 駆逐艦34 他
対する連合国海軍 正規空母17 護衛空母18 戦艦12 重巡11 軽巡15 駆逐艦141 他
6日間にわたる史上最大の大海戦です。
航空機の戦争と言われた太平洋戦争において、何故 空母部隊が囮なのか?
それは これまで海戦で日本は艦載機の殆どを消失し、わずかに残っている空母にも積める艦載機が足りません。
とてもじゃないが、まともな戦力にならないのです。
米艦載機からの攻撃を受ける空母千代田
開戦前まで海軍の主力として考えられていた戦艦も航空機の時代になってしまったため、この時期まで大した運用もできすに後方に控えてましたが、残っている空母が少なく艦載機も足りなくなった1944年10月
温存している余裕もなくなり、航空機の支援も無いような状態で無謀なる「捷一号作戦」としてレイテ湾に攻撃に向かいました。
レイテ沖海戦全部語ろうとすると とても長い話になってしまいますので、西村艦隊が戦ったスリガオ海峡海戦に的を絞ります。
それでも十分長いので閲覧するにはお覚悟を。
またアニメのせいで所々に変な妄想が入りますが、見ない振りお願いしますw
戦艦「扶桑」・「山城」の姉妹は完成当初は世界最初の三万トン超、45口径35.6cm連装砲 6基12門を備える大戦艦でしたが、防御面・主砲の配置が悪く 速力も遅い、前時代の戦艦でした。
なので海戦にはあまり参加できずに輸送任務、練習艦や標的艦として永い間過ごしてきましたので、今回の作戦は初陣みたいなもんです。
「足の遅い 扶桑・山城を出すようでは日本も先が見えている」とまで陰口言われたらしい。
西村中将率いる「扶桑」・「山城」の第二戦隊は当初、栗田艦隊と共にレイテへ突入するはずでした。
ところが燃料がなく、給油艦が一日遅れで到着したので日程が詰まってしまいます。
足の遅い姉妹は栗田艦隊と共に遠回りの北ルートを諦め、
航空巡洋艦「最上」
第四駆逐隊 駆逐艦「満潮」「朝雲」「山雲」
第二十七駆逐隊の生き残り 駆逐艦「時雨」
と共に「第一遊撃部隊 第三艦隊」を急遽編成し、
10月22日15時30分
近道の南ルート スル海~スリガオ海峡を通ってレイテ湾に突入する事になりました。
旗艦は勝気な妹「山城」が務めます。
西村艦隊が向かうルートは細い海峡を突破するため、待ち伏せがあっても逃げられない、まさに捨て身の特攻です。
24日06時50分
航空巡洋艦「最上」から発艦した偵察機から 戦艦4 巡洋艦2 駆逐艦16 その他輸送艦を含む小型艦艇80あまりとゆう報告が入ります。
最上後部甲板 零式水上偵察機と零式水上観測機
アニメでは爆撃もできる水偵「瑞雲」となっているが爆装した瑞雲を搭載できたのかは不明
しかし実際は
・戦艦6
・重巡洋艦4
・軽巡洋艦4
・駆逐艦27
・魚雷艇39
とゆう大艦隊が待ち受けてました。
もちろん別の空母機動部隊から航空機による攻撃の恐れもあります。
09時40分
案の定 空母エンタープライズ、フランクリンから飛び立った艦載機が来襲
扶桑・最上・時雨が被害を受け死傷者が出てしまうが、軽度損害だった事と 栗田艦隊が発見されそちらに攻撃が集中し5分程で空襲が済んだので、そのまま進撃
扶桑に至っては艦尾と右舷中央部に爆弾命中。多数の死傷者、一二番主砲に支障、右舷二度傾斜が最後まで復元できず。 2023,11,14 加筆
14時00分
無事スールー海に到達
14時10分
西村艦隊は順調に進撃している事を主力の栗田艦隊へ打電するが、その頃 栗田艦隊はシブヤン海海戦の真っ最中であり返信は無し。
15時00分 超戦艦武蔵は米艦載機の猛攻を受けて沈没
レイテ湾突入の予定時刻は迫ってます。
主力の栗田艦隊からの連絡はありません。
後続の志摩艦隊との合流も出来てません。
15時30分に栗田艦隊がシブヤン海での猛攻を受け一時反転している事を関係各所に電文したようだが届いてない模様
主力部隊が予定に間に合わないとなると、同時に突入してアメリカ軍の邀撃戦力を分散するという計画は崩れ去ります。
19時00分
連合艦隊司令部より「天祐ヲ信ジ突撃セヨ」の電信が西村部隊各艦に届き、西村中将は単独でのレイテ突入を決断。
偵察機からの報告で この先に多数の魚雷艇が待ち構えている事を知った西村中将は艦隊を二分する事に。
最上と満潮 朝雲 山雲 を先行させ魚雷艇掃討を命令。
扶桑 山城 時雨は本隊として後から別経路で進みました。
白露型駆逐艦二番艦「時雨」
24日22時36分
アメリカPT魚雷艇が襲ったのは先行の掃討隊でなく本隊でした。
姉妹の50口径15.2cm単装砲14基14門と時雨の奮戦により被害を受ける事なく魚雷艇を追い払う事が出来ました。
25日00時
掃討隊も魚雷艇と遭遇しますが、これも魚雷を回避して事なきを得ます。
アメリカのPT魚雷艇 木製の船体に航空機用エンジンをデチューンして搭載し、40ノット以上の高速を誇る
ですが猛烈なスコールに巻き込まれることもあって、魚雷艇を沈める事は出来ませんでした。
しかし悪い事ばかりではありません。
夜間のスコールは効果的な攻撃を妨げることもあります。
25日01時30分
スリガオ海峡の入り口で合流。艦隊は単縦陣を組みます。
先頭から 満潮 朝雲 旗艦山城 扶桑 最後尾に最上
山城を守るように右舷に山雲 左舷に時雨
と海峡の出口を目指します。
この先は出口の無い地獄だとも知らずに・・・
02時53分
複数の敵駆逐艦がこちらへ迫ってくるのを時雨が発見します。
03時9分
探照灯によって暴かれた駆逐艦に対して砲撃を開始。
ですが命中弾をする事は出来ず駆逐艦隊もすぐに引き返していきました。
03時10分
突然 扶桑の右舷中央に轟音と水柱が上がります。
先ほどの引き返した駆逐艦隊は魚雷の発射を終えていて、反転するところだったのです。
最後尾の最上は接近する魚雷を発見し緊急回避行動をとり無事でしたが、被雷した扶桑は一瞬で電気系統がやられ右舷に傾斜し速力が低下します。
最上は回避行動して扶桑を追い越して艦隊に追い着いた為、山城も姉が落伍したとは気が付きません。
扶桑は電気系統喪失のため無線も電話も発光信号も送ることが出来ませんでした。
やがて3番・4番砲塔の弾薬庫が大爆発を起こし 扶桑は真ん中から真っ二つ。
バランスをとる手段がなくなった彼女はただ沈む他になく、混戦の中救助もままならないまま、ゆっくりと、ゆっくりと、大きな艦橋を横たえていきました。
03時20分
山雲が右舷に水柱を上げ轟沈。
満潮も被雷大破しのちに沈没。
続いて朝雲が1番砲塔直下に被雷して艦首を切断、大破。
第四駆逐隊の幼子達も瞬く間に全滅してしまいます。
朝潮型駆逐艦六番艦 山雲
朝潮型駆逐艦三番艦 満潮
朝潮型駆逐艦五番艦 朝雲
10分足らずの間に西村艦隊は 山城 最上 時雨 の三隻に。
しかも山城も右舷後方魚雷を受け、爆発を防ぐために5・6番砲塔弾薬庫に注水し戦力半減。
満身創痍の彼女達に、さらに過酷な運命が待っていました。
海峡の出口では、第七艦隊所属 ジェシー・B・オルデンドルフ少将率いる第77任務部隊がT字陣形で待ち構えてます。
戦艦 ミシシッピ メリーランド ウェストバージニア ペンシルバニア テネシー カリフォルニア
他 重巡・軽巡計8隻。
第77任務部隊の戦艦群は、6隻中5隻がかつて真珠湾攻撃で徹底的に痛めつけられながらも復帰してきた、いわゆる旧戦艦群でしたが、新型レーダーや射撃指揮装置など近代装備を備えてました。
それに加え、多数の駆逐艦や魚雷艇も左右に展開して、西村艦隊を骨をも残さず焼き尽くそうとの構えです。
戦艦 メリーランド
03時51分
アメリカ戦艦・巡洋艦隊は、距離13500mでレーダー照射による砲撃を開始。
山城が被弾し、艦橋下に火災が発生、3・4番砲塔は使用不可となり、1・2番砲塔のみで応戦するも駆逐艦からの雷撃を右舷機械室付近に受けて速力が低下。
山城から西村中将は
「ワレ魚雷攻撃ヲウク、各艦はワレヲカエリミズ前進シ、敵ヲ攻撃スベシ」と命令を下します。
これが旗艦となった彼女の発した最後の命令となりました。
大口径弾300発、小口径弾4,000発の砲撃を打ち込まれ、西村艦隊には命中弾が相次ぎました。
4本目の魚雷を受けて徐々に傾斜しはじめた山城は、その後に火薬庫に引火し大爆発
艦橋が崩れ落ち、それでもなお灼熱地獄の中から怨嗟の砲弾を1・2番主砲から放ちます。
04時19分
ついに力尽きた彼女は艦尾より沈み転覆し、姉の後を追い姿を消しました。
二番主砲から火を噴く山城
一方 最上はというと
03時50分
集中射撃を受けはじめ、3番砲塔と中央に被弾し火災が発生。
3時55分には魚雷4本を発射し左に回頭、南方へ避退を開始しましたが巡洋艦からの砲弾が次々と命中して炎上し、左舷機関部の被弾で急激に速度が落ちてしまいました。
この時艦内では、艦長であった藤間大佐が艦をレイテ島に座礁させて陸戦隊として戦う意思を示しましたが、「本艦は戦闘艦であります。一門でも撃てる限り、弾丸が底をつくまで湾内へ突入すべきです!」と幹部将校達の猛反対にあいます。
「しかし君、たいまつを背負ったままでは無理だろう」と問答が繰り返されますが 最期を迎えるための真剣な話も残酷な形で終わります。
04時2分
艦橋に2発、防空指揮所に1発が命中、藤間艦長以下 副長、参謀、航海長、水雷長、通信長など幹部と要員が全員戦死。
決定権を持つ多くの士官が戦死してしまっても尚、生き残った水兵さん達はとっさに操舵を人力に切り替え南に退避します。
被害が少なかった時雨は、これ以上の続行は不可能と判断し反転離脱。単艦でスールー海を目指します。
遅れて到着した志摩艦隊は戦場を目視する距離まで迫っていました。
闇夜に浮かぶ真っ赤な火柱を西村艦隊の大戦果だと最初は思ったそうです。
しかしその正体は2つに割れた扶桑であり、そしてその姿こそが西村艦隊の末路であったことを知ることになります。
04時10分
右前方に炎上する最上を発見。
04時24分
炎上停止ているように見える最上。
しかし這うような速度で動いていたことに旗艦の重巡「那智」は気づきません。
このため両艦は那智の艦首が最上の右舷前部に突っ込む形で衝突。これにより那智は艦首を大破し、速力は18ノット以上は無理となってしまいました。
最上は以前にも姉妹艦「三隈」と衝突しています。
※アニメ艦これで最上が「追突注意だよ」としきりに言っていたのはこれらの事例からでしょうね
スリガオ海峡の火柱と閃光は日の丸を焼き尽くす煉獄であることを悟った志摩艦隊はレイテ突入を断念。
撤退を開始し、最上もズタボロの体でそのあとに続きます。
最上 前甲板から
04時40分
単艦南下する時雨を発見、志摩中将は自艦隊に続くよう指示をだすが、「ボクは先に行くよ」と時雨は回答し南下を続けました。
07時前
志摩艦隊の駆逐艦「曙」が最上の護衛に付きますが、朝日に照らされたのは闇夜で徹底的に蹂躙された彼女の無残な姿。
ショートパンツは破かれ、グチョグチョにされた・・・
もとい
艦橋がほとんどなくなっていて、砲塔は直撃弾によってグチャグチャ。
砲身もひん曲がった状態。
そして焼け爛れ、認めたくないが良く判らない黒くて赤い物体。大きい物、小さい物、丸い物、長い物は、ほんの数時間前まで日本を守るために戦い続けた仲間達の成れの果てでした。
画像は同型の三隈 参考画像として
最上の姿はこれ以上に凄惨だったと考えられる
左へ傾斜しながらも懸命に動く最上に いよいよ最後の時が。
07時27分
敵機が上空に現れ、爆弾と機銃掃射の雨が降り注がれます。
08時30分
最上 機関停止
10時47分
曙が最上の後部に横付けし総員退艦
12時30分
曙から最上に向けて介錯の魚雷を発射。
放たれた魚雷は右舷中央部に命中し、横転しながら艦首より沈んでいきました。
その時持ち上がった艦尾には彼女を動かすには至らずとも、1軸だけ無事だったスクリューが故郷を目指して回り続けていました。
※この辺の事は自分で書いていても涙があふれてきます。
27日17時
山城からもらったお守りの簪の効力か、無事にブルネイに帰りついた時雨。
彼女以外の西村艦隊「第一遊撃部隊 第三艦隊」は全滅という悲惨な結果で戦いは終わります。
また、レイテ湾沖海戦全体でも日本は惨敗。多数の艦艇を失いました。
これ以降、艦隊として行動が出来なくなり 帝国連合艦隊は事実上壊滅となりました。
合掌
2023,11/14 一部修正 外部リンク加筆