【兵庫県内の不登校・ひきこもりの訪問支援】
Office Sabbyです。
土曜日(4/13)は休みだったので、朝遅い時間から奥さんとコメダ珈琲へ。
新聞やネットニュースをぼんやり眺めているとこんな記事が目にとまりました。
「がんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】
か、かっこいい・・・。
これまで上野先生はちょっと苦手な感じがして敬遠してたんだけど、この祝辞はすごく格好良かった。
あまりに格好良いから東大のHPから全文印刷しちゃった。
それから、これも何気なくふと神戸女学院の内田樹先生のTwitterを見てたらこの記事が出ていた。
わかります?右と左のテーブルの違い。上野先生が述べた、今の日本の社会のかっこ悪さを突きつけられたようですごくがっかりした。
思えば、私の法学部時代の恩師の山根裕子先生は、ヨーロッパでご活躍された後日本に戻ってこられて、すごく窮屈そうだった。
それもこの写真を見れば一目瞭然。日本の常識が海外では非常識になるのだ。(ただ山根先生の場合は、女性だからと言うこともあるが、頭が良すぎたということも関係しているかもしれない。とてもユニークな方だったけれど、あの先生ほど頭の良い人にはもう出会えないだろうと、20年以上経った今でも私は思っている。実際この先生にかかると、大概の人たちはみんな馬鹿に見えた。馬鹿ではなく頭の回転が遅いと言った方が適当か。ましてや学生の身分である私なんかは、自分の馬鹿さ加減にほとほと嫌気がさしたものだ。毎回ゼミの後は消えたくなるほどだった。)
それはさておき、
今回の上野先生の祝辞の主体は“女性”だったが、これをあらゆる社会的マイノリティに置き換えても十分意味をなすだろう。
“ひきこもり”や“不登校の子ども”、“発達障害”などでも。
彼らはやはり差別される。もちろん全てのケースではないが、多くの場合そのような類いの生きづらさを抱えている。そして私は日々、そんな彼らの生きづらさに関わりながら生きている。生きづらさを否定するのではなく、受容できたら良いな。
きっと私も何らかの部分では社会的マイノリティなのだ。だからこそ、彼らと関わり合えるのだ。
多様性、ダイバーシティなどというとてもキャッチーな言葉の意味を一体どれだけの人間が本当に理解できているのだろうと疑問に思う。かくいう私だって理解できている自信は全くない。
でも想像することはできる。この人たちは何がそんなにつらいんだろう、そのつらさを減らす(なくすことはできない)ためにどうすれば良いだろう、と相手のことを考えることは誰にでもできるはずだ。想像ずることをやめてはいけない。
上野先生の祝辞を批判する人には多分死んでも理解できないだろう。自分たちだって何かの社会的マイノリティのはずなのに、そのことには気づかないふりをして生きているのだろうから。もしかしたら彼らは理解できないのではなく怖いのかもしれない。差別する側とされる側は、日々裏表をコロコロ変えながら転がっているコインのようなものなのだ。いつ自分が攻撃されるかわからないのだ。
できるなら、私はその転がるコインを踏みつけて、高らかに笑いながら前へ前へと進んでみたい。
Office Sabby代表
貞本範之