(The Week UK) 2018-6-1

http://www.theweek.co.uk/93948/how-did-marilyn-monroe-die

 

『マリリン・モンローが亡くなって50年以上が経過した。女優で歌手・モデルの彼女はカルチャー・アイコンとして足跡を遺した。

 

映画「お熱いのがお好き」でゴールデングローブ賞を受賞し、はたまたケネディ大統領にハッピー・バースデーを歌って以来、彼女は1950年代のアメリカを象徴する存在といえるだろう。

 

彼女の92回目の誕生日であるきょう、もし生きていればどんなだったことであろう。彼女の人生を、その伝説と死を中心に振り返ってみよう。

 

Early Life

1926年6月1日、ロサンゼルス総合病院でノーマ・ジーン・モーテンソンとして生まれる。

 

母親の精神的不安定により、7歳まで里親のもとで育つ。父を知らずに育った。

 

1942年、飛行機会社の同僚と結婚(※)したが、第二次大戦後すぐに離婚。そのころモデルとなった。

 

※(筆者注:ここは正確ではないですね)飛行機会社の同僚ではなく、修理工場に勤めていた男性です。飛行機会社はノーマ・ジーンが彼と結婚後に働いていた会社です。

 

1946年、20世紀フォックスと短期契約を結ぶ。スクリーン・ネームはマリリン・モンロー。

 

カレンダーのヌードモデルになったことで映画「Scudda-Hoo Scudda-Hey」(1948)の端役に起用される(※)。その後いくつかの映画で端役を演じたのち、「紳士は金髪がお好き」(1953)、「百万長者と結婚する方法」(1953)、「ショウほど素敵な商売はない」(1954)でスターダムにのしあがる。

 

※(筆者注)これもマチガイですね、ヌードモデルになったことがキッカケではありません。ヌードモデルになったことが発覚したのはもっと後年のことでした、1952年。

 

Major success

1954年、野球選手だったジョー・ディマジオと結婚するが1年とたたずに離婚。

 

1956年、劇作家アーサー・ミラーと結婚。一時休業。1959年「お熱いのがお好き」でゴールデングローブ賞を受賞。

 

中略

 

Death

以下略 』

 

Happy 92nd Birthday to Marilyn Monroe

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年もアメリカのファンクラブが献花しました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつのファンクラブからの献花も例年通りありました

 

 

 

 

 

 

 

(YouTube)

いつものジョージ・ブリーランド・ヒル氏が動画を撮ってくれています。ヒル氏とは昨年8月モンローの墓前で偶然にお遇いすることができ幸運でした。ぼくから声をかけ、日本から来たこと、あなたの動画をいつも観てることを伝えたら、がっちり握手。善き想い出です

https://youtu.be/UC5dDnxPNf4