ドラゴン梶谷になるまでのストーリー
書いてみます。
1966年5月30日
北海道札幌市で三姉妹の三女として産まれました。
父が国体出場の陸上選手だったので大阪の某会社に引き抜かれ
5歳に大阪へ引っ越し。
なので、北海道の頃の記憶は全く無し。
アルバムもスピード離婚をした為持ってこなかった。
因みに昨年に産土神社へ初めてご挨拶に行ってきました。
故郷、札幌へ産土神社様へご挨拶
ここは大通公園。
アルバムの中の記憶では、
白いコートにサングラスをした母に、3歳くらいの私が抱っこされてハトに餌をあげてました。
コートって事は冬ですよね?
その時期にサングラスって! 母ってめっちゃカッコイイやん!
確かにお洒落さんでした。
さて、大阪では20歳まで過ごすこととなります。
小学生頃までの私は、かなり貧弱、病弱で
小児喘息になり呼吸困難で何度か死ぬ思いをしたか。
母は喘息を治す!と、ありとあらゆる事を私にしてくれたようです。
その時の私にとっては、あまり嬉しくなかったけど。
・漢方薬飲まされ。 苦いしい
・お灸をされ(母がしてくれた) 怖いやん。
・乾布摩擦 寒いやん。
・剣道 体育館の拭き掃除がめっちゃ嫌やったんやけど。
・トランペット鼓笛隊 肺活量は良くなった。
兎に角免疫力と体力を付ける事を鬼のようにしてくれました。
めちゃくちゃ嫌やったんやけど。
夜中に発作が起こると、父と母が交代でオンブしてくれて外を歩いてくれた。
これは、本当に嬉しかった。
ま、時々甘えたい時に仮病を使ってたなんてナイショ。
おかげさまで、小学校高学年くらいにはお見事に完治し
学校(小中高)の成績で、一番得意な科目が体育
五教科の中で得意科目は何?と聞かれても体育。
と自信を持って答えられるレベルまで元気になりました。
そこからだったのか!
私のスピードと勢いの人生は!?
つづく