小児喘息を完治させる勢いが既にあった。幼少期【ドラゴン梶谷ストーリー①】 | 宮古島☆青い海、青い空、白い浜に囲まれたスピリチュアルライフ。

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「答えは自分が知っている。」
大好きな海の近く宮古島の離島、池間島に移住し、
自然界と、祈りの島からのメッセージを交えた島暮らしを発信しています。

ドラゴン梶谷になるまでのストーリー
書いてみます。

1966年5月30日
北海道札幌市で三姉妹の三女として産まれました。

父が国体出場の陸上選手だったので大阪の某会社に引き抜かれ
5歳に大阪へ引っ越し。

なので、北海道の頃の記憶は全く無し。
アルバムもスピード離婚をした為持ってこなかった。acha-*

因みに昨年に産土神社へ初めてご挨拶に行ってきました。
→ 故郷、札幌へ産土神社様へご挨拶
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ここは大通公園。
アルバムの中の記憶では、
白いコートにサングラスをした母に、3歳くらいの私が抱っこされてハトに餌をあげてました。
コートって事は冬ですよね?
その時期にサングラスって! 母ってめっちゃカッコイイやん!
確かにお洒落さんでした。



さて、大阪では20歳まで過ごすこととなります。

小学生頃までの私は、かなり貧弱、病弱
小児喘息になり呼吸困難で何度か死ぬ思いをしたか。


母は喘息を治す!と、ありとあらゆる事を私にしてくれたようです。

その時の私にとっては、あまり嬉しくなかったけど。
漢方薬飲まされ。 苦いしい
お灸をされ(母がしてくれた) 怖いやん。
乾布摩擦 寒いやん。
剣道 体育館の拭き掃除がめっちゃ嫌やったんやけど。
・トランペット鼓笛隊  肺活量は良くなった。


兎に角免疫力と体力を付ける事を鬼のようにしてくれました。

めちゃくちゃ嫌やったんやけど。acha-*

夜中に発作が起こると、父と母が交代でオンブしてくれて外を歩いてくれた。
これは、本当に嬉しかった。
ま、時々甘えたい時に仮病を使ってたなんてナイショ。

おかげさまで、小学校高学年くらいにはお見事に完治し

学校(小中高)の成績で、一番得意な科目が体育
五教科の中で得意科目は何?と聞かれても体育。
と自信を持って答えられるレベルまで元気になりました。


そこからだったのか!
私のスピードと勢いの人生は!?


つづく